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星装機ヴァルキリア 〜最強の黒騎士は、歌姫の愛で未来を視る〜  作者: homare


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静寂と喧騒の狭間で

 漆黒の帷が降りた宇宙空間。静寂が支配するその領域に、巨大なリング状の構造物、ノアZEROが浮かんでいる。地球を見下ろす「監視者の目」であるこの場所は今、凍りつくような緊張感に包まれていた。


 司令室。

 無数のモニターが並ぶ壁面の中央に、地球上の惨状がリアルタイムで映し出されている。

 標的は、チベット高原に位置するノアⅢ。かつては選民思想に守られ、難攻不落を誇った高地の要塞都市だ。

 しかし、ドローンが捉えている映像は、その栄華の崩壊だった。


「……酷いな。」


 司令官リヒャルト・フォン・アイゼンベルクは、苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。

 画面の中で、エデン軍の量産機「ホープレス」が、黒い雲霞のごとく押し寄せている。統率された無機質な行軍は、ノアⅢの防衛隊を容易く粉砕し、美しい都市を紅蓮の炎で染め上げていた。抵抗する者は容赦なく排除され、白旗を揚げた者ですら、一部の過激化した部隊によって蹂躙されている。


「これが『楽園』を名乗る者たちのやり方か……。」


 リヒャルトが拳をデスクに叩きつけようとしたその時、司令室の通信回線に割り込みが入った。

 セキュリティを無視した強制接続。発信元を示すIDは、リヒャルトにとって頭痛の種以外の何物でもない。


『やあ、司令。相変わらず眉間にシワを寄せているね。カルシウム、足りてるかい?』


 メインスクリーンに現れたのは、白衣を纏った子供のような姿。ラプラスだ。

 背景には、彼女のハンガーにある雑多な機材が見えている。


「ラプラス……! 貴様、ノアⅢの惨状を見ているのか! このままでは地球のバランスが崩壊するぞ。我々も介入すべきだ!」


 リヒャルトの怒声に対し、ラプラスはひらひらと手を振って見せた。その表情は、不謹慎なほどに明るく、楽しげですらある。


『まあ、落ち着きたまえよ。介入? 今、僕たちが動いたところで、火に油を注ぐだけさ。それにね、面白いデータが取れたんだ。』


「データだと?」


『ああ。セレーナだよ。彼女、新しいオモチャを手に入れたみたいでね。「素体」の覚醒……イザベラめ、やってくれたよ。僕の理論を実証するだけでなく、応用までしてくるとはね。』


 ラプラスは手元の空間にデータを展開し、それを愛おしそうに眺めている。そこには、ノアⅥでの模擬戦で観測された、クリムゾンクイーンの亜空間転移の波形が表示されていた。


『感情エネルギーをトリガーにした強制覚醒。リスクは高いが、爆発力は桁違いだ。……ふふ、セレーナの魂がどこまで耐えられるか、見ものだね。』


 リヒャルトは呆れ果ててため息をついた。

「貴様……この期に及んで実験の話か。かつての同志であるイザベラが、エデンを扇動し、世界を火の海にしようとしているのだぞ。」


『だからこそ、さ。』


 ラプラスの声色が、ふっと低くなった。翠玉の瞳が、画面越しにリヒャルトを射抜く。


『イザベラの思惑が見えてきたよ。彼女は焦っている。……いや、あえて急いでいるのかな。エデンの武力を使い、各ノアを蹂躙することで、人類全体の「恐怖」と「生存本能」を極限まで高めようとしている。』


「何のために?」


『さあね。だが、彼女の目線は、ノア同士の覇権争いなんてちっぽけなものには向いていない。その先……おそらくは、封鎖されたアメリカ大陸、そして兄のリゲルを見ている。』


 ラプラスは再び、いつもの飄々とした態度に戻った。


『司令、しばらくは静観だ。下手に動けば、ノアZEROも盤上の駒にされる。カイトくんたちノアⅥの動向、そしてセレーナの動き……ジョーカーたちがどう踊るか、特等席で見物しようじゃないか。』


