プロローグ 四章
前回の話を読み返してみると結構気持ち悪い内容になっていたと思います。
前に、夜鶴と主人公とのセンシティブな夜があったっていう「やり取り」がありましたが、悩んだ末にあったほうが話の深みが増す気がして入れました。
このキモさ。堪らないぜ。(´・Д・)」
【受け入れる者でしか、始められないことがある】
冷凍庫のように冷たい空気が流れている。
なにをする気力もなく、ソファーに脱力したまま秒針の鳴る方へ視線を向ける。
時刻は午後三時三十三分。デスクの上に置かれたカップは、残った液体が乾燥してカピカピになっていた。
数時間も同じ姿勢で座っていたのに不思議と体は辛くなく、起きあがろうと足腰に力を入れる気力すら湧いてこない。
玄関が開き、チェーンロックが閉まる音が聞こえてくる。
オレは近づいていく男の顔を見ることすらできず、愕然とした不安に襲われる。
「——君はやっぱり……」
呟いたのは村田孝宏だった。
背後に回った彼はオレの体を押さえつけ、肩に注射器を差し込む。
「ぐぎっ」
針の痛みに呻き声を漏らしたが、体に注入される液体を阻止する術はない。
「子供に罪はないが……いや、君はもう大人か。でも生まれる先を選べなかったのは変わらない……」
「なにを、してんだ……」
ぶつぶつと独り言を呟く村田に、オレは朦朧とする意識の中で歯を苦縛った。
「まだ喋れるんだね。麻酔薬を飲ませて数時間。投与してから今二十秒が経過した。折角だし君の意識が消えるまで質問に答えてあげるよ。訳もわからず幽閉されるのは嫌だろ?」
村田は目線の先に座り、毛虫を見るかのような視線を向ける。
なんなんだよ。こっちは泣きたい気分だってのに、オレが一体なにをしたんだ。
「——君はクロオオアリとアカアリの違いってわかるか?」
「なんの話だよ……」
「親友の息子にこんなことをするのは心苦しいが、君が恨むべきは親であり、君にも遺伝したであろう母親特有の細胞小器官。その正体がはっきりとしない限り……いや、どちらにせよ。君に人類の世界を歩ませるわけにはいかない」
「親父の話は……嘘だったのか?」
「僕以外のことは全て本当だよ。ごめんね。本当はこんなことしたくなかったんだ。そもそも君が危険地帯を越えて要塞から都市まで来られるとは思ってもみなかった。でも、なんとなくわかっている筈だ。なにかしらの思惑で作られた遺伝子が広まれば、いずれ人類は滅ぶかもしれない。何十世代先の話かもしれないが、今目の前にリスクがあるのなら排除しておくべきだ。違うか」
麻酔の所為でもう睨むことすら出来ない。
親父はどういう想いでオレを育てていたのだろう……。どんな気持ちで見送っていた。
瞼から足の指先まで力が抜け落ち、肌身離さず持ち歩いていた手紙がポケットから滑り落ちる。
村田はそれを拾い上げると、軽く見て鼻で笑った。
「酷い憶測が混じってるが、浩也はきちんと自覚して欲しかったんだな」
これらのヒントは全て村田が話したことに繋がっている。
でも、だったら。こんな回りくどいことをしないで欲しかった。そしたらきっと……。
「君が来たことをただ無駄にするつもりはない。もしかしたら、浩也を助ける重要な手がかりを掴めるかもしれない。要塞についてもなにか分かる筈だ」
村田は焦点の合っていない瞳で近づき、ガムテープで口を塞ぐ。
すると、机に置かれたオレの端末から
『——テテッテ、テラテラ! テレレレレレレ! テテッテ、テレテレ!』
と、SF風の着信メロディが鳴った。
着信相手をチラリと見た村田は画面を下にして着信が切れるのを待つ。
しかし、消えて直ぐに同じコールが鳴り始めた。
「……まさかな」
村田の表情が段々と険しくなり、焦った様子でオレの服の中を漁り出す。
「——糞がぁ!」
ポケットから小型のインカムが見つかると、村田はそれを投げ捨てて地団駄を踏んだ。
ひたすらに息を荒げて鈍くなると、端末を手に取って終わらない着信に出る。
「…………あぁ? ふざけるな、なんでそんなこと! くそっお前、知ってて連れて来やがったな!」
村田は舌打ちをして、渋々スピーカーモードに切り替える。
『悪いね、村田ちゃん。お邪魔しちゃった』
端末からケタケタと笑う温泉川の声が聞こえてきた。
「死ねよ、婚期逃した筋肉だるまが」
『残念だけど、結婚の目処は立っているよ。浩也と約束したからね』
「いいように使われてるだけだろ」
『それはともかく、あんたの計画はこれで終わり。警察も呼んだし、君は完全に包囲されているってやつだね』
「ちっ……」
『ねぇ、今どんな気持ち? 見下してた後輩に嵌められて、どんな気持ち?』
「うるせぇよ。一回負かしたくらいで燥ぎやがって、捕まえたければさっさと来いや」
『意外と諦めが早いのね』
村田は大きな溜息をついてソファーに腰を下ろす。
「少しだけ、ほっとしてるんだよ」
『だったら、素直に返してあげればよかったじゃん』
「どの面さげてアイツの元に返せって言うんだ」
『臆病者』
「お前には一生わからないよ」
『それってアンタが昔言ってた〝変わる変わらない〟の話?』
「五月蝿い」
『アンタって頭はいい癖に根っこはガキのままだよね』
「黙ってろ」
『人は変わらない。環境次第で取捨選択が変わっているだけに過ぎず、全く同じ状況になれば同じ過ちを繰り返す。そういう持論だったよね。そんなんだから狭っちい思考になるんだよ』
「黙れって言ってるだろ! お前だって、昔のあいつに戻ってきて欲しいって思っていただろ!」
『別に駄目とは言ってないよ。でも、もうやり直せないんだよ。失敗は消えないし、当然過去はやり直せない。今更、お前がその子を消しても、得られるのは自己満足という名の快感だけだ。浩也が恋人のいなかった頃に戻るわけじゃない』
「同じ被害者を出さないためにも……必要なことだ」
『本来ならお前はあの精密機器について調べるべきだった。でも、自分の失敗で浩也が囚われの身となったことで、今度は死んでしまったらと怖くなった。違うか?』
「じゃあ、どうしろっていうんだよ。どうすればやり直せるんだよ!」
『無理だろ。だがまぁ、お前の持論でいくなら。昔みたいに身だしなみに気を遣っていればいいんじゃないか? 私からすれば、一番変わっちまったのはお前の方だよ』
「なんだよそれ、適当すぎるだろ……」
村田は諦めたかのように空笑いし、天井を見上げて脱力した。
『世界も、未来も、思い描いていたものとは違うし、所詮諸行無常だからね。過去に固執しても君が立っている場所にはなにも残らない』
わざわざスピーカーにしたのは、オレにも伝えたいことだったからか。
こんな状況なのに、また彼女に惚れてしまいそうになる。
きっと、外の世界は夢と希望で溢れている。欲しいものを好きに手に入れられる。常日頃から制限されていた場所とは違う。
そう夢見ていた世界は、理想から懸離れていて。
自分がそこに存在することを許していなかった。
ブックマークして欲しいな。あはは。
*推敲しました。六月八日(日)




