狂騒の深淵
ノアZEROのメンテナンスエリア。そこは、宇宙ステーションとは思えない、異様な空間だった。通常、整備エリアといえば、無機質な金属と油の匂いが立ち込める、殺風景な場所を想像するだろう。しかし、クリムゾンロード専用ハンガーは、その常識を覆していた。
重力制御システムによって、地球と同じ1Gの重力が保たれているのは当然として、ハンガーの一角には、4畳半ほどの畳が敷かれ、その上にこたつが置かれている。最新鋭のコンソールやモニター類が、その周りに無造作に並べられ、和とテクノロジーが奇妙に融合した、カオスな空間が広がっていた。
整備用のアームに固定されたクリムゾンロードは、真紅の装甲を輝かせ、静かに佇んでいる。その周囲には、半円状に武器ラックが設置され、双剣や槍、ロングライフル、マシンガンなど、あらゆる種類の武器が所狭しと並べられている。
このハンガーの主、ラプラスは、その異様な空間の中央で、過去の記録映像に見入っていた。
ラプラスは、空間に浮かぶコンソールに、次々と指示を送る。すると、モニターに映し出されたクリムゾンロードとバルキリアの立体映像が動き出し、3ヶ月前の闘技場での戦いを、まるで飽きもせず、何度も何度も、忠実に再現し始めた。
「…DIVA…歌の力で機体を制御するシステム…あの黒い炎、興味深い…」
ラプラスは、映像に釘付けになり、これまで数えきれないほど繰り返してきた分析結果を、改めて確認する。もはや、驚きはない。確信だけが、その瞳に宿っている。
クリムゾンロードは、ノアZERO直属の特殊部隊に所属する、強襲偵察機体だ。その最大の特徴は、量子転送システム。これにより、地球上のいかなる場所へも、瞬時に介入することが可能になっている。限界まで高められた機動性、あらゆる状況に対応できる豊富な武装。そして、何よりも、DARMAコアの存在が、クリムゾンロードを唯一無二の存在へと昇華させている。
DARMAコアは、パイロットの精神能力を増幅するPSYCHOコアを、カスタムメイドした特殊コアだ。セレーナの転送能力を飛躍的に向上させるだけでなく、極限状態では、彼女の潜在能力を覚醒させる可能性を秘めているという。
機体の全ての機能、そしてDARMAコアの改造は、ラプラスの手によるものだ。彼女は、その天才的なメカニック技術を駆使し、クリムゾンロードのポテンシャルを、限界まで引き出そうとしている。その執念は、狂気に近いと言えるだろう。
ラプラスは、映像を一時停止させ、詳細なデータが表示されたウィンドウを開いた。
(もはや確定事項だが…やはり、黒い炎の発生源は、ディーバシステムの異常な共鳴。バルキリアのエネルギー出力は、私の予想を遥かに超えている。)
分析結果が、次々と表示される。三百時間を超える過去の戦闘データ。その全てが、ラプラスの仮説を裏付けていた。
戦闘シーンが、再び動き出す。
黒い炎に淡く包まれたバルキリアが、突進してくる。それに対し、クリムゾンロードは、まるでダンスを踊るかのように、軽々と攻撃を回避していく。セレーナの操縦技術は、洗練されており、無駄な動きは一切ない。
(セレーナの空間認識能力を持ってしても、完全に予測することは不可能か…)
ラプラスは、分析結果を睨みつける。
次の瞬間、バルキリアの動きが、明らかに変化した。黒い炎が消え、瞳が青く変わると同時に、機体の速度が、数倍に跳ね上がったのだ。
セレーナは双剣を構え、バルキリアに襲い掛かる。そのスピード、その手数、全てが、常識を逸脱していた。
(転送能力を駆使しても、太刀打ちできないとはね…)
バルキリアは、まるで全ての攻撃を予知しているかのように、クリムゾンロードの攻撃を受け流していく。
その時、背後から声が聞こえた。
「また見てんのか、それ。」
振り返ると、セレーナが、腕を組み、呆れたような顔で立っていた。
「セレーナ…」
ラプラスは、心臓が跳ね上がるのを感じた。いつから、そこにいたのだろうか。
セレーナは、冷たい視線をラプラスに向けた。
「おい、ラプラス。私とのミュレーションよりも、そっちの方が面白いって言うのか?」
「そ、そんなわけないじゃないか!セレーナとの戦いは、いつだって最高に面白い!ただ、あの機体のデータも、今後の戦いに役立つかもしれないと思って…」
ラプラスは、早口で弁解した。セレーナの機嫌を損ねると、一体何が起こるかわからない。
セレーナは、ため息をついた。
「…まあ、いい。で、結局、何がわかったんだよ。」
セレーナは、モニターを指差した。
映像は、再び動き出す。
転送能力を駆使し、あらゆる角度から攻撃を仕掛けるクリムゾンロード。しかし、バルキリアは、その全てを予測し、いなしていく。まるで、セレーナの思考を読んでいるかのように。
(もはや、セレーナの操縦技術では、どうすることもできない。バルキリアは、完全に次元の違う存在へと進化している。)
ラプラスは、淡々と分析結果を口にする。
「ねえセレーナ、すんごい脳が疲れるのと、身体が疲れるの、どっちがいい?」
ラプラスは、唐突に、そんな質問を投げかけた。
「はあ?何言ってんだ、お前。そんなの、身体に決まってるだろうが。」
セレーナは、呆れたように答える。
「そうだと思った。」
再び、戦闘シーンが動き出す。
バルキリアは、止めどなく攻撃を繰り出す。クリムゾンロードは、辛うじて攻撃を防いでいたが、徐々に、追い詰められていく。
ラプラスは、独り言ちる。
「いつだって、機体性能の向上には、パイロットの負担を伴う。白いオーラを放つ歌い手…あの黒い炎…そして、青い瞳… 一体何が、バルキリアを、ここまでの存在へと変えたのだろうか…」
モニターに、戦闘終了の表示が現れる。クリムゾンロードは、エネルギー残量が少なくなったため、やむなく後退し、煙幕を張って、転送して姿を消したのだ。
ラプラスの独り言は、誰に届くこともなく、静寂の中に消えていった。
セレーナ「おい、いつになったらコイツとまた戦えるんだ?」
セレーナの瞳には、敗北の悔しさではなく、さらなる高みを目指すための決意が宿っていた。
ラプラス「バルキリアね、封印されたらしいよ。ノアⅣの上層部からの通達だ。」
セレーナ「ええ!?なんだよ、それ!」
ラプラスは、肩をすくめた。
「さあ、知らないね。けど、これで終わりじゃない。」
ラプラスは、ニヤリと笑い、モニターに表示された設計図を見つめた。
「今回の件でDARMAの新しい活用方法を思いついた。DARMA2の完成も、そう遠くはないよ。その時は必ず、バルキリアにリベンジさせてあげる。もちろん、最高の気分でね。」
その言葉に、セレーナは、満足そうに頷いた。
ラプラスの瞳には、狂気が宿っていた。
(次こそは!必ず!!)
イザベラは、新たな機体と歌姫を作り上げようと狂奔しているだろう。
(いつかあいつを追い抜いてみせる。ふふふ、楽しくなってきたじゃないか)
ラプラスは、独り言ちる。その声は、誰に届くこともなく、クリムゾンロードのハンガーに吸い込まれていった。
第三話:深紅降臨 了




