第3話 世界は君が思っている以上に複雑で——
6/6金曜日に。此処までの話を推敲しました。
全てのQand Aを消すつもりですので。
以前に読んで頂けた方にはすみません。
この続きの推敲はまた来週か再来週になると思います。すみません。
2
夜十一時に就寝して、今朝の七時過ぎに端末のタイマーで目を覚ます。
ある程度洗面台の前で歯を磨くと、歯ブラシを咥えたままソファーに座り込んだ。
自分以外誰もおらず、直人の書き置きだけが机の上に乗っている。
『今日も遅くなる』
淡白な文章だ。こう毎日書き置きしてくれるのはマメで有難いのだが、アイツが忙しそうに過ごしているのを見ると、オレは一体なにしてるんだ、って気分にさせられる。
テレビを流しながら朝の身支度を終え、直人が作り置きしたサンドイッチを頬張る。
突然、ズボンのポケットからSF風の着信メロディーが鳴り響いた。
『もしもし?』
「温泉川さん?」
『ん、志楽息子か?』
「そうです。直人からスマホを借りてるので……」
『そうか、なら丁度いい。村田孝宏の住所が分かったんだ。今日来られるか?』
「あ、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
——やっとだ。暇で暇でしかたなかったオレにやっとするべきことが出来た。
『ヒルズ前にトラックを停めてある。そこに来てくれ』
「わかりました。すぐに向かいます」
オレはカーテンを開けてベランダに出る。道路の端に小型トラックが停車しているのが見えた。
端末と財布をポケットに入れて、待たせては悪いなと早歩きで外に出る。黒いトラックなんて変わっていると思いながら、扉をノックして助手席の方へ乗り込んだ。
「——積もる話はとりあえず走りながら話そう」
温泉川はオレがシートベルトを閉めたのを確認してから、車を二足発進させる。
半袖半ズボンというかなり際どい格好をしながらも堂々とした態度で前方を見つめ。赤く染めた長い髪を黒ゴムで結わってポニーテールにした姿は当時の面影と一致していた。
変なタイミングで出会ったせいで気づけなかったが、この人は歳を取っていないかのように若々しい顔立ちのままだった。
じっと見つめていると、赤髪の中に数本の白髪が混じっているのに気が付く。
「……その髪って染めているんですよね」
当たり障りのない質問に温泉川は少しムッとした表情をする。
「そうだよ。残念ながら数本染まらない髪があってね。白髪が目立たないように赤く染めたんだ」
「どうしてそうなったんです?」
「外で活動すると度々不思議な病気にかかるんだ。髪の三分の一が白髪になる病気。前例のない症状ばかりだから調査病って呼ばれている」
「ある意味かっこいいですね。外を冒険している人って感じがして」
素直に思ったことを口にすると、温泉川は「ははは」っと上機嫌笑った。
「浩也にも同じこと言われたよ。俺も似たような勲章が欲しいとかなんとか」
「親父らしいですね」
正直、嬉しそうに父親の話をされると反応に困る。
「……今もそう思ってくれてるといいな」
温泉川は走行音で消えてしまいそうなほど小さな声で呟いた。
「事前に村田孝宏について聞いておきたいんですけど。そもそも、どうして親父たちは要塞に向かったんですか?」
「ここが第一東京移都市と名付けられる前、まだ高層ビルが一切ない『第一調査拠点』と呼ばれていた頃は危険地帯の映像ってだけで高値が付いたんだ。特に、都市の南方の映像は数多くの危険生物が生息しているから、頭の使えないやつの出稼ぎ先だった」
さりげなく親父のこと馬鹿って言っているよね。本当に好きなの?
