決戦 -虚無と真理の淵で-
緑化都市エジプト。
砂漠の中心に突如として現れたその場所は、かつての神々しさと現代技術が融合した、まさに奇跡の都市だ。夜空に聳え立つ巨大なピラミッドは、満月のような白い光を放ち、遥か宇宙、月へと光の道を繋いでいる。
今日、その輝きは、最高潮に達していた。
星歌祭、決勝戦。
アリーナは、熱狂の渦に包まれていた。地鳴りのような歓声が轟き、空気は、期待と興奮、そして、独特の狂気に満ちている。観客席には、各ノアの要人から、富裕層、そして一般市民まで、あらゆる階層の人間がひしめき合っている。誰もが、今夜行われる「ショー」の結末を、固唾を飲んで待ち望んでいた。
場内アナウンスが高らかに響く。
「Ladies and Gentlemen!長きにわたる激戦を制し、ついに決勝の舞台へ進出した二機が、今、ここに集結いたしました! ノアⅥ代表、零が駆るノワール!そして、ノアⅣ代表、カイトが駆るベオウルフ・リベリオン!」
照明が絞られ、アリーナの中心に、スポットライトが当たる。
先に姿を現したのは、漆黒の機体、ノワールだった。その巨体は、登場から黒い靄に包まれ、その中に不気味なシルエットが揺らめいている。ノワールは、ゆっくりと、しかし、滑らかな動きで舞台へと進み出る。その一挙手一投足は、これまでの星装機が持つ無機質な機械の動きではなく、まるで生きているかのような、人間味すら感じさせる。黒い靄が晴れると、ノワールのコックピットの中で、信じられない光景が広がっていた。
そこには、病弱で、顔色の悪い、痩せ細った少年零の姿はなかった。
代わりにいたのは、背筋を真っ直ぐに伸ばし、揺るぎない自信に満ちた表情を浮かべる、美丈夫と化した青年の姿。
その瞳は、深淵を湛える漆黒でありながら、光り輝いていた。彼の顔は完璧に左右対称で、美しい彫刻のようだった。表情は乏しいが、それが逆に畏怖を抱かせ、圧倒的な存在感を放っている。
ノワールは、その変化を体現するかのように、しなやかな身のこなしで、アリーナの中央へと歩を進める。その異質な美しさに、観客からは、どよめきが起こった。
対するは、ベオウルフ・リベリオン。二回戦でフェイとの激闘により受けたダメージの応急処置として、関節部の塗装が剥がれ落ちていた。漆黒の機体の中に、ところどころ、本来の白銀の地肌が覗いている。それは、かつてイザベラのラボで目にした「バルキリア」の、黒く塗られたモックアップを彷彿とさせる、奇妙なツートンカラーのシルエットに変貌していた。それでも、その機体から放たれる漆黒のオーラは健在だ。重々しい足音を響かせながら、カイトを乗せた機体がゆっくりとアリーナの中心へと歩みを進める。
会場の歌唱ブース。透明な壁に囲まれたその空間に、アリアは立っていた。昨夜、カイトと交わした会話、溢れそうになった自分の感情。それを、なんとか押しとどめたものの、今もなお、心の中は波立っている。そのことを思い出し、頬を染めて、あたふたと、居た堪れない気持ちが波のように押し寄せた。
「ふ、ふえぇ……か、カイトさん……!」
小さく呟きながら、アリーナに立つ二機の巨像を、固唾を飲んで見守っていた。そのすぐ脇の控えエリアには、ノアⅣの歌姫たちが集っていた。エマ、シアン、リン、カエデ、ユナ。それぞれの個性豊かな顔ぶれが揃っている。
エマが心配そうな顔でアリアに声をかける。「アリアさん、大丈夫?顔、真っ赤だよ?」
ユナがいつものように、嫌味っぽい口調で続く。「あんたがそんな調子じゃ、カイトが可哀想でしょ。ちゃんと歌えるの?」
シアンは何も言わず、ただ静かにアリアを見守っている。カエデは優しく、しかし、力強く頷いてみせた。歌姫たちは、この決勝で、もしアリアに何かあったときの控えとして、待機している。
