静寂ノ歪
昨夜の激戦が嘘のように、静寂が訪れたノアⅣの下層区画。カイトの簡素なアパートは、ひっそりと眠りについていた。
泥のように眠るカイトは、しかし、安らかな眠りについているわけではなかった。
(燃え盛る炎…妹の叫び声…両親の絶望した顔…嘲笑する兵士たち…)
悪夢。破壊された棄民都市ムーの光景が、繰り返し、彼の脳裏に蘇る。黒煙が立ち込め、全てを焼き尽くす炎。愛する家族の悲痛な叫び声。そして、希望を打ち砕く絶望的な光景。
幾度となく繰り返される悪夢。それは、カイトの心の傷跡を、容赦なく抉り出す。過去のトラウマは、今もなお、彼の魂を蝕み続けていた。
突然、情報端末のけたたましい呼び出し音が、眠りを妨げる。カイトは、飛び起き、苦悶の表情を浮かべた。
「…またか。」
カイトは、忌々しそうに呟きながら、情報端末を手に取った。画面には、ユキの名前が表示されている。
カイトは、端末を操作し、通話を繋げた。
「…ユキ、何か用か?」
「カイト、起きてる?朝ごはん買ってきたんだけど。」
ユキの声は、明るく、元気いっぱいだった。しかし、カイトの耳には、どこか無理をしているように聞こえた。
「…ああ、今行く。」
カイトは、そう答えると、通話を切断した。そして、重い腰を上げ、ベッドから起き上がった。
乱雑に散らかった私室。壁には、ベオウルフの写真や設計図が貼られ、足元には、工具やジャンクパーツが散乱している。まるで、整備ドックをそのまま持ってきたかのような、無頓着な部屋だった。
カイトは、身につけていた薄汚れたTシャツを脱ぎ捨て、近くにあった粗末なスポーツウェアに身を包んだ。体にフィットしたウェアは、彼の鍛え上げられた肉体を露わにし、精悍な雰囲気を醸し出す。
カイトは、軽く寝癖を直し、部屋のドアを開けた。
「…おはよう。」
目の前に立っていたのは、幼馴染のユキだった。彼女は、いつものように、明るい笑顔を浮かべている。
「おはよう、カイト。って、ちょっと!いくらなんでも、その格好は酷くない!?ほとんど裸じゃない!」
ユキは、カイトの姿を見るなり、顔を赤らめ、声を上げた。
ユキは、小さな紙袋をカイトに差し出した。
「ほら、朝ごはん。サンドイッチとコーヒー、買ってきたよ。」
「…ああ、ありがとう。」
カイトは、ユキから紙袋を受け取り、中身を確認した。香ばしいパンの香りと、温かいコーヒーの匂いが、空腹を刺激する。
ユキは、カイトの横顔をじっと見つめた。
「…昨日の試合。カイト、凄かったね。」
「…ああ。」
「…でも、無理はしないでね。体に負担がかかりすぎてるみたいだし…」
ユキの声は、優しく、心配そうだった。しかし、カイトは、その視線から逃れるように、そっぽを向いた。
「…大丈夫だ。心配ない。」
カイトの言葉は、そっけない。彼は、ユキの優しさが、少しだけ、重荷に感じていた。
ユキは、小さくため息をついた。カイトの頑なな態度は、いつものことだ。しかし、それでも、彼女は諦めることはなかった。
「…ねえ、カイト。今日、街に出かけない?前に、一緒に行こうって約束したじゃない?」
ユキは、明るい声で、そう提案した。
「…街、か…」
カイトは、少し戸惑った様子を見せた。
「たまには、気分転換も必要だよ。ね?お願いだから、付き合ってよ。」
ユキは、カイトの腕を掴み、必死にお願いする。その瞳には、強い懇願の色が宿っていた。
カイトは、ユキの瞳を見て、小さく微笑んだ。
「…わかった。少しだけなら、付き合ってやる。」
「本当!?やったー!あ、でも、その格好じゃダメ。もっと、ちゃんとした服に着替えて。ほら、あっちにあるジャケット、着てみなよ。」
ユキは、カイトの背中を押し、クローゼットへと誘導する。
「おいおい、まさか、お前、俺の服まで…」
「当たり前でしょ!幼馴染なんだから、それくらいお見通しよ!さ、早く着替えて!女の子の前で裸になるなんて、絶対に許さないからね!」
ユキは、両手を腰にあて、仁王立ちになった。その迫力に、カイトは、思わずたじろいだ。
「…わかった、わかったから。ちょっと待ってろ。」
カイトは、ため息をつきながら、クローゼットに向かった。
ユキは、カイトの背中を見つめ、小さく微笑んだ。少しだけ、若者らしい、穏やかな時間が流れていた。
