コタツの真実
ノアⅥの科学施設の一角。薄暗い通路の先に、ラプラスの私室と記されたプレートが掲げられていた。カイトは、その扉の前に立ち、僅かに湿った手のひらを白いズボンで拭った。心臓が早鐘のように鳴り響く。ラプラスの言葉は、いつも彼の常識を覆し、理解の範疇を超えていた。これから聞かされるであろう「真実」も、きっと彼の世界を根底から揺るがすものに違いない。
意を決してドアのベルを押す。短い電子音が、静寂に包まれた廊下に響き渡った。
「入りたまえ。」
内側から聞こえてきたラプラスの声は、いつもと同じ、抑揚のない平坦なものだった。ゆっくりと開かれるドアの向こうに広がっていたのは、カイトがこれまで見たこともない、異質な空間だった。
部屋の壁一面には、無数のポスターが隙間なく貼られている。それらはキラキラと輝き、ポスターに写る男女は、カイトのいる方向に向かって微笑んでいた。彼らが身につけているのは、日本の古き時代の衣装だろうか。しかし、ポスターの人物たちは皆、どこか現代的な雰囲気を纏い、それぞれの持ち場で楽しげに踊ったり、歌ったりしている。中には、まるで自分が搭乗する星装機を模したかのようなデザインの衣装を纏った人物もいた。
部屋の中心には、低く四角いテーブルがあり、その上にはふわふわの布が幾重にもかけられている。テーブルの上には、巨大な招き猫の置物や、見たこともないデザインのロボットフィギュア、漫画本らしきものや、奇妙な形をした植物の鉢植えなど、ありとあらゆるものが雑多に置かれているにもかかわらず、なぜか統一感のある、不思議な空気が漂っていた。日本の古き時代の生活様式を模した空間に、最先端の技術が融合した、カオスと呼ぶべき場所。
「……。」
カイトは、部屋の中を見渡し、言葉を失った。ノアⅥの清潔で無機質な研究施設とは、あまりにもかけ離れたこの部屋は、まるで別の次元に繋がっているかのようだ。
「君もニッポンジンなんだよね。」
ラプラスの声が、カイトの思考を中断させた。彼女は、部屋の中心にある四角いテーブルの片側に座り、ふわふわの布に足を入れている。
「……ニッポンジン?」
カイトは、疑問符を浮かべて聞き返した。ノアⅣの地名である「日本」という言葉は知っているが、「ニッポンジン」という言葉は初めて聞いた。
ラプラスは、カイトの問いには答えず、白い湯気を立てる小さな茶碗を指し示す。
「こちらに来て、君も座りたまえ。温まるぞ。」
促されるまま、カイトはラプラスの向かい側に腰を下ろし、ふわふわの布の中に足を入れた。温かい熱が、彼の疲弊した身体を優しく包み込む。それは、予想以上に心地よかった。
「これは、日本の古き良き文化『コタツ』だ。この温かさが、僕の思考をよりクリアにしてくれる。」
ラプラスは、小さな湯呑みをカイトの前に差し出した。緑色の液体が、湯気と共に香ばしい匂いを放っている。
「これは緑茶だ。古来より日本で親しまれてきた飲み物だよ。心身を落ち着かせる効果がある。」
カイトは、言われるがままに緑茶を一口飲んだ。苦味の中に、かすかな甘みが広がり、温かい液体が彼の喉を通り過ぎていく。確かに、心が落ち着くような気がした。
「さて、カイトくん。単刀直入に聞こう。君のDIVAコアの能力について、僕の仮説を聞いてもらいたい。」
ラプラスの翠玉の瞳が、カイトを真っ直ぐに見つめた。いつもの気まぐれな雰囲気は鳴りを潜め、その表情は真剣そのものだ。
「君のベオウルフ・リベリオン……いや、星装機ヴァルキリア。イザベラによって素体から覚醒した機体。長らく動かずにいた共感能力に長けたイザベラの魂を刻まれた機体を、なぜ、君が動かすことができるのか。」
ラプラスは、腕を組み、僅かに首を傾げた。
「ここからは僕の仮説になるけどいいかい?」
カイトは、無言で頷いた。彼の脳裏には、ラプラスが何を語ろうとしているのか、漠然とした不安が広がっていた。
「DIVAコアの共感力は、当初、君の中にある憎しみのような感情をエネルギーに変えていたようだ。人一倍君の中には大きな感情のエネルギーがあるようだね。君の過去……ムーの惨劇、家族の死。その憎しみが、コアを起動させる原動力となっていた。」
