第2話 後悔しなかった道を選んでも、きっと後悔する
一番見て欲しかったシーンです。
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要塞が小さく見えるようになった頃。直人は双眼鏡を覗き込み、先の景色を見つめていた。休憩途中暇だったオレも、視線の先を追いかけた。
進行方向右手には黄土色に濁った大湖沼がある。湖には人間を丸呑みできそうなワニが数匹泳いでいた。そいつは蛇のような鋭い瞳に、魚の鱗のような皮膚が特徴的だ。
「なんだ、あれ」
「ガビアウルだ。淡水域に生息していて動くものに噛みつく獰猛な性格。縄張り争いも激しく、腹が減れば子喰いだってする」
「にしても大きすぎないか?」
昔見た映画『蛇対鰐』の奴によく似ているが、実物はそれ以上に明確な迫力がある。
「あれはまだ子供だ。大人は……おっと、今出てきたみたいだな」
直人が話している途中、湖の水が大きく競り上がり、そいつらを上顎に乗せるほど数十倍もデカい奴が現れる。口を開けば一軒家くらい咥えられそうだ。
「あんなのに出くわしたら、どうしようもないだろ」
「具体的な対処法はない。見つかったら、基本的に終わりだ」
「それって、出会ったら死ってことじゃんか」
「けどまぁ、運が良ければ生き残れたりするよ」
「もしかして直人が囚われの街に入ったのは、あれに襲われたからなのか?」
「護衛のミスで追われることになってな。生き延びたが移動手段を失ったんだ」
じゃあガビアウルに襲われていなければ、直人は街に入らなかったかもしれないのか。
「災難だったな」でも、ナイスワニ。
「結果的に調査が完了したから上々だ。俺は才能だけでなく運にも恵まれているらしい」
直人は不適に笑い、自画自賛した。
運も才能のうちだろとツッコミを入れたくなったが、そもそも部下のミスで危険な目に遭ったのだから、運が良いのか疑問だ。
「十二年もここで暮らす羽目になったのに『上々』なのか?」
「外で何日も掛けてサバイバル生活するよりかはマシだろ。それに、すぐに割のいい仕事に就けて、不自由もしなかったしな」
直人は少し懐かしむように言った。
考えてみれば、直人が囚われの街に来たのは十歳の頃だ。彼がここで過ごした年月は人生の半数を越えている。案外、こっちの方が故郷なのかもしれない。
軽く携帯食をつまんでから再び出発する。ずっと先に凸凹とした山脈が続いている。それなりの距離を走ってきたが、まだ目的地までの三分の一だそうだ。
日が暮れ始め、三度目の野営を始める。直人はバイクの点検を行い、オレはテントを張るための穴を掘る。もっと色々なサバイバル知識を教わりたかったが、「まずは慣れてから新しいことを覚えろ」と言われてしまった。
「——ねぇ直人」
「なんだよ、寝ろよ」
直人は横になりながら面倒くさそうに顔を向ける。
「ガビアウルの主食ってなんなの?」
あの巨体を維持するのにどれだけのエネルギーが必要になるのか。それ相応の食事がいるだろうし、一体なにを食べて生き延びているんだ?
「ダイオウラチャンカだ」
直人は早く寝ろと言わんばかりに一言で答えた。
「ん、今なんて? ダイオウチャランカ?」
「ダイオウラチャンカ。二度も言わせるな」
「変な名前だな」
「大きくなった生物のほとんどがそいつを狙う」
「どんな感じの生き物なの?」
「ゴキブリみたいなやつだ」
「ゴキブリって?」
「……いや、なんでもない。今のは忘れろ」
直人は再び面倒臭そうな顔をして背を向けた。
「これが倦怠期って奴か……」
少し気分が悪くなったので軽い冗談を飛ばしてみた。
直人はなにも言わずに後ろ足でオレを蹴る。
「……夜鶴のときは倦怠期なんてなかったのにな」
股間を蹴られそうになりながらも文句を言い続けると「黙れゲイ」と直人は寝返って睨みつけてきた。
「オレには可愛い恋人がいましたが、一体何処にバイセクシュアルがいるんですか? あっ、もしかして自分のぐえっ……」
「よく知ってたな、その言葉……」
腹に一発入れられ、なにも言い返せず咽かえる。
「少しくらい自分の発言を振り返るくらいしたらどうだ。両性愛者」
「マジかぁ、オレって両利きだったのかぁ……」
腹が痛いのを我慢しながら、まだまだ冗談を言い続けた。
「否定しろよ。だから怖ぇんだよ」
直人は呆れた様子で幾度も股間を蹴ってきた。
オレたちはそんな風にくだらない会話を続けながら長い夜を過ごす。虫や草木の環境音《ASMR》に耳を澄ませ、思っていた以上に疲れていたのか、すぐに眠りについた。
