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壱拾参

 壱拾参


『ま』

『負けるは勝ち』

 よく使われているが、いざ説明するとなるとヒジョーに難しい。言っている事が無茶だからだ。

 負けは負けである「負けるが勝ち」などとは、所詮負け犬の遠吠えでしかない。

 戦争などによって一部の兵を犠牲にして敵をかく乱し、そのすきに本陣をタタク。

 作戦的に全体の勝ちは得られたとしても、一部の特攻部隊の負けは負けである。

 ワンフォーオール。ワンの部隊はたまったものではない。

 私なら敵前逃亡する。ヘタレには自信がある。

「勝っても負け」という対語が出来てもいいと思う。あったよ「判決で勝って裁判に負ける」だったかな?

 最初から負けることを目的として戦うのであれば、負けた事は目的を達成したのであるから勝ちと言っていいだろう。

 ジャンケンなら敗北は決定であるが、申請を拒否してもらう為に申請しているであればいいだろう。

 間違って審査が「支払い決定」となればなったで、余計な手間暇が省ける。どっちに転んでもいい。

 この言葉、負ける為に戦って負けるのならば、つまりは勝った事であると言いたがっているのかもしれない。


『待てば甘露の日和あり』

 他力本願の極みである。この言葉に自分で何かをしようという意思は微塵も無い。

 甘露は中国古典に出てくる天が降らす慈悲の雨で、甘い露の味がするらしい。

 しかるに、天は少なくとも近代になってからは慈悲の雨を降らせていない。

 頼るだけ頼った後は勝手に争い「悪魔の黒い雨」まで降らせた人類。神はとっくに我々をお見捨てになっている。

 昔は日照りが続くと命に関わった。人柱を立てての雨乞いも行われていたほどである。

 そんな時に降る雨は、きっと甘く感じたのだろう。

 甘いものが貴重品だった頃、山の湧き水でさえ甘く感じたものだ。

 現代のように甘さに慣れて肥え太ると、甘さ控えめーなどとヌカス。

 人は何時でもわがままだ。

 甘露では無くカイロと思っている人が多いようだが間違いだ。

 カイロから国際電話やインターネットで連絡は入って来ない。

 農耕民族ゆえのコトワザである。

 海賊にはそんな事はどうでもいい事だ。

 待って願いが叶うなら「私待つわ。何時までも待つわ」(アミン 待つわより抜粋)ダーホ。

 世の中そんなに甘くない。

 待っていて勝手にやって来るのは請求書くらいの物だ。

 話はコロッと変わるが、今日、病院で寄付を募る張り紙を見た。

 子供の心臓移植費用が一億近くかかるとか。

 ほとんどはドナーの順番待ちを飛ばしてもらうため、賄賂につぎ込まれる金だ。究極の選択か。

 一人の命の為に一億。比べるのも悍ましい程で、百円で助かる命もある。

 一億だと百万人の命が助かる勘定になってしまう。

「人の命の重さに変わりは無い」「人命は地球より重い」だが、命の値段には変わりがあった。

 持たざる者の命は五百円玉より軽かった。持つ者に囲まれた一人の命は百万人の重さに値する。

 やっぱり人間は大馬鹿たれだ。

 一億かけて旅する人がいる。

 一億無いばかりに死んでいく人がいる。

 実力主義社会・ク〇野郎国家的。聞こえは良いが、ろくなもんじゃねえ!