ラプラスの言葉に、カイトは息を呑んだ。彼の心の奥底に眠る、最も触れられたくない傷が、今、目の前の人物によって暴かれたのだ。
「しかし、憎しみに囚われたDIVAに、アリアの歌が介入することによって変化が訪れたんだ。コアはカイトとアリアに同時に共感し、新たな段階へと進化しはじめている。」
ラプラスは、湯呑みを持ち上げ、緑茶を一口飲んだ。その視線は、カイトの瞳を離さない。
「カイトくん、その原動力は何かわかるかい?」
カイトは、口を開きかけたが、言葉が出てこなかった。彼の頭の中は、ラプラスの言葉で混乱していた。
「それは……愛なんだ。」
ラプラスの口から出た言葉に、カイトは目を見開いた。
「君とアリアの愛が、コアの新しい力を目覚めさせている。盲点だったよ。僕らのような存在は、自分の研究にしか感情を動かすことはなくなっている。イザベラは別だよ、彼女は双子の兄のために生きているからね。そうだ、盲点だ。人が人に想う心がトリガーだったとは。」
ラプラスは、自らの仮説に興奮しているかのように、眼鏡の奥の瞳を輝かせた。そして、緑茶を飲み干すと、カイトに真っ直ぐに問いかけた。
「カイト、君はどちらのことを愛しているのかい?」
カイトは、突然の問いかけに、驚きと混乱で固まった。彼の脳裏に、アリアの笑顔と、ユキの献身的な姿が、交互にフラッシュバックする。愛という、彼にとって最も縁遠い感情が、今、彼の力の根源であると告げられたのだ。
その混乱の中、カイトの脳裏に、奇妙な映像が蘇った。それは、数日前の、ラプラスとの模擬戦の記憶。
(回想:ノアⅥの実験場)
薄暗い実験フィールドに、無人のクリムゾンロードが静かに佇んでいた。真紅の機体は、その身を揺らし、獲物を狙う猛獣のように、カイトのベオウルフ・リベリオンを睨みつけていた。
「さあ、始めようか、カイトくん。これは、君の力を測るための、特別な実験だ。」
ラプラスの声が、コックピットに響き渡る。彼女は、コントロールルームから、クリムゾンロードに戦闘プログラムを詰め込み、遠隔操作している。
「今回のルールは、実体剣による攻撃をかわすことと、受けることのみ。君は一切攻撃してはならない。それが、この実験の唯一のルールだ。」
カイトは、不満そうに操縦桿を握りしめた。攻撃ができないハンディキャップマッチ。しかも相手は、オーバーブレイクした自分と互角に渡り合った、セレーナのクリムゾンロードだ。
「……きついな。」
カイトの独り言は、ラプラスには届かない。
【実験開始!】
アナウンスとともに、クリムゾンロードは、両手に構えた紅蓮の剣を広げながら、高速でベオウルフ・リベリオンに踏み込んだ。その動きは、まるでセレーナ自身が操縦しているかのように、トリッキーで、予測不能だ。
「っ……!」
ベオウルフ・リベリオンは、クリムゾンロードの剣の攻撃を紙一重でかわしていく。抜きざまに放たれる回転切り、連続して繰り出される突き。その全てを、カイトは、ベオウルフ・リベリオンの加速と、未来予知の力で、ギリギリのところでかわし続ける。
「へえ、やるじゃないか。アリアの歌声なしで、ここまでやれるとはね。」
ラプラスの声が、コックピットに響き渡る。彼女は、カイトの動きを、興味深そうに観察していた。
クリムゾンロードは、さらに攻撃の手を緩めない。突きを入れ、その勢いでさらに追撃の攻撃を加えるが、ベオウルフ・リベリオンには全く当たらない。カイトは、最小限の動きで、全ての攻撃を受け流していく。
(アリアの歌声がない状態でのあれはきつかった……。)
カイトは、心の中で呟いた。アリアの歌声がなければ、ここまで完璧にかわすことはできなかっただろう。彼の顔には、辟易とした表情が浮かんでいた。
ラプラスは、そんなカイトの様子を、楽しそうに眺めていた。
(回想終わり)
コタツの温かさ、緑茶の香ばしい匂い。そして、目の前に座るラプラスの、純粋な好奇心に満ちた視線。その全てが、カイトの心を揺さぶっていた。愛。彼にとって、最も理解不能な感情。それが、彼の力の源であると告げられたのだ。
「カイトくん、君はどちらのことを愛しているのかい?」
ラプラスの問いかけが、再び、カイトの脳内に響き渡る。彼の瞳は、困惑と、そして、新たな感情の芽生えで、大きく揺れ動いていた。




