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星装機ヴァルキリア 〜最強の黒騎士は、歌姫の愛で未来を視る〜  作者: homare


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孤狼の渡航

 緑化都市エジプトの上空は、喧騒と熱気に支配されていた。

 地上では、無数の「ホープレス」——エデン軍が誇る量産型星装機——が、整然とした隊列を組み、次々と輸送機へと積み込まれている。それらは、イザベラの技術提供によって生み出された、感情を持たない兵隊たちだ。彼らの向かう先は、東、チベット高原に位置するノアⅢ。寡頭制によって統治された、選民思想の堅牢な都市。

 エデンの「楽園」を実現するための聖戦。アルトの号令の下、彼らはためらいなく戦場へと赴く。


 そんな、世界が戦争へと雪崩れ込んでいく慌ただしさの只中を、一隻の巨大な影が、誰にも気づかれることなく、静かにエジプトの空を離れようとしていた。


 それは、エデン軍の主力輸送艦を遥かに凌ぐ、超大型の反重力シップだった。

 流線型のフォルムは白銀に輝き、太陽光を浴びて砂漠の空に同化するような光学迷彩が施されている。全長は優に300メートルを超え、ホープレスの母艦よりも二回りは大きい。

 この船こそ、イザベラが「遊び」と称して設計し、エジプトの地下ドックで密かに建造させていた、星装機母艦のプロトタイプ——『アーク・ロイヤル』。後に量産されることになるエデン軍母艦の、オリジナルにしてオーバースペックな一番艦である。


 北西へ向けて舵を取るその船のブリッジに、人影は一つしかなかった。


「……ッタク、どいつもこいつも、戦争、戦争って騒ぎやがって。」


 広大なコントロールルームの中央、指揮官席にふんぞり返るのではなく、その横のフロアで片手腕立て伏せを繰り返している女性がいた。

 セレーナ・ルナールだ。

 豪奢なドレスや、威圧的なパイロットスーツではない。今の彼女は、身体のラインが露わになるスポーティーなタンクトップと、動きやすいショートパンツという軽装だ。

 鍛え上げられた筋肉が、運動の負荷によって艶やかに汗ばみ、無機質なコントロールルームの冷たい空気の中で、そこだけが生き物としての熱を発していた。


「998……999……1000!」


 掛け声と共に、彼女はバネのように身体を弾ませ、軽やかに立ち上がった。首にかけたタオルで乱暴に汗を拭うと、未だ荒い呼吸を整えながら、パノラマウィンドウの外へと視線を投げる。

 眼下には、遠ざかるナイルの緑と、広大な砂漠が広がっている。そして東の空には、黒い雲のように群れを成して飛び立つエデン軍の影が見えた。


「あっちに行けば、大暴れできたかもしれねえのによ。」


 セレーナは不満げに鼻を鳴らした。

 今回の彼女の任務は、この巨大な『アーク・ロイヤル』を、地中海を越えた先にあるノアⅥへ届けること。

 ただの輸送任務。戦闘狂である彼女にとって、これほど退屈な仕事はない。


「ま、イザベラの野郎に貸しを作っとくのも悪くねえか。」


 彼女は、汗で濡れた髪をかき上げながら、再びコントロールルームを見渡した。

 この巨大な船内には、セレーナ以外の乗組員は一人もいない。操縦桿を握るパイロットも、機関室で汗を流すエンジニアもいないのだ。

 全ては、イザベラが構築した高度なAIプログラムによって自律制御されている。目的地であるノアⅥまでの航路、気象状況による微調整、果てはエデン軍やノアZEROの監視網を掻い潜るためのステルス航行まで、すべてが自動だ。


