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 陸


『よ』

『よしのずいから天井のぞく』

「よし」とは素は「アシ」なんですが、悪しに通じるというので縁起をかついで「よし」にした。

「人間は考える葦である」だから駄目だったんだなきっと。「人間は考えるヨシである」としとけばよかったのに。

 川原に群生する芦を刈って売り歩くのは、元手無し体力勝負の健康だけが売り物。

 江戸話の中で転落した人生を送っている人の商売、代表格である。

「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」といった状況を表現しているのであるが、やはりこれも子共には理解し難い。

 何となく人生ゲーム的要素タップリてのが、江戸のカルタ。

 同じ様に元手要らずの商売に「しじみ売り」なんてのが有ったが、今では漁業権を買わないとシジミ取りも密漁である。

 現代で言えば「空き缶拾い」なんかが代表的な元手要らずだが、近年のアルミ値上がりで道に空き缶が転がって無い。

 それだけ日本の景気が悪いという事で、喜ぶべき現象なのか悲しむべきか複雑である。


『よこ槌で庭掃く』

 急な来客などで、あわててトンでもない事をしでかしている様を言う。

 よこ槌は丸太に柄を付けた槌と言っても分かんないね。 

 藁をたたいて柔らかくして、呪いの藁人形などを作りやすくする為の道具である。

 木槌と擂り粉木棒を合わせたような物。

 これで藁を叩いて藁人形を作るより、直接こいつで嫌な相手を打っ飛ばした方が早いので、武器としても使われていた。

 近所が火事の時に固定電話の電話線をブッちぎって、必死の形相で消防署に電話している奴がいた。パニックになると人は何をするか分からない。

 私に限ってなんて事は言い切れない。

 あまりにも落ち着き過ぎて、津波前の引き潮で出来た遠浅海岸で魚取りしているのも困りものだが。非常時で有るからこそ冷静な判断が必要である。

 災害に驚いても、慌てないように心掛けたいものだ。

 とにもかくにも、起ってしまった災難は仕方ない。

 キチンと支払ってくれる保険会社に入っていればと、早めにあきらめて身の安全が第一で避難行動するに限る。

 国も含めて、キチンと支払ってくれる保険会社が有ればの話だが。


『夜目遠目傘の内』

 現代ならば完全に「セクハラ」である。

 夜の薄暗い時、遠くでハッキリ見えない時、傘に隠れて良く見えない時は誰でも綺麗に見えるって。失礼にも程って物が有るでしょうに。

「馬子にも衣装」と若干似通った部分があるが、これは職業差別が絡んでいることわざ。

 夜目の利く猫科などの夜行性生物には通用しない。

 遠目の利くマサイ族にも通用しない。

 透視能力のあるスーパーマンには絶対通用しない。

 現代社会においては、まったく通用しないコトワザである。

 完全に死語といっていい。

 間違っても使わないように。


『た』

『旅は道づれ』

 元来この「いろはカルタ」という代物、子共に向いていないのは、すでに感じている方も多いかと。

 この「旅は道づれ」なんかは最悪で、早い話が無理心中ですわ。酷い話じゃありませんか。

 しかし、江戸時代には何の福祉行政制度も無かった為に、一家の大黒柱が居なくなったら共に死するしか術が無かったのが現実であった。

 あの世もこの世も一度一緒と決めたら徹底的に共に歩む。いざとなったら『道づれ』なんで御座います。

 殉死などという言葉もある。意味としては同じようなもの。  

「旅は道づれ世は情け」とまで付けるとちょっと意味合いが違ってくる。

 世に情けを期待している。期待に応えてくれた時代だったのであろうか。今となってはサダカではない。

 少なくとも、国民とマスコミの批判を警戒し、選挙に勝つ為の人気取に今まで長い事ほったらかしにしておいた「〇〇訴訟に関わる被害者の全面救済」をブチアゲる打算的人情話では無い「純粋な人情」が江戸の町にはあったようである。


『大食上戸餅食らい』

「大阪の食い倒れ」などと表現をする。

 鎖国時代にあって、食料の輸入が出来なかった当時の日本は食料の自給率100%。

 一見よろしい数字に受け止め勝ちだが、恐ろしく危険な数字である。

 ちょっと日照りが続けば、餓死者がわんさかと出てしまう時代だった。

 そんな時代にあって、フードアァイター並の食事を許されたのは「大名お抱えの相撲撲り」くらい。

 遠回しに「大飯食らいのロクデナシ」と言っている。

 正月位しか御馳走に有り付けなかった時代の、正月の子共の遊戯用である「いろはカルタ」に書くことか?


