虚飾の檻、天使の咆哮(改)
巨大移動都市ノアⅣの中層区画。ここは、鉄と油の匂いが染み付いた下層とは別世界のような、虚飾に満ちた繁栄の象徴だ。
空を覆う人工天蓋にはホログラムの星空が投影され、林立する高層ビル群は極彩色のネオンサインを点滅させている。その眩い光は、この都市の足元に広がる貧困と格差、そしていつ他都市との戦争が始まるか分からない恐怖を覆い隠すための、分厚い化粧のようだった。
その一等地に鎮座する、多目的ホール「クリスタル・ドーム」。
透明度の高い強化樹脂で作られたドーム状の天井は、人工の星空を透過させ、観客たちに「自分たちは選ばれた人間だ」という錯覚を与える。今宵、約四百人を収容するその空間は、爆発寸前の殺気にも似たエネルギーを孕んでいた。
観客席を埋め尽くすのは、上層階級の市民や、今日ばかりはと着飾った中層の人々。彼らの瞳は一様に充血し、喉は渇き、獲物を待つ飢えた獣のようにステージを凝視している。
彼らが求めているのは、単なる娯楽ではない。平和ボケした日常で鈍った「本能」を呼び覚ます、血沸き肉躍る昂揚感だ。
——ズン、ズン、ズン……。
重苦しい静寂を切り裂き、フロアの底から響く重低音。それは巨大な心臓の鼓動のように、観客の心拍数とシンクロしていく。
ステージ背後に設置された巨大なホログラフィックスクリーンには、幾何学模様が複雑に絡み合う紋様が浮かび上がった。それは単なる演出映像ではない。現在、軍事区画で極秘裏にテストされている星装機用OSの同調モニターだ。
『DIVA System : Phase 1 - Synchronization Start...』
無機質な文字がスクリーンに踊る。
それを合図に、観客たちの興奮は臨界点へと達する。
「来い……! 見せてくれ、俺たちの女神!」
「その歌で、俺たちの魂を燃やしてくれ!」
悲鳴にも似た歓声。
そして、その瞬間は訪れた。
会場の照明が一斉に落ち、漆黒の闇がドームを支配する。
一拍の静寂の後、天頂から一筋のスポットライトが垂直に降り注いだ。
ステージ中央、光の中に浮かび上がるシルエット。
アリアだった。
その姿に、会場全体から息を呑む音が漏れ、直後に地響きのような歓声へと変わる。
彼女が纏っているのは、普段の清楚な白いワンピースではない。身体のラインを扇情的に強調した、漆黒のボンテージ・レザースーツ。露出した肌は白磁のように白く、無骨な黒い装甲とのコントラストが、彼女の可憐さと、同時に内包する危うさを際立たせていた。
プラチナブロンドの髪には、微細な発光粒子が散りばめられ、スポットライトを浴びて妖しく輝く。
その姿は、人々に癒しを与える天使ではない。戦場に舞い降り、戦士を死地へと駆り立てる戦乙女そのものだった。
アリアはゆっくりと顔を上げ、会場を見渡す。
その翠玉の瞳は、スポットライトよりも強く、冷たい光を放っていた。それは、彼女自身の意志か、それともシステムによって増幅された「何か」か。
彼女はマイクスタンドを乱暴に握りしめると、静かに、だが会場の隅々まで響き渡る声で囁いた。
「……クリスタル・ドームの、ケダモノども。」
アリアの唇が吊り上がり、挑発的な笑みを形作る。
その言葉は、観客への侮蔑であり、同時に彼らの奥底に眠る獣性を解放するためのスイッチだった。
「魂を燃やし尽くす覚悟は、できてるんだろうな?」
アリアが両手を広げ、煽るように叫ぶ。
観客たちは我を忘れ、拳を突き上げ、名前を叫ぶ。彼らの精神から溢れ出る闘争心の波動が、目に見えないデータとなってステージへと収束していく。
スクリーンのグラフが跳ね上がる。
『DIVA System : Battle Resonance Rate 120%... Increasing』
「持てる力の全てを、この歌にぶち込め! テメェらの殺意を、オレに寄越せッ!」
アリアが拳を高く突き上げると同時に、背後のバンドメカが爆音を轟かせた。
激しいディストーション・ギターと、内臓を揺さぶるドラムビート。
アリアは、その轟音に負けないほどの力強さで、戦歌を歌い始めた。
(歌姫の声:)
**「罪深き血潮よ、滾れ!**
** 虚無を焦がす炎となれ!」**
彼女の歌声は、特殊な周波数を含んでいた。
ノアⅣの研究主任、イザベラが開発した「ディーバシステム」。それは、歌姫の歌声を触媒として、人間の闘争本能や高揚感を、星装機の稼働エネルギーへと変換・同調させる軍事技術。
今、この会場にいる四百人の観客は、ただライブを楽しんでいるのではない。彼らの「興奮」こそが、最新兵器を動かすための実証データとして収集されているのだ。
**「剥き出しの魂、震わせ!**
** 刹那の煌めき、刻み込め!」**
アリアの声がオクターブ上がり、シャウトへと変わる。
スクリーンには、上昇し続ける共鳴ゲージが表示され、メーターが危険域の赤色に達した瞬間、ホール全体が閃光に包まれた。
観客の脳内には、架空の戦場での高揚感が植え付けられ、彼らは狂ったように叫び、踊り、己の精神をアリアへと同調させていく。
「もっと! もっと叫べ! オレの歌に、喰らいつけ!」
アリアはモニターに足をかけ、さらに観客を煽る。
汗が飛び散り、プラチナブロンドの髪が乱れる。その表情は恍惚としているようで、どこか悲痛な叫びを上げているようにも見えた。
(アリアの深層心理:)
(……違う……これは、私の歌じゃない。)
熱狂の渦の中心で、アリアの心の奥底にいる「本当の自分」が、小さく呟いていた。
人々の心を癒すはずの歌が、ここでは争いを煽り、誰かを傷つけるための刃を研ぐ砥石となっている。
こんな歌を歌うために、私は選ばれたの?