「安易に要塞に近づいた結果、囚われの身となったってことですか?」
「二人は要塞のエレベーターを発見して、好奇心に駆られた浩也は村田に待機するよう指示して独りで登っていった。村田は今日中に戻ってこなければ帰還しろと言われていたのだが、数時間経っても帰ってこない浩也を心配して同じように登っていった」
「だから自分の所為……」
「けどな。もし村田が一人で帰る選択をしていたら、途中でなにかに襲われて死んでいたかもしれない。そうなったら、浩也の所在地を誰も知ることができなかった。想像の過程に過ぎないけどな」
確かにその通りだ。勝手に親父のことを思って村田のことを少し不愉快に感じていたが、当事者でもないのに憤りを覚えるのは筋違いだ。
「とはいえ、私は事情を聞いてすぐに右フックを炸裂させていた」
「はあ……」
なんなんだこの人。
ただ、話の内容はなんとなくわかっていたことだ。入ったら出られない。最初から知っていたなら誰だって近づこうとしない。親父がどういう思いで要塞に入ったのか、後追いした村田の行動も理解できる。
でも、納得できたはずなのに違和感を覚えていた。
「私が知っているのはこのくらいだ。後は本人に聞いてくれ」
温泉川は大和塀に囲まれた豪邸の前でトラックを駐車させる。
流石に直人の高層ビルほどではないが、一人で住むには十分に広く見事な和洋折衷だ。
「村田は記録した映像を売って一躍有名になった。存在があっという間に広まり、同じように調査しようとした奴らが次々に失踪した。殆どの奴が道中のガビアウルに襲われたんだろうが、あの場所は『囚われの街』と呼ばれ、都市中で危険視されるようになった」
温泉川が玄関のチャイムを鳴らして待つと、音沙汰のないまま扉がゆっくりと開く。ボサボサの髪を掻き毟る社会不適合者のような男がブツブツと呟きながら現れた。
「あぁ、良かったぁ……良かった……」
男は両手を広げてオレに抱きついてきた。
そのままポロポロと涙を溢し、オレの買ったばかりの服を汚していく。
「あの、離れてくれませんか」
服が汚れるのも気になるが、それよりも彼から漂う肉の焦げたような悪臭に息が詰まりそうだった。
「ごめん。本当に、ごめん……」
男は人の話を聞かずに謝り続けていた。
その不憫さというか、見るからに患っていそうな姿に同情してしまって、結局突っ立っていることしかできなかった。なにかしらの原因はあれど誰も悪くない。ただ、あの日の親父たちの選択が人生を大きく変えるものとなっていた。
段々と呼吸が落ち着き始め、男はオレから手を離す。
「……あの大丈夫ですか」
「ごめん……」
「唐突に謝られても困りますよ」
はっきりそう言うと、小っ恥ずかしそうに頭を掻きむしる。
「そうだよね……すまない。僕は村田孝宏、君のお父さんの親友だった人だ」
着古したと思われる群青色のサテンパジャマの上に、皺の寄った白衣を纏った眼鏡で異臭の漂う男性。親父の親友だと言っていたが、近しい間柄とは思えないほど真逆の性格に感じていた。
「オレは志楽野良です。あの街のことについて聞きに来ました」
「僕も君に話したいことが沢山あるんだ」
村田はそそくさと部屋にオレを案内し、「ちょっと着替えてくるから」と言って別の部屋に消えてしまう。家の中は意外にも埃の一つもなく、身なりとは裏腹に清潔に保たれていた。
温泉川はオレが中に入って行くのを見届けて「じゃあな」とすぐに帰っていった。本当に合わせるだけだとは思っておらず、少し緊張しながらソファーに腰を掛ける。
「お待たせ。飲み物はコーヒーでいい?」
「はい、ありがとうございます」
スーツ姿で再び現れた村田は、オレの真ん前にインスタントコーヒーを置いて右隣の一人用ソファーに腰を下ろした。
「あの、映画ありがとうございます。貴方が親父にDVDを届けてくれたんですよね」