「……貴様は、いつもそうだ。傍観者を気取って……。」


『観測者、と言ってくれたまえ。では、失敬。』


 通信が切れる。

 再び静寂が戻った司令室で、リヒャルトはモニターに映る燃える都市を見つめた。

 宇宙空間は静かだ。しかし、その静寂は、嵐の前の不気味な凪のように、リヒャルトの心を重く押し潰していた。


 ◇


 一方、地上。ノアⅥの宿泊施設。

 カイトたちが持ち帰った「アーク・ロイヤル」の出発準備が進む中、一室にノアⅣの歌姫たちが集まっていた。

 部屋の空気は重く、沈んでいる。


「ノアⅢ……壊滅しちゃったって……。」


 膝を抱えてソファに沈み込んでいるのは、最年少のリンだ。いつもは天真爛漫な彼女だが、今は顔面蒼白で震えている。

「次は、ノアⅣなんでしょ……? 私たちの家も、あんな風に焼かれちゃうの?」


 窓辺に立ち、外の景色を見つめていたシアンが、静かに答える。

「……エデンは、『富裕層の排除』を掲げているわ。階級社会のノアⅣは、格好の標的よ。」

 彼女の声は冷静だが、握りしめた拳は白くなっている。


「ふざけんじゃないわよ!」

 ユナがテーブルを叩いた。高価なブレスレットがジャラリと音を立てる。

「あたしたちが必死に築いてきたステージを、あんな野蛮な連中に壊されてたまるもんですか! ……でも……。」

 強気な言葉とは裏腹に、彼女の声は尻すぼみになる。

「……怖いわよ。あんな映像見せられたら……。」


 エマは、俯いて何も言えずにいた。彼女の明るさが消え、不安げに指先を弄っている。

 カエデは、そんな皆にお茶を配りながら、努めて落ち着いた声を出した。

「皆さん、落ち着きましょう。ここはノアⅥです。アウラ代表が守ってくれています。まずは、心を……。」


 カエデ自身も、手が震えてお茶が少し溢れた。故郷が戦火に晒されようとしている恐怖は、誰にとっても等しく重い。


 そこへ、扉が開き、アリアが入ってきた。

 彼女は、以前のような守られるだけの少女ではなかった。その瞳には、星歌祭を経て培われた、芯の強さが宿っている。


「みんな、聞いてください。」


 アリアの声に、歌姫たちが顔を上げる。


「カイトさんと話しました。私たちは、『アーク・ロイヤル』でノアⅣへ帰還します。」


「帰るって……戦場に戻るの!?」

 リンが悲鳴のような声を上げる。


「はい。……でも、強制ではありません。」

 アリアは、一人一人の目を見て、真摯に語りかける。

「ノアⅣを守るために、カイトさんは戦います。私も、歌で彼を支えたい。……でも、それはとても危険なことです。命の保証はありません。」


 アリアは一呼吸置き、言葉を続けた。

「だから、もし戦争が怖ければ、戦いたくないと思えば、ここに残る選択をしてください。ノアⅥのアウラ代表にお願いして、皆さんの安全は保証してもらいます。」


 部屋に沈黙が落ちる。

 帰れば、戦火の中だ。残れば、安全は手に入る。

 だが、それは仲間を見捨て、故郷を見捨てることにもなる。


「……あたしは、行くわ。」

 最初に口を開いたのは、ユナだった。

 彼女は髪をかき上げ、強がりな笑みを浮かべる。

「あたしのファンがあそこで待ってるのよ。トップディーバが逃げ出したなんて噂されたら、一生の恥だわ。それに……ヨシュアも、きっと戦うでしょうし。」


「私も、行きます。」

 カエデが静かに挙手する。

「リシェル様……バートン中尉だけに任せてはおけません。それに、私たちには歌があります。誰かを傷つけるためではなく、守るために歌えるはずです。」


「アタシも……!」

 エマが立ち上がる。

「蒼斗さんが……きっと無茶をすると思うんです。だから、そばにいてあげたい。」


 シアンは、窓から振り返り、短く頷いた。

「バルトと一緒にいる。それだけ。」


 最後に、リンがおずおずと顔を上げた。涙目だが、その瞳には決意が光っている。

「怖い……けど、一人ぼっちでここに残る方がもっと怖いもん! カラスも、きっとアタシがいないと寂しがるし! 行く! 行って、悪いやつらなんかラップで吹っ飛ばしてやるんだから!」


