第4話 僅かな好奇心が若者を大人にさせられる
書き溜めていた小説です。
一巻分あります。
かなり頑張って書いたつもりです。
どうかブックマークして、読んでいただけると嬉しいです。
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「社長、新しく仕事が入りましたよ」
内線電話の受話器を置いた社員、田村貴敏が淡々と言った。金地建設工業三階のお客様相談窓口で、オレは電話取り次ぎがされた受話器を手に取り、依頼主から場所、日程、依頼内容を確認する。予定管理は自分と田村、今休憩中の社員の三人で行っていた。
「じゃあ、ちょっと行ってくる」
「行くって何処にですか? まだ交代来てないんで残って欲しいですけど」
「その交代を呼びに行こうかなって」
「え、早くないですか? また仕事押し付けてサボる気ですか?」
「そうじゃない。まぁ、十分後には戻るから待ってな」
言葉で説明しても理解されないだろうし、実物を見せた方が早いことはわかっていた。
社内一階にある自宅に入り、テレビを見ていた男を呼び出す。親父は嫌そうな顔で渋々スーツに着替え始めた。
戻ってきた親子を見て、田村は「ふぇ?」と素っ頓狂な声をあげる。
「ど、どうしたんですか? 志楽さん」
「「どっち?」」
「あ、社長じゃないです」
なんか冷たいなぁ……。
「いやね。息子と社長を替わろうかなってさ」
「え、どうしてですか。やっぱり現社長に対する社員の不満がお耳に入りましたか?」
えっ、そうなの?
「そんなところだな。如何せんコイツには社長としての自覚も責任も足りていない」
「まぁ、自分より年下ですから仕方ないですよ」
「「はははは」」
耳が痛い。親父を味方につけた田村の主張はいつもより棘があった。
「でも、社長はそれでいいんですか?」
「別にいいよ。親父と給料が入れ替わるだけで家に入る金額は変わらないし」
本当のところはこの街を出て行くための辻褄合わせだ。話すなと言った親父との約束を果たすためにも、事前に引き継ぎを済ませておくべきだろう。
「じゃあ親父、後は頼んだ」
「任せとけ」
「結局はサボりですか……」
父はグッジョブと親指を立て、田村は心底軽蔑した表情でオレを見ていた。
最後の最後で社員の好感度がマイナス値にまで下がり、オレは急ぎ足で三階から二階へ階段を下って経理部長室の前に立つ。彼なら全部自分でやってくれそうなものだが、元社長としては抜けたときの穴埋めと直人の引き継ぎも済ませなきゃならない。
「——何故ですか!」
ノブを掴もうと手を伸ばすと、誰かの気立った声が扉越しに響いた。
扉を少し開けて他人の修羅場を覗き込むと、そこには直人と若手の女性社員がいた。
「うるさい。別にいいだろ、俺の人生で、選択だ」
「でも、なんで突然……辞めるなんていうんですか」
直人に叱咤され、女性はしゅんとした声を出した。
「辞めたくなった。それだけの理由だ。野良の奴も親父と社長を交代させるつもりらしい。会社の総入れ替えだと思ってくれ」
「やっぱりあの人なんですね。貴方はなんであんなのに突き動かされているんですか!」
……オレって、そんなに嫌われてるの? あれ、なんか目から汗が……。
「なんだっていいだろ。君に干渉される言われはない」
「納得がいかないんですよ。私は貴方に憧れてここに入ったんです。貴方が別の所に行くのなら私もついていきます!」
彼女ははっきりとそう言った。
もう半ば告白じゃないか。オレ、ワクワクするぞ!