「便利すぎて、気味が悪いくらいだぜ。」


 セレーナは、宙に浮かぶホログラムコンソールを指先で弾いた。

 そこには、この船のスペックデータが表示されている。


【艦名:アーク・ロイヤル(試作戦略強襲母艦)】

【動力:DIVAジェネレーター・ハイブリッド(テラ・リアクター連結)】

【積載能力:星装機6機、予備パーツコンテナ4基、長期滞在用居住区画完備】

【武装:対空レーザーファランクス、高出力粒子砲(※現在ロック中)】

【特殊機能:反重力サイレントドライブ、簡易転送カタパルト】


「……おいおい、マジかよ。」


 改めてデータを目にし、セレーナは呆れたような声を漏らした。

 ただの輸送艦ではない。これは、動く要塞だ。

 通常の星装機母艦が、あくまで「運び屋」としての機能に特化しているのに対し、この船は単艦での戦闘行動すら想定されている。積載できる星装機6機というのは、ただ運ぶだけでなく、この船を拠点として一個小隊が長期間作戦行動を行えることを意味していた。

 しかも、居住スペースには、高級ホテル並みの設備が整っているらしい。


「あの狂った科学者、どんだけ凝り性なんだよ。」


 セレーナは、ため息交じりに冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、一気に喉へ流し込んだ。

 イザベラは、この船をカイトに渡せと言った。

 このオーバーテクノロジーの塊を、だ。

 それはつまり、今後カイトたちが、特定の拠点に留まることなく、世界中を移動しながら戦うことを想定しているに他ならない。


「世界を相手に喧嘩を売るための翼、ってわけか。」


 セレーナは、空になったボトルをゴミ箱に投げ入れた。

 放物線を描いて吸い込まれるボトルを見ながら、彼女の思考は、自身の愛機へと飛ぶ。


「……あーあ。クリムゾンクイーンがありゃ、退屈しのぎにその辺の無人機でも撃ち落として遊べたのによ。」


 今回の旅に、彼女の新たな翼『クリムゾンクイーン』は同行していない。

 現在は南フランスにあるイザベラの実験施設で、最終調整とメンテナンスが行われている。

「あなたに持たせると、寄り道して戦争に参加しかねないもの」

 出発前、イザベラは涼しい顔でそう言い放った。

 図星である。セレーナは、自分の性格を見透かされていることに舌打ちした。


 彼女は手持ち無沙汰に、コントロールルームの中を歩き回る。

 トレーニングをして身体を苛め抜いても、心の奥底にある乾きは癒えない。

 戦いたい。

 ヒリヒリするような命のやり取りがしたい。

 だが、今の彼女にあるのは、眼下に広がるかつて地中海であった荒涼とした砂漠と、機械的な静寂だけだ。


 セレーナは、メインモニターの片隅に、エデン軍のホープレス部隊のデータウインドウを開いた。

 大量生産された、没個性的な機体の群れ。

 パイロットの個性を殺し、システムの一部として統合された、効率化の権化。


「集団戦、か……。」


 セレーナは、顎に手を当てて思考に沈む。

 星装機スターギアという兵器は、元来、その名の通り「星の装い」を纏う英雄たちのための機体だ。一騎当千。パイロットの精神力と技量が、機体の性能を極限まで引き出し、戦場を支配する。

 セレーナが好むのも、そういった「個」と「個」のぶつかり合いだ。1対1の決闘デュエル。そこには、技術の読み合いがあり、魂の削り合いがある。


 しかし、エデンの戦略は違う。

 圧倒的な物量と、統率された連携。

 1機のホープレスは弱くとも、5機、10機と連携すれば、熟練の星装機乗りでさえ囲んで圧殺できる。


(アタシの戦い方は、基本、単騎特攻だ。亜空間収納を使った武器の切り替えで、相手の予想を裏切り、瞬殺する。)


 セレーナは、脳内でシミュレーションを行う。

 戦場は荒野。敵はホープレス20機。自分はクリムゾンクイーン。

 亜空間からガトリングを呼び出し、面で制圧する。数機を撃破。

 すぐに距離を詰められ、包囲される。

 剣に持ち替え、近接戦闘で斬り伏せる。

 死角からの射撃。シールドで防御。その隙に別の方向からミサイル。


(……チッ。分が悪いな。)


