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壱拾壱

 壱拾壱


『の』

『のど元すぐれば熱さ忘るる』

 どんなに熱い物を口に含んでも、飲み込んでしまえば喉を過ぎたあたりから熱さを感じなくなってしまうの意。

 ただし、溶けた鉛や溶岩といった食材として適していない物の飲食は、危険を伴い消化によろしくないので止めるべきである。

 溶けた鉛などを口に含めるのであれば、大道芸で良い収入が得られる。

 職場は世界各地に多々あるから、転職をお勧めする。

 何故、感じなくなるではなく忘るるなのだろうか、ゴロがよかったからにすぎない。深い意味など有り得ない。

 忘却は知能を持った生物、特に人類の様に高度な脳内活動を行なう生物にとって、脳のみならず己の生命を維持するにあたり重要な意味を持っている。

 辛い・悲しい・むかつく(胸焼けではない)怖い思いをした・臨死体験をした・金縛りにあった・幽霊とドライブしてしまった・借金取が追いかけて来る等、人生には忘れたい事が山程ある。

 しかし人間の記憶とは残酷な物で、生命の危機に関わる様な重大な事件ばかりを鮮明に記憶してしまう。PTSDの元凶である。LSDとは少しだけ違う。

 これは同じ様な状態に自分が置かれた場合、無意識に素早く危険回避行動が取れるようにする為の記憶である。

 したがって、インパクトの強い事件の記憶を忘れる事はない。 

 ただし、あまりにも強烈であり、その記憶を度々よみがえらせる事によって己の精神を正常に保てないようであると、脳は自動的にその強烈この上ない「取り扱い注意」の記憶を、脳の大奥に閉じ込めて二度と外出しないようにしてしまう。