『立板に水』

 サァーサァーお立会い、御用とお急ぎで無い方はゆっくりと聞いておいで。御用お急ぎの方はちらっと見ていきやがれ。遠目山越し笠のうち聞かざる時は物の出方善悪黒白がとんと判らない。

 山寺の鐘がゴーンゴーンと鳴るといえども、なまぬるーい風邪がふーーー。法師きたって 鐘に撞木をあたえなければ、鐘が鳴るのか、撞木が鳴るのか、とんとその音色が判らない。

 以下ク〇長いので中略サアーどうだ、このようにがまの油の効能が分かったら遠慮は無用だ。分かったら、どしどし買ってきな、買ってきな。

 成分表はビンに貼ってあるシールに載ってますから。

 これ「ガマの油売りの口上」このようにペラペラとなめらかに見事に喋り倒す状態を「立て板に水」。といった意味と思っていただいてよろしいかと。

 今ならこの口上、完全に「詐欺」である。

 ガマの油の主成分は「馬油」=「ばあゆ」という字のとうりの馬から取った油。「薬事法」にも違反している。

 最近ではこの様な「立て板に水」の売り口上は、テレビショッピングなどで見られる。

 なかなか見事なしゃべりっぷりだと思うが。超わざとらしいテレビショップもあるな。あれで売れるんか?

 見苦しいだけなので、止めて欲しいのだがスポンサー無しではテレビが成立しない。

「ドブにお金を捨てているようなものだから、あのわざとらしいテレビショッピングを何とかしようよー」と言える人は居ないな。

「ものの始まりが一ならば、国の始まりは大和の国、島の始まりは淡路島・・・ねぇバクチ打ちの始まりは熊坂の長範、どう・・・赤い赤いは何見てわかる、赤い色見て動かぬものは、木仏、金仏、石仏だ 千里を走る汽車でさえ、赤い旗振りゃチョイと停まるというやつ・・・続いた数字が二つ・・・ねぇ兄さん寄ってらっしゃいは、吉原のカブ、仁吉が通る東海道、憎まれ小僧、世にハバカル・・・さぁ、仁木弾正 お芝居の上での憎まれ役、と言うの・・・続いた数字が三つ、ほら、三、三、六ポで引け目がない、三で死んだか三島のおせん、おせんばかりが女子じゃないよ、かの有名な小野の小町は京都は極楽坂の門前で三日三晩飲まず、食わず野たれ死んだのが、三十三・・・続いた数字が四つ、四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、イキな姐ちゃん立ちションベン・・・」 よっ! 寅さん

  

『れ』

『連木で腹切る』

 れん木とはすりこぎである。すりこぎで腹切るにはかなり根性がいる。

 赤穂義士の切腹は刀ではなく扇子だったとの噂がある。 

 あとは介錯任せの首切り。出来ない事もなかったか。

 意味としては、できもしない事をしようとする者を馬鹿にした言葉。

 すりこぎで頭カチ割られて死んだり、包丁で腹を刺されて死んだりする人は大勢いる。

 切腹して死んだというと有名所では「三島由紀夫」先生が最後かね。


『れう薬口に苦し』

 あの有名な孔子様の御言葉。

「孔子曰良薬口苦病利有忠言耳逆行利有」これじゃ何言ってるか解んねえよ。なので「良薬、口に苦し」とした。

 そもそも苦いは毒、酸っぱいは腐っていると生命誕生以来受け継がれた遺伝子情報。DNAに組み込まれた己の命を守る為の本能である。

 そんな貴重な生態情報を打ち消してまで、孔子は随分と思い切った事を言ったものだと関心する。

 現代ならば、一歩間違ったら「薬害問題」になりかねない発言である。

 孔子と言う人、かなりのお偉いさんなのだが、こと薬に関しては無責責任であったと推察できる。

「馬鹿と御上に付ける薬は無いといわれている。

「良薬、御上には効かず。毒薬、庶民に打ち込み」と改めた方がいいのでは。

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