『まかぬ種ははえぬ』

 簡単に考えれば確かにそうである。これもやはり使えないコトワザだ。

 現代においては種を蒔かなくとも芽は出る。

 農業に限らず、畜産でも同じ事が言える。

 遺伝子操作・人口受精・バイオテクノロジー、何打らカンダら。

 農耕作物でも種を蒔いて出来る物ばかりとは限らない。

 果樹であれば大元は種であったのだが、挿し木・接木で増やするのは現代に限らず江戸の時代でも当然の事であった。

「努力なくして実はならぬ」なんて事をいいたかったのであろう。言いたい事は分からないでもない。

 だけどさ、努力と結果は必ずしも一致しない。

 現代教育は、人は不平等の中で生きている現実を教えていない。

 いくら努力しても報われない国民に対して「今国が貴方に何をできるかではなく、貴方が国に何をできるかである」とか言った奴がいた。

 独裁者を大勢世界に排出してきた国家の長が言いそうな言葉だ。

 国家とは国民から税金を奪い、いざ戦いともなればその命までも奪う。

 国家に対して何が出来るかってか? ザーケンナー。

 国家が国民に何もしないで国民から奪うだけなら、国家なんてものはいらねえよ。

 国民の利益の為に国家があるのだ。国民は国家の奴隷ではない。

 この事を世界に強くアピールした人は大勢いる。  

 有名な所で隣のジョン。

 殺されちまったよ!


『け』江戸(特に都庁近辺)

『芸は身を助ける』

「芸」とは「ゲイ」の意味ではない。

 仕事にあぶれても「ゲイ」の世界でならば何とか生きていけると勘違いしているムキも最近では増えている。

「オネエ」達がテレビに出て稼ぎまくっているのを見れば、そう思っても仕方の無い時代だ。

 美しさに憧れ、美の追求をするのが悪いとは言わない。「汚いオカマ」は勘弁してほしいと思っている。

 タレントとして活躍している「汚いオネエ達」は「ゲイ」がなくとも立派な仕事をしているから認められているのである。

 綺麗なオカマはそれなりの道を行けばいい。

「汚いオカマ」は世間が許しても私が許さない。

 その汚さをカバーして余る才能と努力がある者だけを許す。

 メイクアップもその技術の一つだ。

 ある程度の壊れ方ならば、メイク技術で何とかできる。

 ただし、限界もある。

 どんなに優れたメイクの技術をもってしても、ゴリラをビーナスには出来ない。

 それほどの技術があったら、とっくにハリウッドでセレブになっている。映画の特殊メイクは結構稼げる。

 本来の意味は「ゲイ」=「芸」=「藝」=「草刈」=「職人芸」となって「手に職を持っていれば食いっ逸れは無い」と言う事。

 しかーしながら、現代において職人さんは泣いている。

 不景気のアオリを受け、賃金の不払い延滞が日常茶飯事。

 親会社はというと、黒字決算してるじゃないかよ。何故ー!

 職人はツブシがきかない。

 身を助けてくれる「芸」が本職だから、その「芸」の払いをしてもらえないとなったら、後は御想像にお任せする。

 ぶら下るなら親会社の軒先にしろ。世間様が分かり易くていいから。

 何社かのマスコミに意見書なんかも送っておくと効果的だ。


『下戸の建てた蔵はない』

「まったく酒の飲めない人が金持ちになった事はない」と言っている。嘘だー。信憑性がまったく無い。

 確かに酒屋には酒蔵がある。金持ちは飲み歩く。

 金持ちになった人がいないのではなく、金持ちだから飲み歩いていられると言ったほうが正しい。

 同じような御言葉に「買わなきゃ当たらぬ宝くじ」「張っちゃいけない親父の頭、張らなきゃ勝てない丁半博ち」などがある。

 どれもこれも貧困層から金品をサルベージするためのキャッチコピーとしか思えない。

 朝寝・朝酒・朝湯で破産した人もいた。

 買っても当たらぬ『狸』の空クジである。

 博打で蔵を建てたのは、人のフンドシで相撲をとった「予想屋」くらいだ。

 貧乏人はろくな年金も受け取れず、生活苦から止む無く「クリームパン」を一つ盗んで食ったら窃盗罪で逮捕されてしまうが、---自粛削除---が国民から預かった年金をサブプライムに注ぎ込んで、大穴を開けてしまっても罪にはならない。