 脳内のシミュレーションで、セレーナは舌打ちをした。

 同時に相手取れるのは、せいぜい4機から5機。それ以上になれば、どんなに技量が高くても、物理的な手数の差で押し切られる。

 弾薬の制限がない亜空間収納庫を持つ彼女でさえ、処理能力の限界はあるのだ。


「戦争ってのは、これだから嫌いなんだよ。」


 セレーナは吐き捨てるように呟いた。

 彼女は戦闘狂だ。戦いの中にこそ、生の悦びを感じる。

 だが、それは「強さ」を競う戦いであって、「殺戮」の作業ではない。

 エデンがやろうとしていること。ノアⅢへの侵攻。それは、理念の違いや生存圏の確保という大義名分を掲げた、ただの殺し合いだ。

 個人の矜持など関係ない。ただ、効率的に敵を減らすためのシステム。


「あいつら、ノアを席巻したら、次は何と戦う気だ?」


 全てのノアを制圧し、ムーニーの支配を終わらせる。

 それがエデンの目的だという。

 だが、敵がいなくなった後、戦うことしか知らない兵器たちはどうなる?

 平和な世界で、アタシのような人間は、どこへ行けばいい?


 虚無感が、胸をかすめる。

 かつて、ノアⅧの闘技場で「赤き死神」と呼ばれ、全ての敵を倒し尽くした時に感じた、あの冷たい風と同じだ。

 勝てば勝つほど、孤独になる。強くなればなるほど、戦える相手がいなくなる。


(……いや、いるか。まだ、底が見えない奴が。)


 セレーナの脳裏に、一人の少年の顔が浮かんだ。

 カイト。

 星歌祭決勝で見せた、あの神懸かり的な強さ。

 時間を超越し、因果を書き換えるかのような、圧倒的な力。

 レイのノワールという化け物を相手に、一歩も引かず、最後にはねじ伏せた、あの漆黒の機体。


「カイト……。」


 彼の強さは、システムによる強制的なものではない。

 アリアという歌姫との絆。誰かを守りたいという想い。

 そういった、泥臭く、人間臭い感情が、彼の力の根底にある。

 それは、ただ快楽のために戦うセレーナや、システムに組み込まれたホープレスのパイロットたちとは、決定的に違う「何か」だった。


(あいつなら、このクソみたいな戦争の中でも、自分を見失わずにいられるのか?)


 セレーナは、カイトに対して、ライバル心以上の興味を抱き始めていた。

 彼と戦いたい。

 そして、彼の行く末を見届けたい。

 この「アーク・ロイヤル」を届けるというお使いも、そう考えれば、あながち悪い話ではない。


 彼に、この最強の翼を渡す。

 そうすれば、彼はもっと自由に、もっと遠くへ行けるだろう。

 そしていつか、全てが終わったその場所で、もう一度、彼と——。


『Beep! Beep!』


 突如、無機質なアラーム音が鳴り響き、セレーナの思考を現実に引き戻した。

 メインモニターに、赤いアラートと地図が表示される。


【目的地周辺空域に到達】

【ノアⅥ・防衛識別圏内 10km】


 セレーナは、バネ仕掛けの人形のように椅子から飛び降り、コンソールの前へと歩み寄った。

 モニターには、雲の切れ間から覗く、白亜の都市が映し出されていた。

 ノアⅥ。

 争いを嫌い、科学の力で中立を保つ、静寂の都市。


「……着いたか。」


 セレーナは、大きく息を吐き出した。

 柄にもない感傷に浸っている場合ではない。

 ここから先は、仕事だ。

 この巨大な船を、ノアⅥの防衛網に撃ち落とされることなく、指定されたポイントまで誘導し、カイトに引き渡す。

 そして、イザベラの企みが何であれ、この船がカイトたちの運命を大きく変えることになるのは間違いない。


「考えても仕方ねえ。……やるか。」


 セレーナは、ニヤリと笑った。

 その顔には、先程までの憂いはなく、いつもの不敵な表情が戻っていた。

 彼女は手動操縦のコンソールに手を置く。

 AI任せの退屈な旅は終わりだ。ここからは、あたしの腕の見せ所だ。


 彼女は、モニター越しに遠くに見えるノアⅥを眺めた。

 その瞳の奥には、再会への期待と、来るべき激動への予感が、静かに燃えていた。


「待ってろよ、カイト。とびきりのプレゼントを持って行ってやるからな。」


 白銀の巨船は、イタリアの青い空へと滑り込んでいった。

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