「彼に頼まれていたからね。君が外に出たとき困らないよう色々なことを学んで欲しいって。だから、こうして成長してくれたことを喜ばしく思うよ」
「ありがとうございます」
親心子知らず。親思う心に勝る親心。思いが胸に迫って、なにもしていない自分に嫌悪が走る。
「聞きたいことがあるんでしょ? 僕はなんでも答えるよ」
「じゃあ、あなた達は要塞に入ってなにをしていたんですか?」
早速、温泉川から聞けなかった続きを尋ねた。
「そうだな。当時の僕は精密機器の仕組みを信じていなくてね。実際に人が撃ち殺されるところを見たわけでもなかったし、言語も通貨も社会性までもが同じで誰かが秘密裏に行き来しているものだと考えていたんだ」
オレは相槌を打ち、村田は話の間隔に湯気の立つ珈琲を一杯啜る。
「要塞に入ったとき浩也とは別行動していてね。聞き込みで向かった酒屋ですぐに再開を果たした。あのときは顔を合わせるなり『お前なにしに来たんだ!』って怒鳴られていきなり拳骨を喰らったよ」
村田は若干嬉しそうに殴られた箇所を撫でた。
親父の拳骨は加減を知らないからクソ痛い。
「再開した僕たちは脱出方法を探るために要塞の禁則事項について調べることにした。ドローンを二機持ってきていてね。要塞に入る前にそのうちの一機を飛ばして全体を見ようとしたんだけど撃ち落とされた。もう一機の方は交換箱の中を探索させて光源のない無人の機械工場のようだとわかったが、結局は出口を見つけられずに防犯システムによって粉々にされちまった」
「つまり、二人で脱出する手段は見つけられなかったんですか……」
「でも、無駄じゃない。僕たちはこの要塞がアリの巣観察キットのようなものじゃないかって考えたんだ」
「なんですかそれ?」
「簡単に言うと、特定の生物を観察するための箱庭のことだよ」
「ピンと来ませんけど」
「特定の生物が生きられる環境を整えて、その生態を観察するための装置。平たくいえば水槽みたいなものだね」
「水槽、ですか……」
「もし、人間を観察するために作られた設備だとしたら、それは人類にとって最大の脅威じゃないだろうか。街の貨幣、社会性、言語や文化が同じなのも納得がいく。外から来た人間を閉じ込めて誰かが僕らの生態を観察している」
確かにそういう考えはわかるが、規模がデカ過ぎて信憑性にかけていた。それに、今はそう言う話を聞きたい訳じゃなかった。
「それで親父たちは犠牲なしで脱出の方法を見つけられなかったんですか?」
回りくどいのを止めるように言うと、嬉々として話していた村田の顔が引きつる。
他人がとやかく言う権利はない。でも、息子として知っておきたいことだ。
「なんで残ったのが親父なんですか」
村田は口元をワナワナと震わせ、一度下唇を噛み締める。
「……浩也は君の母親に惚れたんだよ。そんで僕は早く帰りたかった。君の聞きたい答えはそれだけだよ」
「なにもかもを捨ててチップを差し込むほどのことですか? 親父は一生帰れなくなるんですよ。取り返しが付かなくなるんですよ」
信じられない。親父に助けられた村田の短過ぎる説明が癪に障っていた。
そんなオレの心意が伝わったのか、村田は卑屈な顔をして深い溜息を吐く。
「僕は浩也じゃない。アイツはあの女と出会っておかしくなった。僕が知らないだけで本当に恋していたのかもしれない」
「好きな人ができたからってことですか?」
「知らないよ。僕だって一緒に外に出たかった。でも、アイツは残ることを選んだんだ」
予想では村田と親父になにかしらの諍いがあったと思っていた。
親父が言っていた通り、親子共に似た性格をしている。だから、好きな相手だって切り捨てられるし、友人のために自己犠牲なんて選ばない。
本当に、親父が望んで選んだことなのか……?