 俗っぽい言い方をすれば、部分的記憶喪失という状態である。

 人間の脳メモリー容量には限界がある。

 そこで、一時的に「海馬」という脳の一部に記憶し、必要かそうでないかを振り分けてから、大脳深層表皮質という部分に記憶を移動する。これが本記憶である。

「海馬」が、人間の記憶に関わる「喉元」と言ってよいだろう。

 海馬には極少量の情報しか記憶出来ない。

 実際に脳全体で記憶できる容量は、約一万ギガバイト(十テラバイト)と言われている。

 ちょいと高めの外付けハードディスクが一テラバイト一万円ほど。

 人間の脳と同じ程度の記憶回路が、十万円弱で買える。ある意味恐ろしい時代である。

 しかし、上記の様に大奥に閉じ込めてしまった記憶や、時間の経過で細胞の一部が破損したりして、情報がアイマイな記憶は使い物にならない。

 実際に使える記憶容量は、八十ギガバイトから百ギガバイト。

 そして瞬時に使いこなせる記憶、つまりパソコンのハードディスクのように、素早く使用出来る記憶の量は更に少なくなって四十ギガバイトから五十ギガバイト程度である。

 皆さんが御使いのパソコンの記憶容量はどれ位だろうか。

 私のノーパはほぼ五百ギガバイト有る。

 パソコンが凄いのか人間の脳がたいした事ないのか。

 コンピューターが出来たばかりの頃、人間の脳と同じ程度の機能をコンピューターに持たせようとしたら、ドーム球場十件ほどのスペースが必要だと言われていた。

 現代はノーパの中に収まっている。そして進化し続けている。

 そのうち小説もコンピューターが書き出すよ。きっと。


『野良の節句働き』

「怠け者の節句働き」などとも言う。

 節句は今で言えば「公休日」にあたり、サービス業以外は殆どが休んでいる日である。

 普段はぬらりひょんになって仕事もしないで遊び呆けている奴が、皆が休んでいる節句の日に限って忙しそうなふりをして働いている。

 深夜、世間様が寝静まって休んでいると言うのに、せっせとお勤めをする「コソドロ」もこの類であろうか。

「芸人」と呼ばれる職業の方々、特に売れていない方は暮れから正月にかけてのほぼ全世界的同時「節句の日」に稼ぎまくる。

 これは普段怠けているからではない。

 普段は売れっ子芸人が仕事を独占しているために、まともな仕事が無いだけである。

 これを「怠け者」といっては可哀そうである。

 仕事が無ければ無いなりの、生活上での苦労と言う物がある。

 彼らは節句以外の日々を、悲惨極まりない生活苦と戦っている。

 志を高く持てば人間は成長すると誰かが言った。ただ、高く持ちすぎると人間は栄養失調になる。

 成長を妨げるばかりか生命の危機を招く恐れさえある。

 少年よ大志はほどほどに抱け。

 現代社会は凄まじい生存競争社会である。

『明治は遠くなりにけり』あっ! これ著作権大丈夫かな? 過去の名言と言われる言葉を鵜呑みにしてはいけない。

 現代に照らし合わせた解釈をしてから飲み込むべきである。


『のみといはば槌』

 現代では通用しない一言である。

 親方が「ノミ」と言ったら「ゲンノウ」(カナヅチや木槌・ハンマー・プライス・半ライス)を一緒に持っていく。

 職人の世界ではこの様な行動が、気の利くよい行動として高く評価されて来た。 

 逆に「ノミ」と言われてノミだけを持っていくと「ノミっつったらゲンノウも持って来るんだよ! ったく気が利かねえなテメエは」と親方に叱られる。デタラメだ。

「ノミ」と言われて指示されたとおり「ノミ」を渡して叱られる。

 これを不条理と言わずして、この世に不条理があろうか。

「ノミとゲンノウを私の所に持ってきなさい」と言わなかった親方が悪い。

「ノミ」と言われてその先の言葉を予測し、親方に「ノミ」を持って行っただけでもたいした予知能力である。ある種、人の心を読む超能力かもしれない。

「弾」と言われて弾と機関銃を運び、さらに気を利かせて打ちまくるだろうか。

「デンジャラスな馬鹿野郎」と誰もが思うだろう。

 現代は上司に言われた事以外に、気を利かせたつもりで余計な事をしてはいけない時代なのである。

 ちょっとした勝手な判断ミスや、コミュ誤解によっては大惨事を招きかねない。

 複雑に諸事情が入り組んだ社会においては、個人の独断は大事故に直結する。

「ノミといったら槌」はそれなりに有意義ではあるものの、かなり危険をはらんだ言葉として認識するべきである。

 だからー。ノミって言ったら「ノミ」だけでいいんだっつってんだろ。ボゲ!


『お』

『鬼に金棒』

「アメリカに核爆弾」「銀行に緊急資金」「アスリートにステロイド」「ガンダムにGNドライブ」「セーラー服に機関銃」「ヤクザに警官バッチ」「ハゲに脱毛剤」「不払い保険会社に悪徳弁護士」「自衛隊に憲法改正」「刺し傷に塩」「パンツにブルマ」「坦々麺にタバスコ」「コーヒーに麦焦がし」「鯨にオーストラリア」「政治家に袖の下」「証券会社に内部情報」「横綱にモンゴル政府」「貧乏人に疫病神」「生物兵器にネットオークション」「下水道に腐乱死体」「飲酒運転にF1マシン」「コレラにマラリア」「焼肉に生ビール」「インターネットにうわさ話」「大福にイチゴ」「難病にやぶ医者」「無医村に医師不足」「増税に減給」「インフレに失業」「パンチパーマに日本刀」「吉本にジャニーズ」「大地震に強度偽装」「ドリアンにクサヤの干物」「火災現場に消火器爆弾」「エイリアンにプレデター」「ブルースリーにヌンチャク」「ジャッキーチェンに酒」「武田鉄也にハンガー」「招き猫にポン引き」「食あたりに下剤」「飲みすぎにテキーラ」

 狭義では前「鬼」に後「金棒」という。

 前単体でも相当の力や威力があるのに、その物に対して後のアイテムを与える事によって、さらに強さを増すと言うゲーマー必読書のタイトル。ミリオンセラーになっている。版元は三天堂である。

 広義では前記の状況をさらに悪化させるとか、凶暴にするといった意味としても使われる場合があるが、これらはその言葉の意味する内容によっては「踏んだり蹴ったり」「泣きっ面に蜂」と同義として使われたりもする。