イザベラ先生は言った。『あなたの歌声は特別よ。このノアの守護神を目覚めさせる鍵なの』と。
けれど、目の前の光景はどうだ。人々は救われるどころか、破壊衝動に浮かされ、獣のように吠えている。
**「甘美なる絶望、味わえ!**
** 狂気の宴を、咲かせ!」**
喉が焼けるように熱い。
首元に埋め込まれたディーバシステムの制御デバイスが、微かに熱を発している。それが、アリアの意思とは裏腹に、彼女の精神を攻撃的な方向へと強制的にチューニングしていく。
(……痛い。苦しい。誰か……)
誰か、この偽りの熱狂から、戦いの螺旋から、私を連れ出して。
脳裏に浮かぶのは、まだ見ぬ誰かの面影。
孤独な暗闇の中で、同じように傷つきながら、それでも抗おうとする、誰かの姿。
「もっと! テメェらの魂を、全部オレに叩きつけろォォッ!」
アリアは心の声を押し殺し、絶叫した。
その叫びは、システムの制御を越え、彼女自身の魂の悲鳴となって、クリスタル・ドームの天井を突き抜けていった。
◇
ライブが終わり、喧騒が遠のいていく。
アンコールの声が鳴り止まぬ中、アリアは逃げるようにステージを降りた。
足元がふらつく。
スタッフに支えられながら、彼女は楽屋へと向かう長い廊下を歩いていた。
豪華な調度品で飾られた専用の控え室。
重厚な扉が閉まると、アリアは鏡の前で崩れ落ちるように椅子に座り込んだ。
鏡に映っているのは、厚いメイクと黒い衣装に身を包んだ、知らない女。
荒い呼吸を繰り返すたび、胸の奥が軋むような痛みに襲われる。
「はぁ……はぁ……ッ。」
アリアは震える手で、首元のデバイスに触れた。熱は引いているが、そこには冷たい異物感が残っている。
このデバイスを通じて、彼女の歌声は都市のメインフレームへ、そして地下深くに眠る「何か」へと送信された。
今日のライブで得られた膨大な闘争データは、次なる兵器開発の礎となる。
アリアは立ち上がり、ふらつく足取りで窓際へと歩み寄った。
防弾ガラスの向こうには、ノアⅣの夜景が広がっている。
煌びやかなネオンサイン、行き交うエアカーの光の川。人工的な繁栄。
しかし、その光の維持には、他都市との資源争奪戦に勝ち抜くための「武力」が必要不可欠なのだ。
ノアⅣは技術と野心の都市。だが、軍事力において他都市からの脅威に晒されているのも事実。
私の歌が、ディーバシステムが完成しなければ、この街はいつか他のノアに蹂躙され、滅びてしまう。
守るための力。そのためには、心を鬼にして歌うしかないのか。
「……でも、私が歌わなければ、この街は……。」
アリアは、窓ガラスに額を押し当てた。
彼女の歌声から生成される高純度の共鳴データこそが、ノアⅣの最強戦力「星装機」を起動させるための唯一の鍵。
もし彼女が歌うことを拒否すれば、ノアⅣは牙を失い、真っ先に餌食となるのは、この煌びやかな街と、その下で暮らす多くの人々だ。
(アリアの心の声:)
「……私は、歌い続けるしかない。」
たとえそれが、自分の望む歌でなくても。
戦場に屍の山を築くための鎮魂歌だとしても。
それが、唯一の「歌姫」として生まれた、私の使命だから。
アリアはガラスに映る自分の顔を見つめた。
派手なメイクの奥にある瞳は、どこまでも澄んでいて、そして深く悲しい色をしていた。
「……いつか。」
彼女は小さく呟いた。
「いつか、本当の歌を……誰かを傷つけるためじゃなく、守るための歌を、歌いたい。」
夜空を見上げる。
人工天蓋の向こう側、本当の空には、冷たい月が静かに輝いているはずだ。
その月が、まるで実験動物を観察するように自分たちを見下ろしていることなど、アリアはまだ知らない。
コンコン。
控え室のドアがノックされ、無機質なスタッフの声が告げた。
「アリア様、イザベラ主任がお呼びです。次回の『バルキリア起動実験』の件で、至急ラボへ、とのことです。」
アリアは瞳を閉じた。
深呼吸を一つ。
目を開けた時、そこにはもう、迷える少女はいなかった。
戦場の女神としての仮面を被り直し、彼女は力強く答えた。
「……はい、今行きます。」
運命の歯車は、残酷な音を立てて回り続けている。
彼女が、その運命を共有する孤独な少年——カイトと出会い、真の「力」に目覚める瞬間は、もうそこまで迫っていた。




