第三試合:翠星、黒炎、そして虚無
一夜明けて、彗星庭園のアリーナは、昨日の戦いの興奮が嘘のように、神聖な儀式の舞台と見紛うばかりの静寂に包まれていた。
やがて、重い空気を切り裂くように、軽快なアナウンスが響き渡った。
「さあ、皆さんお待ちかね!星歌祭、第三試合!光と闇の協奏曲!可憐なる氷華、アイリス!に対し、深淵より来たる者、零!さあ、闇を切り裂き、光を掴むのは一体誰か!?刮目せよ!!」
興奮気味に、今大会のルールと選手を紹介していく。観客の期待と興奮が、最高潮に達していくのがわかる。
「まずご紹介するのは、愛と正義を胸に抱く氷の華!ノアⅡ代表、アイリス・ヴィオレット!必殺技は、その熱情を炎に変える、バーニング・ハート!!」
氷雪を思わせる、青白い照明が灯ると、純白の機体が姿を現す。紅蓮の炎を身に纏い、神々しいまでに輝くバーニング・ハート。その神聖な雰囲気に、誰もが息を呑んだ。
「対するは、深淵より来たりし漆黒の使者!その正体を知る者はいない! ただ、闇の力で、対戦相手を絶望の淵に突き落とすという……。ノアⅥ代表、零!!」
翠玉の光が消失すると同時に、会場を飲み込む漆黒の闇。悪魔の咆哮を彷彿とさせる重低音が響き渡り、不安と恐怖が観客を飲み込む。
漆黒の機体——ノワールが現れる。
異形とも呼べるそのシルエットは、見るものに畏怖の念を抱かせる。
その機体から、熱のようなものを感じ取ることはできない。 ただ、冷たい静寂が、そこにあるだけだった。
「さあ、皆さん!運命のゴングが、今、鳴り響きます! 勝利を掴むのは、光か、それとも闇か!? 刮目せよ!!」
高揚感を煽る言葉とともに、ゴングが鳴り響いた。
【第三試合:開始】
開始の合図とともに、アイリスは、バーニング・ハートを起動。身を焦がすような熱情を、エネルギーへと変換し、機体を紅蓮の炎で包み込む。
その光景は、美しくも、また、残酷だった。
アイリスは、特製の銃「フレイムタン」を構え、狙いを定める。銃身が真っ赤に燃え上がり、白い炎を纏った炎弾を放つ。その弾道は、真っ直ぐにノワールのコックピットを目指す。
「燃え盛る炎華よ、我を導け!」
高らかに響き渡る声とともに、炎弾は、漆黒の機体へと吸い込まれていく。
一方、零は、動かない。 ただ、静かに、闇を見つめている。その翠玉の瞳に、感情は宿らない。
【DARKコア、起動】
漆黒のオーラが、ノワールの周囲に、円形のシールドを形成した。それは、光すらも拒絶する、絶対的な闇の壁。
炎弾は、シールドに命中する直前、まるで、吸い込まれるかのように、その輝きを失い、闇の中へと消え去った。
「何……!?」
アイリスは、驚愕の声を上げた。自身の一撃が、何の抵抗もなく、無効化されたことに、戸惑いを隠せない。
その隙を見逃さず、ノワールは、弾をかいくぐるように、瞬時にバーニング・ハートへと肉薄した。漆黒の機体は、その身を低くし、獲物を狙う獣のように、俊敏な動きで迫る。
そして、その鉤爪が、バーニング・ハートの特製銃を捉えた。
金属が軋む、嫌な音。
「っ……!」
アイリスの顔が、苦痛に歪む。銃が破壊される。愛用のフレイムタンは、零の鉤爪によって、無残にも引き裂かれていた。
「……無駄だ。」
零の冷たい声が、コックピットに響き渡る。その無感情な響きは、アイリスの心を、凍てつかせる。
だが、アイリスは、ここで諦めるような女ではない。
「ふざけないで!!」
叫びと共に、バーニング・ハートは、右腕から炎を纏った剣「緋炎剣ヒエンケン」を抜き放った。その刃は、見る間に赤く燃え上がり、周囲の空気を歪ませるほどの熱量を放つ。
「この力で、あなたを、焼き尽くしてやる!!」
アイリスは、緋炎剣を振り上げ、ノワールに斬りかかった。その一撃は、全てを切り裂くほどの、凄まじい熱量を帯びている。
しかし、ノワールは、その攻撃を、冷静に、鉤爪で受け止めた。
「なっ……!?」
アイリスは、目を見開いた。
その緋炎剣は、星をも切り裂くと言われる、最強の炎剣。どんな物質も、一瞬で蒸発させるほどの高温を誇る。それが、目の前の鉤爪によって、いとも容易く受け止められたのだ。
ノワールの鉤爪もまた、黒いエネルギーを纏っていた。それは、緋炎剣の炎を吸収し、その輝きを失わせるかのように、闇を深めていく。
両者は、一瞬、拮抗する。炎と闇の衝突が、アリーナ全体に、衝撃波を巻き起こした。
しかし、零は、その衝撃に、微動だにしない。
「……終わりだ。」
零の声が、静かに響く。
その言葉とともに、ノワールは、鉤爪を外し、バーニング・ハートから距離を取った。
アイリスは、好機と見て、追撃に移ろうとする。だが、その時、零の鉤爪の中心部分から、漆黒の光弾が放たれた。
それは、光すらも飲み込む、小さなブラックホール。
【虚無創造】
「何……!?」
アイリスは、戦慄した。迫り来る破滅の象徴。それは、触れたものを全て消滅させる、まさに、絶望そのものだった。
しかし、アイリスは、ここで諦めるわけにはいかない。
「そんなものに、私の炎は、消させない!!」
アイリスは、緋炎剣に、残された全てのエネルギーを集中させた。緋炎剣が、これまで以上に激しく燃え上がり、その輝きは、闇を切り裂かんばかりに強さを増す。
「星をも切り裂く、この一撃を——!!」
アイリスは、雄叫びを上げながら、緋炎剣を振り下ろした。
【バーニング・ハート:スターバースト・スラッシュ】
緋炎剣から放たれた灼熱の斬撃は、虚無の光弾を、真っ二つに切り裂いた。
だが、その代償は大きかった。アイリスの表情は、疲労の色に染まり、機体の動きにも、明らかな鈍さが見え始めていた。
(……このままでは、ジリ貧だ……!)