観客席の、最も良い位置。最前列の一等地には、豪華なドレスに身を包んだセレーナが座っていた。派手な髪飾りや煌びやかなアクセサリーが、彼女の顔周りを飾っている。一見すれば、ただの美しい淑女。だが、その目は、戦いの始まりを待ちきれない、飢えた獣のようにぎらついていた。セレーナは、身体中が熱くなるのを感じている。しかし、その淑女らしい微笑みを絶やさず、話しかけてくる男性客にも愛想よく対応する。
そこへ、真紅のドレスに身を包んだイザベラが現れた。彼女は、セレーナの隣に立つと、柔らかな声で話しかける。
「セレーナ、少し、お話があるのだけど?」
イザベラの言葉に、セレーナは僅かに眉をひそめる。
「あら、イザベラじゃない。どうかしたの?また変な誘いかい?」
「先日、お誘いした件よ。貴女の意思を聞かせてもらえないかしら。」
イザベラは、核心に触れる言葉を投げかけた。その口元には、変わらず、柔らかな微笑みが浮かんでいる。
セレーナが何か答えようとする。しかし、イザベラはそれを、そっと手で制した。
「まあ、急ぎの用でもないわ。この決勝……いや、このお祭りが終わってからで構わないわ。」
イザベラの顔に、不敵な笑みが浮かぶ。まるで、セレーナがどのような答えを出しても、彼女の計算通りであると確信しているかのようだ。セレーナの顔に、不審の色が浮かんだ。彼女は、イザベラが何を企んでいるのか、完全に掴むことはできなかった。だが、その奥底に潜む、途方もない計画の一端を感じ取っているかのようだった。
派手な場内アナウンスに続いて、決勝戦の開始を告げるゴングが鳴り響いた。
【FINAL MATCH - 開始!】
レイは、ノワールのコックピットの中で、その端正な顔に自信を漲らせていた。自らの体に流れるDARKコアの無限の力を信じている。彼は、カイトを、そして、全ての人間を見下すかのような表情で、アリーナに、静かに響くように、宣言する。
「貴様は……この愚かな星で、虚飾に塗れた夢を見続ける、憐れな存在。」
レイは、一瞬の静寂の後、不気味な笑みを浮かべ、さらに続ける。
「この愚か者に……特別に、貴様の得意なフィールドで戦ってやる。」
その言葉とともに、ノワールは、漆黒のエネルギーを収束させ、両手に二本の剣を出現させた。
【ノワール:虚無剣舞】
それは、零自身が生み出した、純粋な闇の剣。まるで影を切り取ったかのように黒く、しかし、光の粒子の集まりによって形作られていることがわかる。
カイトの返答を待つ間も与えず、ノワールは一瞬で姿を消す。その異様な速さに、アリーナの空気が震える。
(速いっ……!?)
カイトが驚く間もなく、ベオウルフ・リベリオンの真横に、ノワールが出現した。高速での斬撃が放たれる。その漆黒の剣は、物理法則を無視したかのように、あらゆるものを切り裂いていく。
カイトは咄嗟に剣を構え、その一撃を受け止めた。激しい金属音がアリーナに響き渡り、火花が散る。その場に一陣の風が巻き起こった。ノワールは、まさに超人的な動きで、斬り込んでくる。高速での斬撃を連続して繰り出し、ベオウルフ・リベリオンの防御を突き破ろうとする。
「愚か者……」
レイは、冷たく呟く。まるで、カイトの戦い方を全て見透かしているかのように。
ノワールとベオウルフ・リベリオン、二機の激しい剣戟が続く。まるで、黒と白の線が交錯する点の集合のように、アリーナを舞台に壮絶な舞いを演じている。アリアは、カイトへの思いを乗せて、気持ちを爆発させる激しい熱唱を始める。彼女の歌声は、アリーナ全体を包み込み、ベオウルフ・リベリオンを加速させる。歌声が高まるほどに、カイトの身体とベオウルフ・リベリオンのDIVAコアが激しく共鳴する。その加速は、両者の一挙手一投足を、もはや肉眼では捉えきれない速度へと変えていく。
観客席で、セレーナは、息を呑んでその戦いを見つめていた。その目に映る光景は、彼女に深い衝撃を与えた。
(今のノワールの戦闘は、まさか……!?)
