楽園の呼び声
緑化都市エジプト。かつての栄華を象徴するピラミッドは、今や、エデン勢力の旗が翻る、新たな司令塔となっていた。エデン兵士によって掌握されたコントロールセンターからは、地球の全ノアに向けて、声明が発信される。その声は、地球の隅々にまで届き、人々の心を揺さぶった。
「地球に生きる全ての人類へ。我々は、エデンである。」
その声は、澄んでいながらも、確固たる意志に満ちていた。無機質な合成音声とは異なり、そこに宿る感情は、人々の心を掴む。
「我々は、人類が犯した過ちを正し、この星を真の楽園へと戻すため、立ち上がった。長きにわたり、人類を欺き、愚かな争いを繰り返させてきたムーニーの支配を打ち破り、真のノア計画を完遂する。それは、この地球を、再び緑豊かな生命の星へと戻す、壮大な計画だ。」
声明は、ノア計画の本来の目的を繰り返し訴える。ポールシフト、海の復活、大地の緑化……。かつて、人類が夢見た理想の未来を、映像と共に提示する。映像は美しく、多くの人々の心に、失われた希望の光を灯す。
「しかし、ムーニーの支配は、その理想を歪ませた。彼らは、資源の枯渇を口実に、ノア同士を争わせ、人類を兵器へと変え、この星を、無意味な戦いの舞台へと変貌させた。我々は、その欺瞞を許さない。」
声のトーンが、わずかに、しかし、明確に変わる。そこには、深い怒りと、そして、悲しみが滲み出ていた。それは、棄民として、過酷な運命を強いられてきた人々の、長年の恨みが凝縮された声だ。
「我々は、真のノア計画実現のため、ここに、各ノアへの協力を要請する。我らの理念に賛同し、この過ちを正すため、共に立ち上がろう。抵抗する者、その意思を持たぬ者は、旧き時代の支配者として、我らが断罪の剣に倒れるであろう。この星の未来は、我々の手にかかっている。」
声明は、協力を求める言葉の裏に、強硬な手段に出る可能性を明確に示唆していた。それは、かつてムーニーの富裕層に「浄化」の名の下に滅ぼされた棄民都市の人々の恨みが凝縮されたものであった。この声明は、アズラエルを中心とした支配層に対する、宣戦布告とも言える。
世界中を駆け巡るこの声明は、各ノアに波紋を広げていく。
ノアⅥの、清潔で秩序だった街並み。外の世界の混乱とは無縁のように、穏やかな時間が流れていた。ここは、貧富の差が表面化していない、どこか未来的な雰囲気を持つ科学都市。しかし、エデンからの声明は、この平和な都市にも、確かな波紋を広げていた。
ノアⅥの中心部、レイの治療が続く研究施設。カイト、アリア、ユキは、ニコの案内で、レイの容態を確認していた。
レイは、生命維持装置に繋がれたまま、静かに眠っている。彼の肉体は、日に日に回復しており、その変化は、一目瞭然だった。細身だった身体には、確かな筋肉が付き始め、血色も良くなっている。顔色も以前より血の気が良くなって、彼の体は美しさに磨きがかかり始めていた。しかし、その顔に表情はなく、人形のような美しさが、痛ましい。
「彼の肉体は、順調に変化している。CORE-MEMORYの機能が安定し、DARKコアのエネルギーを生命力へと変換している証拠だ。」
ニコは、モニターに表示されたデータを指し示しながら、淡々と説明する。その声は、冷静だが、レイへの深い感情が込められている。
「このペースでいけば、次の満月の夜には、完全に覚醒するだろう。」
ニコの言葉に、カイトは、複雑な表情を浮かべた。レイの進化は喜ばしいが、その覚醒が、彼に何をもたらすのか。あるいは、彼から何を奪うのか。その不透明さに、不安を感じる。
アリアは、レイの傍に立ち、静かに歌を口ずさんでいた。彼女の歌声は、彼を癒し、苦痛を和らげる。レイの表情は、微かに、穏やかなものへと変化したように見えた。
ユキは、レイの身体を覆う、無数のコードを見つめる。メカニックとして、彼の身体の変化、そして、それに伴う機械的な調整の必要性を、冷静に分析する。しかし、その瞳には、レイへの深い同情が宿っていた。
「……彼もまた、計画の犠牲者、ということか……」
ユキの声は、悲痛だ。彼女は、カイトの過去を知っている。同じように、望まぬ運命を押し付けられ、戦い続けるカイトの姿を、重ね合わせた。
その時、施設内のスピーカーから、エデンからの声明が、再び流れてきた。その内容は、先程よりも詳細に、ムーニーの支配体制の歪み、そして、富裕層が犯してきた数々の非道を訴えかけるものだった。富裕層が独占する資源、環境汚染を撒き散らす行い、そして、棄民たちの虐げられた生活。それらが、証拠映像と共に、残酷なまでに提示される。
「彼らは、正義を振りかざしながら、自分たちの利益のために、無数の命を奪ってきた。地球を救うため、などという言葉は、全てが欺瞞だったのだ。」
声明は、憎しみと悲しみが入り混じった声で、糾弾を続ける。その言葉は、ノアⅥにいる者たち、特にノアⅣからの同行メンバーの心を揺さぶった。
ユキは、自らが知るカイトの過去、そしてムーの惨劇が、まさにその「欺瞞」の犠牲であったことを、改めて突きつけられる。富裕層が蹂躪される映像に、彼女の感情は激しく揺れ動いた。しかし、同時に、過激な手段で富裕層が惨殺される映像は、彼女の倫理観を大きく揺さぶる。
アリアは、顔を覆った。彼女もまた、カイトの未来視を通じて、エジプトでの惨劇を共有していた。目の前で起きている、富裕層の悲鳴と、エデン兵士の冷酷な行動。それは、彼女の知る「真のノア計画」とは、あまりにもかけ離れていた。
「……これが、彼らの言う、『楽園』なのですか……?」
アリアの声は、悲痛だ。彼女の歌は、人々の心を癒し、希望を与えるものだ。しかし、この惨劇は、彼女の歌では、決して癒すことはできない。
その時、カイトは、黙ってレイを見つめていた。彼の未来視は、エデン勢力の行動の「正当性」と、彼らが抱える「恨み」の深さを、示唆しているかのようだ。過去のムーでの悲劇。棄民として、自分たちが味わった絶望。エデンの兵士たちの瞳に宿る憎しみは、カイトのそれと、根源を同じくする。しかし、その行為は、あまりにも過激だ。
ノアⅥは、貧富の差のない科学都市として、清潔な空間を保っていた。ここは、コアの研究を第一とし、外部からの干渉を一切寄せ付けず、棄民都市の攻略命令にも従わず、独自の地位を保ってきた。彼らにとって、エデンの声明は、大きな衝撃であると同時に、自らの理念を揺るがすものだった。
数々の感情が交錯し、混乱に陥るメンバーたち。そして、彼らが今、何をすべきなのか。その答えは、まだ、見えない。