「はぁ。もう面倒臭いな」
直人は深い溜息を吐いて、彼女の思いを冷酷に突き放した。
「な、なんですかそれ……」女性はわなわなと声を震わせる。
「引継ぎはもう育ててある。この会社に恩はあっても縛られるつもりはない。君に対しても優秀な部下だったという以外なにも思わない。以上だ」
直人の冷淡な答えに、部屋は完全に静寂に包まれた。
「酷い……」
彼女は消えてしまいそうな声を残して、隣接した経理部室の扉から出ていった。
オレは出直した方がいいかなと思ったが、問題を先送りにしても仕方ないので、こっそりと中に入り内鍵を閉める。直人がこちらに気づくも、オレは先程の女性が戻ってこないようにもう一つの扉も閉めておいた。
「……なんのようだ」
直人は眉間に皺を寄せながら言った。
「いや、ちょっと。引き継ぎとか大丈夫かなと思って様子を見に来たんだ」
「こっちは問題ない。今の話、聞いてたのか?」
「まぁ……お前、ちょっと酷くないか」
オレは隣の部屋に聞こえないよう小声で話す。
「なら出ていく癖に彼女の気持ちを汲んでやれと言うのか? 中途半端な期待や優しさは一時的に相手を守ることができても、余計に苦しませるだけだ」
冷たく見えた彼は、ただ冷徹なだけだった。
「ごめん……」
「なんでお前が謝る」
「こうなったのは、やっぱりオレが出て行きたいって言ったからだろ」
「どちらにしても、いずれは此処を発つつもりだった。お前の所為ではあるが、お前だけが理由ではない。決めたのは俺だ」
「ありがとう」
「はいはい。要件はこれだけか?」
「あぁ」
「じゃあさっさと鍵を開けて出てってくれ」
直人は再び機嫌が悪そうに言った。
オレはなんとなく素っ気なくされたのが気に食わなかったので、去り際に面白いことでもしようと頭を回転させる。そして、言われた通りに隣接した扉の鍵を開けて、
「——鍵のしまった密室で二人っきり、何も起きないはずもなく……」
と不吉なナレーションを呟いてみせた。
直人は大きな溜息をついて、なんとも言えない呆れ顔でこちらを見つめる。
「お前のそういう面白くない冗談が社員全員に嫌われる理由だからな。少しは自重しろ」
…………。
会社一階の自室に戻り、ソファーでうつ伏せに倒れる。気にしていたことをストレートに告げられ、心の傷が開いた。
オレだって頑張っているのにそんな言い方って……つーか、全員に嫌われてたのかよ。
結果的に暇を持て余すことになったオレは、気分転換を兼ねて親父がたまに仕入れてくれる外の世界のビデオを再生する。いくつか視聴しているうちに日が暮れ、気づいた頃には社内に誰もいなくなっていた。
親父は夜勤らしく、自分が料理を作ろうとキッチンに立つ。すると、腰にエプロンを巻きつけたタイミングで『ピンポーン!』と会社裏口の呼び鈴が鳴った。
覗き窓から外を見てみると、黄色い鍋を持った恋人が立っていた。
扉を開くとコォーと冷たい風が入り込み、長く艶やかな黒髪が星空を隠すように煽られている。斑紋のない黒色の鳳蝶。彼女の名はその姿通り、八重夜鶴という。
「——突然、どうしたの?」
「お裾分け。今日、おじさんが夜勤だって聞いたから、ご飯作って来ちゃった」
彼女はテヘっと笑う。あざとさは感じるがぶりっ子と呼べるほど大袈裟ではない。計算しつつも嫌味にならない微妙なバランスだ。
「本当は作り過ぎただけじゃないの?」
「こういうときは素直にありがとうって言えばいいのよ」
「ありがと。助かるよ」
鍋を受け取って素直に感謝を伝えると、彼女は嬉しそうに口元を緩ませた。
「私も一緒に食べてもいい?」
「もちろん。そのつもりで来たんでしょ?」
彼女を迎え入れながら、このときだけは憧れを忘れていようと思った。
夜鶴は家に上がる直前、黒のレースのワンピースをたくし上げる。星のように綺麗な白肌と相まって、やっぱり本物の蝶々みたいだ。