 アリアの瞳が潤む。

「みんな……ありがとう。」


 恐怖を乗り越え、それぞれの「大切な人」のために立ち上がる歌姫たち。

 彼女たちの絆は、この過酷な旅路の中で、鋼のように強く結ばれようとしていた。


 ◇


 同じ頃、緑化都市エジプト。

 ピラミッドの頂上にあるコントロールルームは、勝利の熱気に沸き立っていた。

 ノアⅢ陥落の報せは、エデン軍全体の士気を爆発的に高めていた。モニターには、陥落したノアⅢの都市にエデンの旗が掲げられる映像が繰り返し流れている。


「見たか! 選民思想の豚どもが、我々の前にひれ伏したぞ!」

「次はどこだ! この勢いで全てのノアを解放するんだ!」


 兵士たちの興奮は最高潮に達している。しかし、その中心にいるアルトの表情は硬かった。

 彼は、虐殺に近い戦闘の報告書に目を通し、痛ましげに眉をひそめる。


「……レオン司令官。現地の部隊に、略奪と無用な殺戮を厳禁するよう、再度通達してくれ。我々の目的は解放であって、復讐ではないはずだ。」


 レオンは敬礼しつつも、困惑した表情を浮かべる。

「はっ。しかし、アルト様。兵士たちの士気は高く、長年の恨みもあります。完全に抑え込むのは……。」


「それでもだ。我々が彼らと同じ獣に堕ちてはいけない。」

 アルトは毅然と言い放ち、通信パネルに向かった。

「まだ連絡が取れていない各ノアへ、このノアⅢ制圧の映像を送れ。そして最後通告を行う。『無駄な血を流したくなければ、速やかに武装解除し、エデンの理念を受け入れろ』とな。」


 そこへ、自動ドアが開き、ハイヒールの音が響き渡った。

 イザベラだ。

 彼女は実験着を翻し、まるで舞踏会にでも来たかのように優雅に入ってきた。


「あらあら、アルト。随分と弱気なメッセージね。」


「イザベラ……。」

 アルトが振り返る。


「『武装解除』なんて生ぬるいわ。恐怖を刻み込まなければ、彼らは決して従わない。」

 イザベラはアルトの横に立ち、メインモニターの地図、ノアⅣの位置を指差した。


「続けて、ノアⅣへの侵攻を開始しましょう。ホープレス部隊の再編成は済んでいるわ。物量は十分。彼らが恐怖で身動きが取れなくなる前に、心臓を突き刺すのよ。」


「なっ……!?」

 レオンが驚きの声を上げる。

「まだノアⅢの制圧も完了していないのに、戦線を拡大する気か! 補給も休息も必要だ!」


「だからこそよ。」

 イザベラは冷酷に笑う。

「他のノアへのアピールには、ノアⅢだけでは足りないの。あの堅牢なノアⅢと、経済大国であるノアⅣ。この二つを瞬く間に落としてこそ、エデンは『抗えない天災』となる。恐怖こそが、最も効率的な統治システムよ。」