セレーナは、驚愕した。ノワールの動きは、彼女自身の戦闘スタイル、クリムゾンロードのそれと寸分違わない。まるで、彼女自身の戦術を、完璧にコピーされているかのようだ。セレーナは、以前、レイとの戦闘の最後に、覚醒したノワールの羽根に包まれたときに思考を読まれていたのだった。まさか、あの短時間で、そこまで深部にまで及んでいたとは。
最初は驚愕したセレーナだったが、徐々に、戦いの様子に引き込まれていく。まるで、自分が戦っているかのように、彼女の体が熱くなっていく。喉が渇き、口元が引きつる。そして、指先がピクリと震える。脳内に直接語りかけてくるような戦闘狂と化していくセカイ。
激しい剣戟が続く。互いの刃が交錯するたびに、空間が歪むかのような轟音がアリーナに響き渡る。その壮絶な戦いの中で、カイトの「先読み」の力が発動し、レイの虚無剣舞の動きを捉え始めた。未来を読む能力は、一瞬の判断を彼にもたらす。
徐々にカイトが有利になっていく。
(まさか……私が、あの人形野郎に……)
セレーナは、関節的に自分がカイトに勝てなかったことを知り、大きな衝撃と、僅かなショックを受ける。強さだけを追い求めてきた彼女の、心の奥底に、新しい感情が芽生え始めたかのようだった。
ノワールのコックピットで、レイが、黒い瞳をカイトに向けて呟く。
「そろそろ……頃合いですね。」
その言葉とともに、レイは、DARKコアを完全に覚醒させる。彼の肉体から放たれる漆黒のオーラは、まるで、生きているかのように蠢き、アリーナ全体を覆い尽くしていく。漆黒の翼が、彼の背中に生え、彼は完全に黒き堕天使へと変貌を遂げた。
【ノワール:黒曜天降】
闇の力を解放し、無数の黒いエネルギーの塊を放つ「DARKショット」や、光すら飲み込む漆黒の穴、「ブラックホールキャノン」を生成し、カイトを圧倒し始める。ノワールから放たれる虚無の波動は、空間そのものを歪ませ、ベオウルフ・リベリオンの回避を困難にさせていく。追い詰められるカイト。ベオウルフ・リベリオンは、辛うじて攻撃を防いでいたが、その全身は、刻々と疲弊していく。関節部から、激しい火花が散り始め、軋むような音が響き渡った。
メンテナンスエリア。ユキは、モニターに映し出されるベオウルフ・リベリオンの劣勢な状況を見て、顔を蒼白にする。彼女の指先は、硬直したかのように、震えていた。手には、ベオウルフを強制的にセーフモードにするトリガーを握りしめている。それは、もしもの時の、最終手段だ。
「カイト!無理しないで……!!」
ユキは、必死に叫んだ。彼女の脳裏に、かつて、ムーの地で見た、惨劇が蘇る。もう二度と、大切な人を失いたくない。その一心で、叫び続ける。
歌唱ブースで、アリアは、控えにいる歌姫たちに声をかける。
「みんな!力を貸して!カイトさんを、助けて!」
アリアの声は、悲痛だ。しかし、そこには、確かな希望が込められていた。
「当然よ!」
エマが、まっすぐにアリアを見つめ、頷く。その表情は、いつになく真剣だ。
「望むところだわ!あたしたちだって、伊達に歌ってるわけじゃないんだから!」
ユナが、悪態をつきながらも、高らかに叫ぶ。
「行くわよ!」
シアンの声は静かだが、その瞳には、強い決意が宿っていた。
「みんなで歌えば、最強だから!」
リンが、満面の笑みで、アリアを見つめる。
「ええ。この命尽きるまで……歌いましょう。」
カエデが、古風な言葉遣いで、静かに応えた。