 国民の金で大博打をしておいてである。

 どこかの組ならコンクリートで足元を固められ、小魚の餌になっていて当然なのだよ。

 詐欺は騙す方も悪いが騙される方も悪いなどと言う。

 いくらかの金品を何かの代償として受け取りながら、その契約を行使できない状態であるにも関わらず、集金を続けたり約束を守らなかった場合、これを一般的には詐欺という。

 等価交換の法則である。錬金術にもルールがある。

 年金は国が犯した「明白な詐欺事件」であるにも関わらず「弁護士会」は何もしていない。有志をつのって国を訴えようとはしない。

 弁護士は一生涯現役が多い。年金など自分とは関係の無い世界の話なのかもしれない。

 道路を作る為の税金で娯楽用品を買った奴がいる。公私混同も甚だしい。どれほど金銭感覚をずらせば気が済むのか。

 公金でマイホーム・マイカー・博打に株。

 確かに「給料」は公金から出ている。だからといって、総てが給料ではない。

 少し位は庶民の為に使ってもらいたいものだ。

 国会議員が地方に視察。

 公金を使って高級料亭での飲み食い。

 誰が列席していたのか教えてはくれない。

 話し合いならば役所の会議室で出来る。何で料亭なの。

 一方では倒産・失業・ホームレス・医者の居ない病院。 

 その一方で高級料亭での接待。

「いかに多くの国民を騙すかで、その政治家の価値は決まる(詠み人知らず)」誰かが言った。

 ヒットラーは人間的に問題があった。政策にも問題があった。しかし、人を騙す事にかけては天才的であった。悪い意味で世界を動かした。

 良い意味で世界を動かせるような人は「アラレちゃん」か「孫悟空」くらいか?

 うっ、アラレちゃんはロボットだった。

 孫悟空はサイヤ星人だった。


『下駄と焼味噌』

「似ていて異なる物」という意味である。

 焼き味噌の匂いが履き草臥れた下駄に似ていたという説が有力。

「く○と味噌」「御仏壇と御陀仏」「与党と野党」「スーパーマンとスッパマン」「恐喝とお願い」「ログハウスとホッタテ小屋」「視察と旅行」「研修と慰安旅行」「温泉と鉱泉」「餃子と農薬」「右翼と左翼」「自衛隊と軍隊」「賄賂と政治献金」「選挙と餅撒き」「祭りと暴動」「ホームレスと放浪者」「経費と横領」「弁護士と用心棒」「ヤクザとマルボウ」「内戦と代理戦争」「核保有と核抑止力」「貧乏と貧困」「飢餓とダイエット」「FⅠと棺桶」「ドラえもんとドザエもん」「外道と大富豪」「政治家とペテン師」「病院と空きビル」「二千万のタクシー代と障害者福祉費」「二千万のタクシー代を変だと見抜くのは不可能だと言った奴とエテコウ」「法律とザル」「悪徳弁護士と偽弁護士」「名医と迷医」「イソベンとドカベン」「医療過誤と手抜き」「手抜き工事と設計変更」「リフォームと解体」「中古車とクラシックカー」「終身刑と無期懲役」「殺人とひき逃げ」「エイリアンとベジタリアン」「南米と北米」「虐殺とベトナム戦争」「兵器の廃棄と湾岸戦争」「死の商人と商事会社」「金貸しと銀行」「借金取りと銀行員」「嘘つきと証券マン」「証券と紙くず」「紙くずと米ドル札」「2ドル札と十万円金貨」「いくら働いても貯まらない貯金と、いくら返しても増える借金」「放牧場とゴルフ場」「旅館とホテル」「テレビと携帯電話」「バンパイアが飲む血と教会のワイン」「ゾンビが食う肉と教会のパン」「脱税用トンネル会社と宗教団体」「革命家とテロリスト」「資本主義と金の奴隷」「民主主義と日本の政治」「脱税と節税」「住宅ローンと事務所経費」などと同じような意味として使われている。

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