アイリスは、そう感じていた。零は、まだ、本気を出していない。その底知れぬ力に、アイリスは、恐怖を感じ始めていた。
それでも、彼女は諦めなかった。
「……こんなところで、終わるわけにはいかない……!私の炎は、まだ、燃え尽きていない……!!」
アイリスは、震える手で、コックピットのコンソールに手を伸ばした。そして、躊躇うことなく、赤いボタンを力強く押す。
【リミッター解除——承認】
機械的な音声が響き渡ると同時に、バーニング・ハートの機体から、眩い光が放たれた。
「燃え盛る魂よ……!今こそ、私に、力を……!!」
アイリスの高らかな叫びに呼応するように、バーニング・ハートの背部に、炎の翼が、その姿を現したのだ。
その姿は、まるで、炎を纏った不死鳥。美しくも、そして、力強い。
「……これが、私の、最後の炎……!!」
アイリスは、緋炎剣を構え、バーニング・ハートを加速させる。
【バーニング・ハート:フェニックス・ダイブ】
炎の翼を広げ、アリーナを縦横無尽に駆け巡る。そのスピードは、凄まじく、残像しか捉えることができないほどだ。
そして、渾身の一撃を込めて、ノワールに斬りかかった。
「これで、終わりよ!!」
アイリスの声が、アリーナに響き渡る。
迫り来る炎剣に対し、零は、静かに、両手の鉤爪を合わせた。
漆黒のエネルギーが、鉤爪の中心に収束し、巨大な黒い弾丸へと姿を変える。それは、光すらも飲み込む、虚無の塊。
【ノワール:虚無喰らい(ヴォイドイーター)】
緋炎剣が、黒い弾丸に命中する。
しかし、弾丸は、その衝撃をものともせず、炎剣を、まるで、餌を貪るかのように、飲み込み始めた。
「……嘘……!?」
アイリスは、信じられないといった表情を浮かべた。自らの魂を込めた一撃が、何の抵抗もなく、無効化されたことに、絶望する。
黒い弾丸は、さらに大きくなり始め、バーニング・ハートの腕部を、徐々に、飲み込んでいく。
「……っ!?」
アイリスの顔が、苦痛に歪む。精神が、直接攻撃されているかのような、激しい痛みが、彼女の脳を揺さぶる。
その時、零のコックピットに、通信が入った。
【ニコ:レイ!!まずいですよ!そのままだとコアが暴走します!!】
ニコの声は、焦燥に満ちていた。零の身を案じる、切羽詰まった声。
しかし、零は、その通信を無視した。
ニヤリと笑みを浮かべると、空中に、虹色の文字を描き出す。その文字は、見る間に輝きを増し、零の精神と、ノワールのDARKコアを、さらに深く、共鳴させていく。
【零:虚無創造】
文字が完成すると同時に、零は、その手を払った。
すると、巨大な黒い弾丸は、まるで、最初から存在しなかったかのように、忽然と消え去ったのだ。
その瞬間、アリーナ全体に、静寂が訪れる。
しかし、バーニング・ハートの右腕は、完全に消失していた。飲み込まれたものは、跡形もなく消え去り、漆黒の闇だけが、その存在を証明していた。
「あ……」
アイリスは、呆然と、自身の腕を見つめた。
【バーニング・ハート——機能停止】
【パイロット、イジェクト】
無機質な合成音声が、虚しく、アリーナに響き渡る。
熱を失ったバーニング・ハートは、膝を突き、その機能を停止した。そして、そのコックピットから、アイリスの体が、ゆっくりと、排出されていく。
(……私は……)
意識が遠のいていく中、アイリスの瞳には、ただ、暗黒の世界が広がっていた。
【第三試合:終了】
冷たいアナウンスが、全てを締め括る。
熱狂も、興奮も、高揚感も、全てを飲み込み、静まり返った世界で、零は、一体何を想う——。
「レイ!!」
通信越しに聞こえる、切羽詰まった叫び。
しかし、零の表情は変わらない。
「任務、完了——」
そう呟くと、意識を手放した。
そして、崩れ落ちるように、コックピットの中で、その身を委ねた。
「レイ!!」
通信が途絶える。
焦燥に駆られ、自席を蹴り上げると、ニコは、零の元へと、駆け出した——。
他者の感情を理解できない、哀れな人形は、狂気の淵で、何を見る——