「——君は自分の母親の写真を見たことがあるのか?」
村田は死んだ魚のような目でこちらを睨みつける。
「いいえ、ないですけど……」
なんだか急に怖く感じて困惑しながらも恐る恐る左右に首を振った。
すると、村田は突然立ち上がって本棚から青いファイルを取り出した。
「これは僕が要塞に入ったときに撮ったものだ。この右端に写っている女性が君の母さんだよ」
オレは手渡された写真をじっと見つめる。若い頃の親父が塔を背景にピースしており、村田が指差した箇所には見覚えのある女性の姿があった。
嘘……なんで…………。
唖然としたまま、なにも言葉が出なくなる。
ぼんやりと映るその女性は、恋人だった夜鶴に瓜二つの姿をしていた。
「君の恋人のことはアイツから聞いている」
「なんで、こんな……」
「君にチップを付けさせない為に、浩也が妻とその両親を止めたのを知っているか?」
「……知らない」
「そうか。なら、それから暫く後のことだ。囚われの街で女の子二人、男の子一人の計三人の赤ん坊が捨てられているのを発見した。その子供は誰かに拾われてスクスクと育ち、今ではあの街の住人として当然のように生活している」
「なにが、言いたいんだ……」
「じゃあ、遠回しでも、間接的でもなく、君が望む通り直接的に話すよ。君の母親と恋人は同一人物だ」
「は……、一体何を言っているんだ? 夜鶴が母親なわけないだろ。だって、オレの恋人だったんだ」
言葉が口を衝いて出た。
そんなことは絶対にあり得ない。あってはいけないことだ。
「少し言い方が悪かったな。母親と恋人は別人だ。人間関係も環境も違う。要するに、彼らは要塞に作られたクローンなんだよ」
「クローン……」
「遺伝的に同一である個体を指す言葉でね。基本的には無性生殖の生物を指す。要塞が産んだ人間ってことだ。君にとって人間の生態を観察するのに必要なものはなんだと思う?」
突然の投げかけに、オレは更に困惑する。現実が宙に浮いて自分からどんどん離れていってる気がする。今まで正しいと思っていたものが次々と壊れているのを感じていた。
答えないで固まっているオレに、村田は続けて言う。
「蟻の場合、女王蟻と一匹の雄蟻がいればまた新たに組織が作られる。しかし、人間の場合はそんな簡単な話でない。人間は文明が発展するごとに必ず能力を失っている。時代が進むほど人類の生存には一定の文明が必要になる」
「ま、待ってくれ。じゃあ、なんで街の住人はそれを知らないんだ。え、いや、一体、誰がクローンなんだ……」
「都市の記録上、あの要塞を最初に発見したのは僕達だ。勿論、世間的に広まっていなかっただけかもしれないが、当時囚われの街には一万人もの人間がいた」
「嘘でしょ……」
「僕だって信じられなかった。でも数年後、囚われの街で再開した浩也はこう言ったんだ。『やっぱり人間じゃなかった』って」
「はは……」
オレは乾いた笑いを漏らした。
「母親の遺体を回収したのは僕だ。死体を解剖してDNAを調べた。その結果、細胞内に本来人間には存在しない細胞小器官を発見した」
村田はオレが話を耳に入れていないことに気づいていないのか、ペラペラと口を回転させ続ける。
「あいつに頼んで君の恋人の抜け毛を一本拾ってきてもらったこともある。この仮説は正しかったよ。恐らく君の体にも母親と同じ細胞小器官があるはずだ。それは街を継続的に存続させるために、一定の条件下のみに本能を欲発させて操作するためにあるんだと思う。——例えば、自分の子供に人格が芽生えた瞬間、子供を手元に留めておきたいという欲求を強くさせるとか。そいうのが遺伝子レベルで刻まれているのかもしれない」
オレは両腕で顔を覆い、背もたれに体を深く沈み込ませた。
親父たちの脱出に協力してくれる住人はいなかったのかという違和感。自分の知っていた世界はほんの一部のことばかりで、思い描いていたものから酷くかけ離れている。
「……少し結論を急ぎすぎたみたいだ。一旦休もう」
我に返った村田は申し訳なさそうに席を立ち、空になったカップに新しく珈琲が入れ直される。エヤコンからゴォーと冷気の放出される音と、時計の秒針を刻む音だけが耳に入ってくる。
……それから、どれだけの時間が経ったのか。
立ち上るコーヒーの湯気が薄くなり、ぷつりと消えてなくなるのが見えた。
村田は買いだしに出かけ、静かな部屋にぽつんと独り。
この部屋の冷房は半袖には少し寒いくらいで、手に取ったリモコンが温かく感じるくらいには指先が冷えていた。
緩くなったコーヒーを飲み干したオレは、どこを見るわけでもなくテレビの真っ黒な画面を見つめる。
青天の霹靂とか——
自責の念とか——
ずっと、そんなものより矮小な気持ちが芽生えている。
そのとき、初めて気付いた。
自分が、涙を流しながら笑っていることに……。