「どう思う?」
彼女は寒さの所為か少し顔を赤らめていた。
「今更だけど、その格好寒くないのか?」
「相変わらず女心わかってないね。折角綺麗な服を着てるんだから褒めるところでしょ」
「可憐だな」
素直に思ったことを口にすると、彼女はニコリと笑う。オレもつい恥ずかしくなって口端が上がった。
「君の正直なところが好きだよ」
彼女からは星の香りがする。花でも果物でもない。ただ、綺麗な香り。
星に匂いは存在しないからこそ、名付けるならそう呼びたい。
「にしても、相変わらず髪が長いね。私と同じくらいあるんじゃない?」
夜鶴は後ろついて来てそう言った。
生まれて髪を切った回数が指で数えるほどしかない。散髪自体があまり好きではなく、髪型は適当に伸ばしとけと言われて、気づいたら腰の辺りまで伸びていた。一般的に髪型を父親の指示に通りにするのは変なのかもしれないが、ロン毛の男は少なくない。直人も最初は短かったが、今では後ろ姿を女性と見間違えるくらいだ。
「まぁ特に嫌でもないからな」
「親が髪型を決めるのは普通に変だと思うけど。縛られるの嫌じゃないの?」
「でも、ずっとこうしてきたし。この方が親父は喜ぶからさ」
焜炉で鍋に火をかけ、ダイニングに腰掛ける夜鶴を見つめる。
やっぱり綺麗だよなぁ。最近会わないようにしていた反動か、彼女の姿をもっと視界に収めておきたいと思う。そんな視線に気づいたのか、夜鶴は首を傾げた。
「テレビでも見る?」
「別にいいかな。こういう静かな時間も好きだし」
「私も」
夜鶴はオレが消えたら別の男と結ばれる。結婚相手なんて彼女ならいくらでも見つけられる。君にはずっと自分を思って欲しいし、夢を追うことを伝えれば許してくれる。そんな安易な期待を抱きながらも〝父の言葉〟が現実に引き戻させる。
昨日の言葉の真意は分からないが、親父は言った言葉を曲げたりしない。オレの所為で、直人にこれ以上の迷惑を掛けるわけにはいかなかった。
「大丈夫? 悩みでもある?」
いつの間にかお玉を回す手を止めていたオレを、夜鶴は心配そうに見つめる。
「いいや、大丈夫だ。温まったかな。——あぢっ!」
小皿に移して味見をすると、思っていたよりも熱くて舌を火傷した。
「大丈夫?」
夜鶴はキッチンに入り、水を注ぎ入れたコップを手渡す。
「ごめん、ありがと」
「いいけどさ。最近、変だよ」
「そうかな」
夜鶴は首を傾げるオレの額に手を当て、黒い瞳でじーっと見つめる。
「熱はないみたいだね」
「ありがと。大丈夫だよ」
夜鶴は食器棚からシチュー用のお皿を取り出す。小っ恥ずかしく感じながら、シチューを注ぎ入れると……。
「——最近何してるの?」
と、夜鶴は唐突に尋ねてきた。
「えーと、仕事してたよ」
昼までだけど、一様嘘はついていない。
「違うよ。一昨日の話」
「街の外周を散歩してたかな。いい天気だったし」
「誰と?」
「え?」
「榮くんと一緒にいたでしょ?」
口をあんぐり開けるオレを他所に、彼女は無言の笑みを続ける。
「なんの、ことかな」
「外でゴミ拾いしている人からなにか買ってたでしょ」
「……なんで知ってるの?」
「そりゃあ、見てたからね。榮くんと一緒に有給取っているし。最近ずっと一緒にいるよね」
「まじか、全然気づかなかった」
本当に何処にいたのだろう。あそこに隠れられる所なんて殆どない。最近会わないようにしていたのを怒っているのか? だとしたらそれはそれで嬉しい。
「榮くんと仲良いよね。私より一緒にいる時間長いんじゃない?」
「男同志のお約束というか、アイツにとってオレはたった一人の友人なわけだし」
「恋人より大事なの?」
「え?」
「恋人はたった一人じゃないの?」
夜鶴はそう言ってオレの手を掴む。そのまま指先から撫でるよう肩へ手を回して、キスをしてしまえるほど顔を近づけられた。仕草が全て色っぽい。そして、なにか怖い。