早朝、オレは目を覚まして早々にテントを畳み始める。直人は既に身支度を終えており、朝は機嫌が悪いことを知ったので無駄な会話は挟まない。
要塞を離れてから六日が経過した。バイクがなければ一ヶ月は掛かっていたんじゃないかってくらいの距離を走行しているが、天候に問題がなければ今日中には目的地に辿り着けるらしい。
携帯食を食べ終えた直人は「行くぞ」と言って再び先導する。いつまで経っても同じ荒野が続いているだけだが、オレたちは着実に山脈の麓に入っていた。
「ダイオウラチャンカって、強いのかな」
オレ大きな石積みを遠目で眺める。
最初に通り過ぎたときは変わった岩山だと思っていたが、直人曰く、それがダイオウラチャンカの巣穴らしい。
ダイオウラチャンカは節足動物門、甲殻亜門、軟甲鋼、真軟甲鋼、等脚目に分類されている。巨大な蟻塚のような巣を地中に作り、数万の個体が女王を中心とした真社会性を構築する。腐食性生物でありながら岩をも砕き、細菌と共生することで無機物からエネルギーを吸収することができる。食物連鎖の頂点に立つことはないが、適応力が強く、個体数が多いいため、天災を起こす土壌生物として恐れられているらしい。
聞いた話からして、生存力の化け物かなと思った。
「毎年、死亡者の一割がダイオウラチャンカで命を落としている」
「でも、それって十二年前の話でしょ。もしかして、直人が中々説明してくれないのってブランクがあるから?」
「それもあるし。街に着けば容易に知れることだ。一々説明するのも面倒臭いだろ」
ダイオウラチャンカの巣穴を守る石積みは防壁の役割を果たしており、その石——岩の一つ一つが人間の背丈を超えるほど大きい。
肉食だったら人類はとっくに滅んでいたんじゃないだろうか。
休憩がてら双眼鏡で巣を観察していると、突然大湖沼から大きな水飛沫が上がる。慌てて音のする方に視線を向けると、のっそりと移動を始める大人のガビアウルが見えた。
奴は先ほど眺めていたダイオウラチャンカの巣に向かっている。そして目的地の前に立つと、長い口をバットのように振りあげてダイオウラチャンカの石積みを破壊した。
宙を舞った岩が轟音とともに崩壊し、土埃が激しく巻き上がる。
すると、残りの石積みが『ドゴォン!』と火山の噴火のように四方八方へ吹き飛び。
幾千ものけたたましい足音が地上に姿を現した。
ダイオウラチャンカは九つの赤い単眼を光らせながらドタドタと大地を踏み荒らし、巣穴を中心として左回りに渦を巻き始める。
ガビアウルはそれを待っていたかのように、大群に飛び込み、勢いよく食らいついた。
「おおぉ!」
双眼鏡で眺めていたオレは思わず感嘆の声を漏らした。
無数に溢れ出てくるダイオウラチャンカで大地はより激しく振動し、巣穴近くに立っていたガビアウルは全長一メートルにも及ぶ甲殻類の体当たりに耐えていた。
段々とガビアウルの左側面には停止したダイオウラチャンカが積み重なり、彼らを踏み台にして別の個体がその巨体すらも渦の中に飲み込もうとする。
渦は収まることを知らずに拡大を続け、そのまま(数キロ離れた)こちらへ来るんじゃないかと心配になった。
「大丈夫だ。そろそろ止まる」
オレが恐怖で頬を引き攣らせるなか、直人はそういった。
巣穴から他より六割ほど小さい個体が現れ、胴体の装甲を開いて飛び立っていく。
すると、一匹が飛び立った方角からダイオウラチャンカは次第に停止し始め、赤く発光した目は動きの停止と共に消えていった。
静寂が訪れると、ガビアウルは身体に覆っていた虫を払い除け、のっそりと自分の住処へ帰っていく。全身が血だらけで、左腕と左脚を負傷しているのが見てとれた。
「すげぇ、すげぇな……」
あまりの迫力に語彙力が無くなる。心が高鳴り、全身から喜びが溢れていた。
だが、ふと隣を見ると、直人が退屈そうな表情をしているのに気づく。
「……お前ってこう言うのを沢山見てきたんだよな」
「ここまで大規模な巣は久しぶりだが、各地を回っていた頃はよく見ていた景色だ」
「直人ってどうして調査をしてるの?」
「仕事だからだ。あとは退屈しないからかな」
退屈か。直人は囚われの街で退屈はしなかったのだろうか。テンションのせいか、今までしてきたことがとても小さなことのように思えた。
「オレさ、街の外に出ることが夢で、その先のことなんてあまり考えてなかったんだけど。もっと色んな生物を見てみたい」
——この感動は一生を変えるものかも知れない。
感銘を受けていたオレを、直人はクスッと鼻を鳴らして笑った。