一方、ノアⅣ上層区画に位置する、イザベラの研究室。昨夜の激戦のデータが、所狭しと並ぶモニターに映し出されていた。
「フフフ…これは、面白いことになってきたわね。」
イザベラは、モニターを見つめながら、ほくそ笑んでいた。
「ベオウルフ・リベリオン…リミットブレイクに至るまでの時間が、明らかに短縮されている…アリアの歌声との共鳴も、さらに深まっている…」
イザベラは、リミットブレイク発動までの時間短縮と、アリアの歌声との共鳴が深まっていることに、注目していた。
「本来、DIVAシステムは、歌手の歌によって外部からエネルギー支援を受け、機体の能力向上をはかる目的で作られた… PSYCHOコアのように、搭乗者本人の能力に依存するタイプとは全く異なるコンセプトのはずだった…」
彼女は、過去の設計思想を思い起こす。
「しかし…バルキリアの暴走によって明らかになったオリジナルのDIVAは、歌い手の力を使うだけではなく、搭乗者本人の心をスキャンして精神エネルギーを搾り取り、機体のエネルギーに変えているとしか思えない…」
イザベラの瞳に、狂気が宿る。
「そう…ディーバⅢは、その機能を擬似的にシュミレートした、リミッター付きのパイロット喰らいのシステム… それを使いこなしているというのなら…やはり彼はとんでもない…!」
使えば使うほど、パイロットへの負担が増大し、期待は強くなるが、その影響は未知数だという。
(やはり、カイトは…最高傑作になる…)
イザベラは、満足げに頷いた。彼女にとって、カイトは、単なる実験体ではなく、自身の研究を完成させるための、最後のピースだった。彼女は、そのピースを手に入れるためなら、手段を選ばない。それが、彼女の狂気であり、そして、天才たる所以だった。
同じ頃、ノアⅣの中層区画。そこには、アリアが暮らす、簡素なアパートの一室があった。
外光が差し込むその部屋は、清潔に保たれており、所々に可愛らしい小物が飾られている。しかし、全体的には、少しばかり少女趣味が強い、どこかアンバランスな印象を受ける。アリア自身も、そのことに気づいており、少しばかり、コンプレックスを感じていた。
アリアは、情報端末を握りしめ、部屋の中を落ち着きなく歩き回っていた。端末の画面には、「カイト」という文字が表示されている。アリアは、カイトに連絡を取ろうかどうか、迷っていたのだ。
(何を話せばいいんだろう…どんな顔をすればいいんだろう…)
アリアは、頭を抱え、ベッドに座り込んだ。昨夜の戦いの後、彼女は、カイトに歌う意味を見つけることができた。しかし、同時に、ユキの存在を強く意識するようになった。彼女は、カイトにとって、特別な存在だ。そして、自分は、ただの歌姫に過ぎない。
アリアは、目を閉じ、深呼吸をした。
(ダメだ。考えても、答えは出ない… 少し、気分転換でもしよう。)
アリアは、意を決し、情報端末を置くと、部屋を出た。
いつも歩くルートを辿り、街の公園へ向かうアリア。休日ということもあり、公園は多くの人で賑わっていた。
いつものようにベンチに腰掛け、木陰で休息を取ろうとしたアリアは、ふと、小さな人だかりができていることに気づいた。好奇心を抑えられず、そっと近づいてみる。
人だかりの中心には、ベンチに座った女性がいた。彼女は、子供たちを相手に、簡単なゲームをしていた。
女性「どっちの手に入ってるか、わかるかな?」
女性は、楽しげに声を上げながら、手に握ったボールを左右に動かす。子供たちは、目を凝らし、ボールの行方を追う。
女性「さあ、みんなで考えて!次は、どっちの手に入ってるかな?」
子供たちは、何度も挑戦するが、何度やっても、女性の手に翻弄され、正解することができない。
(子供相手に、本気でやってる…?)
アリアは、少し呆れながら、その様子を見守っていた。その時、女性が顔を上げ、アリアと目が合った。
一瞬、時間が止まる。
「あれ、あんたは…」
女性は、アリアの顔をじっと見つめ、小さく呟いた。
その女性は、4ヶ月前の闘技場で、クリムゾンロードのパイロットとして、バルキリアの前に立ちはだかった、あの赤い機体のパイロット、セレーナ・ルナールだった。