口元に吐息が掛かり、僅かな湿気と甘い香りに体が興奮する。
「……夜鶴だって、たった一人だ」
息を呑むように答えると、夜鶴はキスをして掴んだ手を離した。
「良かった。じゃあ、なんの買い物してたのか教えてよ。私も今度同じところに連れていって欲しいな」
「それは……」
「駄目なの?」
夜鶴は少し悲しそうな顔でこちらを見つめる。掴まれていた肩は酷く汗ばんでいた。
親友と買い物に行っていただけなのに、彼女の醸し出す雰囲気が夫の浮気を疑う妻に見えてならない。やけに押しの強い彼女に戸惑いながらも、苦し紛れの嘘を思いつく。
「直人と見て回ったのは、その……」
「……その、何?」
夜鶴の暗い瞳が真っ直ぐ合う。オレは必死に頭を回して一つの光を導き出す。
「——えっちな奴なんだ」
「……え?」
夜鶴の目がぽかーんと大きく開いた。さっきまでの妖艶さはなく。この回答を全く予想出来ていなかったことが伺えた。
「へ、変じゃないかな。なんで私がいるのにそんなもの買い漁ってるのかな」
肩をプルプルと震わせ、眉間に皺が寄り、彼女が怒っているのは明白だった。
「いや、あれだよ。直人は付き合っている相手もいないし。でも、あいつだって男なわけで、そう言うものを買いに行くのは一人だと恥ずかしいわけじゃん? 男は毎日抜かないと辛いっていうし。肉体労働しているからこそ溜まりやすいというか。親友が暴走してしまわないためにも必要なわけで……」
一体なにを言っているのだろう……。内容が気持ち悪いうえに、言っていることが見苦しいことこの上ない。ごめん直人、お前の印象ダダ下がりだ。今朝の社員からの評価を含め、夜鶴がどうして好きでいてくれるのか疑問に思ってしまう。
「じゃあ今日、私とする?」
夜鶴は顔を赤らめながらそう言った。
「へ?」
「私じゃ満足出来なかった?」
「そんなことないけど。なんか変だよ。展開がカオス」
夜鶴は蠱惑的に両腕を回し、ピッタリと密着する。薄いワンピースの生地が夜鶴の柔らかさと温もりを直に感じさせる。シチューの味見から始まった急展開に、オレの情緒は著しく乱れて思考は乏しくなっていた。
このまま身を任せてしまった方がいいんじゃないか? この先、自分を求めてくれる人は現れないんじゃないか? そんな魔が刺したとき、裏口の鍵がガチャリと音を立てた。
部屋の鍵を持っているのはオレと親父だけ。夜鶴は流石に恥ずかしいのか、オレからそっと離れた。
「……土砂降りで仕事切り上げてきた」と苛立った様子のハスキーボイスが部屋に響く。
親父はズカズカと足音を立てて居間に顔を出すと、少し驚いた様子でオレと夜鶴を交互に見た。
「お、えーっと、よるつる……さん?」
「よつるです。お義父さん」
親父は失礼にも息子の恋人の名前を間違え、夜鶴はそんな父を冷静に諭した。
「あぁ悪い。名前を覚えるのはどうにも苦手で。ウチに来てどうしたんだ?」
「沢山料理を作ったので、お裾分けに来ました」
「そうか、ありがと。助かるよ」
「じゃあ私はこれで。さようなら」
夜鶴は最後にオレの頬にキスをして、スタスタと家から出ていった。
入れ替わるようにキッチンに入った親父は、オレの目の前でほくそ笑む。
「なっさけねぇ顔をしてんな」
「うっさいわ!」
「邪魔して悪かった」
ヘラヘラとした笑みを浮かべている親父に、オレは殺意を押し殺して「うっさい」と再度怒鳴った。
月曜日と金曜日を除いた毎日投稿です。
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ちなみに一巻分書いたと言いましたが、一巻で完結できる話ではありません。
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