エマ、シアン、リン、カエデ、ユナ。6人の歌姫による戦歌が始まった。それぞれの個性的な声が重なり合い、アリアの歌声を中心に、アリーナ全体を包み込む。それは、まるで、夜空に輝く星々の合唱。
**《希望よ、光よ、今、ここに集え》**
**《その魂を、天へと捧げ、未来を照らせ》**
**《絶望を打ち砕き、今、奇跡を》**
歌姫たちの歌声が、ベオウルフ・リベリオンの白い関節部を光り輝かせ始めた。カイトは、歌姫たちの歌声に後押しされて、再び、力を振り絞る。体中を駆け巡るエネルギーは、これまで経験したことのない、圧倒的な奔流だ。
ユキは、スイッチを押すのを忘れ、ただ祈るように、カイトを見つめていた。その瞳からは、涙がこぼれ落ちる。
「……カイト……!」
彼女の瞳に、かすかな希望が宿る。
歌姫たちの歌声が、一つになった時、奇跡が舞い降りた。エネルギーの奔流が、ベオウルフ・リベリオンを包み込む。漆黒の機体は、その身を白いベールで覆われ、まるでバルキリアのような、神々しいシルエットへと変貌する。
【ベオウルフ・リベリオン:オーバーブレイク】
ついに、カイトは、オーバーブレイクの領域に到達したのだ。
光の奔流となったベオウルフ・リベリオンは、まるで分身するかのように、無数の残像を残しながら、ノワールの手数を事前に叩き潰していく。分身のような機体が同時に出現し、そのたびに、レイのノワールにダメージを与えていく。ダークエネルギーですべての空間内の現象をコントロールしていたノワールだが、ベオウルフ・リベリオンの挙動は、それに追いつけない。
(まさか……時を超えているのか……!)
レイは、驚愕の声を上げた。未来を読むカイトの能力は、既に時を越え、ノワールが行動を決定するその寸前に、ダメージを与えているかのようだ。自身の創造した空間で、予測不能な攻撃を受けているという現実に、彼の顔に、微かな動揺がよぎる。
(……この力が……)
レイは、ベオウルフ・リベリオンの攻撃を受けながら、自身の限界を知る。
ベオウルフ・リベリオンの紅蓮の剣が、唸りを上げて、ノワールの装甲に叩きつけられる。金属が軋み、火花が散る。その一撃で、ノワールの左腕が、音を立てて切り落とされた。
【ノワール——機能停止】
【パイロット——自動脱出システム、起動】
ノワールは、力なくその場に膝をつき、そのまま、静かに機能を停止した。
試合終了。ベオウルフ・リベリオンの勝利が確定する。
アリーナには、静寂が訪れる。
そして、その静寂を打ち破るように、爆発的な歓声が沸き起こる。観客は、奇跡の瞬間に立ち会い、その熱狂は、エジプト全体を包み込むほど、大きく、温かだった。
歌唱ブースでは、歌姫たちの目には、大粒の涙が伝っていた。互いの顔を見合わせ、笑みを浮かべ、喜びを分かち合う。
管制室では、ユキが安堵の息を漏らした。その瞳には、確かな希望が宿っていた。
そして、イザベラはといえば、人知れず笑みを深める。
「おもしろくなってきやがったなぁ……!」
高揚に身を任せ、セレーナはそう呟いた。その瞳の奥底には、激しい炎が宿っていた。
そんな、喧騒をよそに、アリアは祈るように目を瞑った。
静寂の中、そっと、微笑んだ。
そんなアリアの姿を見つめ、カイトは力強く拳を握りしめ、俯いていた顔をゆっくりと上げて、叫んだ。
「——うおおおおおおお——」
その瞬間、アズラエルのもとに、急報が届いた。
「アズラエル様!未確認の星装機と兵士が、ピラミッドを急襲しています!」
それは、新たな動乱の始まりを告げる、非常な報せだった。