「イザベラ! 貴女は……!」

 アルトが声を荒げる。

「これ以上、無用な犠牲を増やすつもりか! 平和的な解決の道を探るべきだ!」


「平和?」

 イザベラは、アルトを見下すように鼻で笑った。

「寝言は寝て言ってちょうだい。あなたの言う平和のために、兵士たちは血を求めているのよ? 見てご覧なさい。」


 彼女が指差した先、モニターに映る兵士たちは、次の出撃命令を今か今かと待ちわび、殺気立っていた。彼らは、復讐の味を覚えてしまったのだ。


「勢いを止めることは、もう誰にもできないわ。……さあ、命令を。それとも、私が代わりに号令をかけましょうか?」


 アルトは唇を噛み締め、震える手で机を握りしめた。

 理想と現実の乖離。彼が作ったはずの「楽園」は、イザベラという猛毒によって、制御不能な怪物へと変貌しようとしていた。


 ◇


 場所は変わり、ノアⅥの研究区画。

 ラプラスの私室には、相変わらず奇妙な光景が広がっていた。

 無機質な研究室の中央に鎮座する、和風の「コタツ」。

 そこには、白衣のラプラスと、スポーティーな格好のセレーナ、そしてニコが入り、温まっていた。


「……あったけぇ。」

 セレーナがとろけたような顔で呟く。

「宇宙ステーションならまだしも、なんで地上の、しかもイタリアのここにコタツがあるんだよ。アンタ、持ち歩いてんのか?」


「必須装備だからね。」

 ラプラスは平然とお茶をすする。

「思考の効率化には頭寒足熱が一番さ。……それにしても、イザベラの動きが早いな。」


 テーブルの上に広げられた端末には、エデン軍の動向が表示されている。

「ノアⅢを落としてすぐにノアⅣへ。彼女にしては雑……いや、なりふり構っていないと言うべきか。」


「どういうことだ?」

 セレーナがみかんの皮を剥きながら尋ねる。


「本来の彼女なら、もっと美しく、完璧な手順を踏むはずだ。だが今回は、まるで何かに追われているかのように焦っている。……あるいは、誰かを誘い出そうとしているのか。」


 ラプラスは眼鏡の位置を直しながら、セレーナを見た。

「とぼけてないで、何か聞いてないのかい? 愛しの共犯者さん。」


 セレーナは肩をすくめる。

「知らねえよ。アタシはただ、強くなるためのオモチャをもらっただけだ。あいつの腹の中なんて興味ねえ。」


 そう言いながらも、セレーナの目は笑っていない。彼女もまた、イザベラの狂気の深淵を覗き、警戒しているのだ。


「ま、いいさ。」

 ラプラスは微笑み、一つのデバイスを取り出した。

「約束通り、君の亜空間インベントリの解析と、武器弾薬の補充は完了したよ。ノアⅥの工廠にあった試作兵器もいくつか放り込んでおいた。好きに使いたまえ。」


「マジか! さすがラプラス、話がわかるぜ!」

 セレーナは歓声を上げ、ラプラスにガバッと抱きついた。

「ちょ、苦しいよセレーナ!」

「愛してるぜ、マッドサイエンティスト!」


 ひとしきりじゃれあった後、セレーナは立ち上がり、軽くストレッチをした。

「さて、と。燃料補給も済んだし、行くとするか。」


「もう行くのかい? どこへ?」

 ラプラスが尋ねる。


 セレーナはニヤリと笑い、出口へと向かう。

「イザベラにお使いを頼まれててね。ま、アタシに頼むようなことだ。ロクなもんじゃねえよ。」


「ふうん……。」

 ラプラスは目を細めた。

「運送業者の次は、盗賊かい?」


「人聞きが悪いな。『回収屋』と言ってくれよ。……じゃあな、ラプラス。また遊んでくれよ。」

 セレーナは手を振り、颯爽と部屋を出て行った。その背中には、これから始まる新たな「遊び」への期待が滲んでいた。


 部屋に残されたラプラスは、対面に座るニコに向き直った。

「さて、ニコ。君はどうするんだい?」


 ニコは、静かにコタツから出た。その手には、レイのバイタルデータが表示された端末が握られている。

「僕は……行きます。カイトたちと共に。」


「危険だよ? ノアⅣは激戦地になる。」


「分かっています。でも……レイの、あの変化。そしてカイトとの共鳴。あれが何なのか、最後まで見届けたいんです。それに、もしレイが……人の道を踏み外した時、彼を止めるのは、僕の役目ですから。」


 ニコの瞳には、科学者としての探究心と、親のような愛情が混ざり合っていた。


 ラプラスは満足げに頷いた。

「いい答えだ。行ってきなさい。」


 ニコが退室し、一人になった部屋で、ラプラスは天井を見上げた。

 静かな部屋に、コタツの熱だけが籠もっている。


「やれやれ……。カイト、レイ、セレーナ、そしてイザベラ。役者は揃い、舞台は整った。」


 ラプラスは、みかんを一つ手に取り、掌の上で転がした。


「まだまだ僕たちは、イザベラの手のひらの上だ。……だが、ジョーカーが盤面をどうひっくり返すか、楽しみにさせてもらおうか。」


 彼女の呟きは、誰に聞かれることもなく、静寂の中に溶けていった。

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