『陰陽師身の上知らず』  

「医者の不養生」とか「論語読みの論語知らず」なんかと同じ様な意味である。

 専門に携わっている者は、えてしてその専門家としては在り得ない様な生態をしているものである。

 巨漢であるがゆえに足元の見えない『〇ブの足元暗し、ヤ〇のその日暮らし』とは別である。

 陰陽師はいい加減いい塩梅適当に言いたい放題の嘘八百千二三百並べ立て、時の政府を右へ左へと動かした単なるペテン師に過ぎない。自分の未来など分かる訳が無い。

 占いというか超能力者の総てを否定はしないが、陰陽師と私は馬が合わない。

 何処をどの様に観察しても詐欺師にしか思えないのである。偏見である。だからどうした。嫌いな奴は嫌いなのだ。

 物語としては実に面白い。よく出来た話だと思うのだが現実味に欠ける。

 もっとも、陰陽師が自分の身の上を知ってしまったら陰陽師などやっていない。博打に走るに違いない。

 博徒にとって予知能力は永遠の夢である。

 既に科学と言う西洋からの考えが入って来ていた江戸時代、陰陽師は「非科学的」であり信用するに値しない職業の一つと成り下がっていたのである。

 現代の陰陽師「経済---削除---」はというと。やはり「〇〇ア---削除---トの経済知らず」だったようである。

 アメリカの「サブプライム」という大掛かりな「取り込み詐欺」を誰一人として見抜けなかった。

 数々の対策にも関わらず世界経済が混乱している理由が分からないらしいが、理由は簡単である。

 政府の政策など関係ない、この時とばかりに金余り諸氏が更に多くの金を余らせるべく、金に物を言わせて空売りをしまくっているからに他ならない。

 パニクった一般投資家が、投売りに出た所を買い戻す。下がったら損切りしろよ。

 値が上がれば底が見えたとばかりに、一般投資家は買いに走る。

 底値で買い戻すと同時に底値買いをしていた金余り諸氏、今度は適当な所で売りに転じる。同時に空売りもする。

 異常な速度での下落にパニック売りが入って値崩れの繰り返しだ。

 政策だの援助だのの問題ではないのである。

 金余り諸氏の取引を強制停止するしか解決の糸口はない。

 金融商品の売買凍結が一番手っ取り早いかもしれないが、銀行の半分は消滅する。証券会社はこの世から消える。

 現代日本における「医者の不養生」は慢性的な医師不足と国民の高齢化が原因と思われる。


『負ふた子に教へられて浅瀬を渡る』

 アメリカに「おんぶに抱っこ」で育って来た日本にとっては、ちょいと耳の痛いお言葉。

 おんぶしてもらい河を渡っていたのに、バブル崩壊という過去のとても痛い経験は何処吹く風とばかり。一緒になってサブプライムしちゃったりして。

 なんの忠告もしなかったんだろうな、きっと。

 やる方もやる方だけど、一緒に溺れたってしょうがないやね。

 過去に学び反省し未来に生かす。何一つ実行していないんだから。

 ベトナム戦争の時も一言いってやればよかったんだよ。「止めとけば」って。ここでも敗戦の経験が生かされていない。

 それどころか、ベトナムのジャングル戦では、ゲリラ攻撃のイロハを日本の敗残兵が指導していた。

「あんまり色々言うと機嫌を損ねるから」って黙ってたんだろうな。

 国際政治ってーのは、国同士が互いに言いたいことを言い合って、その場で問題を解決し、戦争やテロといった脅威を未然に排除していく物なんではないんだべか。

 日本は永久にアメリカの「イエスマン」で居る気だ。

 おんぶされた子の支持で浅瀬を安全に渡れるならば、たとえ親でも子の意見には従うべきものである。

 典型的「ワガママ国益最重視国」ア〇〇カ。国益の為ならば非弱な国への総攻撃も辞さない「ノーマン」ア×××と、何でもかんでもア〇〇カの言いなり「イエスマン」日本が、この先一緒の屋根の下で生活していく事に何か大事な意味があるだろうか。問題は無いのだろうか。

「ノーと言える日本人」に成りたがってから久しいが、未だに「ノー」と言った公式記録は記憶に無い。

 今年のクリスマスに合わせて上映予定のハリウッド映画「イエスマン・ニッポン」(仮題)のロケが近くの海で始まっている。

 こんなフザケタ作品が「アカデミー賞」にノミネートでもされた日には、いい『恥さらし』である。

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