16-6 一人の人間として、感謝を
お兄様と私とライジーが並んでソファーに座り、向かい側にデボラさんとラピドスさんが座ったところで、話は再開した。
「では、改めて紹介しよう。彼らフエース夫妻は近くの村に住んでいてね。通いでここの使用人をしてくれているんだ」
「週三日だけですがね」
お兄様の説明に、デボラさんがすかさず情報を追加する。
「昨夜の間に、彼らに伝書鳩を送って頼んでおいたんだ。私がここを発った後、ソフィーの面倒を見てくれないかとね」
「わたしゃ、心臓が飛び出るかと思いましたよ。寝ている時に光る鳥が目の前に突然現れるもんですから! まったく、年寄り相手にこんなドッキリはやめていただきたいものですよ」
「はは、すまなかったね。急を要する内容だったんだ。私はもう出発しないといけないしね」
「──それで、サーレット様のことですし、その理由は教えては頂けないんですね?」
「……いや、ちゃんと言うよ。そのうち分かることだし、無理なお願いをしてしまったからね」
お兄様は説明した──私の家が魔物に襲われ、燃えてしまったこと。そしてその近くで結界の一部が破壊され、王都からの派遣隊が修復に当たっていること。お兄様もそれに加わりに行かなければならないこと。
説明が進むにつれ、デボラさんとラピドスさんの顔は戦々恐々となっていった。
「結界が、壊されたのですか……⁉ 魔族が攻め込んでくるのでは!?」
「こういう時のために、私たち王宮魔導士団がいるんだ。大丈夫だよ」
「そ、そうですね……取り乱してしまい申し訳ございません」
デボラさんはそう言って謝ったのだけれど、結界が壊されたと聞いて取り乱すのはもっともな反応だと思う。
それからデボラさんは私の方を向くと、沈痛な面持ちで口を開いた。
「ソフィアリリー様は大変お辛い思いをされたのですね……。それはおそろしかったでしょう」
「……温かいお気遣いありがとうございます。けれど、私は幸せ者です。兄やライジーがそばにいてくれましたから……」
そこまで言ってハッとした。ライジーの名を出したところで、デボラさんが私の隣に座る、フードで顔を隠したライジーをじろじろと見始めたからだ。
「ライジー、というのはこちらの方ですか?」
デボラさんたちに正直に話してよいものか、お兄様に視線を向けて助けを求めると、お兄様は短くため息をつくと、話し始めた。
「……そうだよ。彼は獣人。いわゆる魔族、という部類の存在だね」
そこでお兄様は手を伸ばして、ライジーのフードを掴み、サッと下ろした。ライジーのピンと立った大きな耳を見て、デボラさんとラピドスさんが息を呑む。
「お、お兄様……っ」
あまりの突然の告白に、私も動揺してしまう。けれどお兄様は気にしない様子で、説明を続ける。
「けどね、彼はソフィーのよき友人でもある。この通り見た目で驚かせてしまうかもしれないが……君たちに危害を加えるようなことはないよ。決してね」
その言葉を聞いて、私は図らずも目が潤んでしまった。たった一日二日を過ごしただけなのに、ライジーの本質はお兄様にも伝わっていたのだ。
「……なるほど。サーレット様がこの屋敷にいらっしゃった理由が分かりました。まあ……大人しそうではありますが……」
デボラさんは恐る恐る腰を上げると、テーブル越しにライジーの目の前で手をちょいちょいと動かした。その手の動きを、ライジーはキョトンとした顔で追っている。
「こう見えて私、犬の扱いは慣れておりますよ。若い頃は気性の激しい犬も飼っておりましたしね」
デボラさんが得意顔でそう言うと、ライジーがボソッと呟くのが聞こえる。
「……俺ぁ、イヌじゃねーぞ」
「じゃあ、その頭についているものはなんですか。ホレ、触らせてみなさい」
そう言いながら、デボラさんは身を乗り出して、ライジーの耳に手を伸ばす。デボラさんの急速な距離の詰め方に戸惑ったのか、ライジーはササッとソファーの後ろに隠れた。
「こらこら、失礼だろう」
後ろからラピドスさんがたしなめてくれたおかげで、ライジーの耳は諦めてくれたようだ(名残惜しそうに見えたけれど)。やがてデボラさんは座りなおすと、きりっとした顔でお兄様に言った。
「……承知いたしました。このデボラ、責任持ってこのお二人のお世話をさせていただきますゆえ」
「サーレット様はお心置きなく、お勤めを果たされてください」
ラピドスさんがそう言葉を引き継ぐと、お兄様は微笑んだ。
「君たちならそう言ってくれると思っていたよ……ありがとう」
「あの……突然押しかけてしまい、こんなお願い事で申し訳ありません。なるべくお二人のご負担にならないよう努めますので、どうかよろしくお願いします」
突然現れた見知らぬ人間(しかも魔物付き)がこれからご厄介になるのだから、私も精一杯お願いをした。
すると、デボラさんとラピドスさんは優しい微笑みを浮かべて次々と口を開いた。
「サーレット様とうちの旦那様との仲ですからね。こんなのはお安い御用です」
「お気になさらないでください。困った時はお互い様ですよ」
人の優しさが心に沁みる。魔物を連れてきた、こんな見ず知らずの娘、拒絶されても当たり前だ。なのに、彼らはどうして嫌な顔ひとつせず受け入れてくれるのだろう。
「デボラさんとラピドスさんに、心から感謝申し上げます。それに、お二人の御主人にも──」
震える心に動かされ、気付くと私は、その場に立って深々とお辞儀をしていた。
けれど、私の行動がデボラさんとラピドスさんを戸惑わせてしまったようだ。
「ど、どうかお顔を上げてください」
「いけません……辺境伯家のお嬢様が、私らみたいな平民に頭を下げられては」
二人を困惑させてしまったのは申し訳なかったけれど。
「確かに私は貴族の身ですが……一人の人間として、感謝の気持ちを伝えたいのです」
私がいまだ頭を下げていると、横からお兄様が助け舟を出してくれた。
「……ソフィーは貴族社会を離れて大分経つからね。ま、大目に見てやってよ」
お兄様のその言葉で二人が戸惑いの顔を少し緩めたところで、グウゥゥという音が盛大に鳴った。
私やお兄様、そしてデボラさんとラピドスさんが音の鳴った方を振り向くと、ライジーがぐったりとした顔で呟いた。
「……腹減った……」
その一言に、デボラさんがすくっと立ち上がる。
「厨房で何か作ってきましょう。お客様のお腹を空かせたままでは使用人の名が廃りますからね。ソフィアリリー様、とそちらの獣人様、苦手な食材はございますか?」
「あ、ありがとうございます。私もライジーも、食べられない物は特にありません。……あっ、ライジーは辛い物は苦手ですね……」
いつものライジーの食べっぷりを知っている身からすると、昨晩食べたお菓子だけではライジーのお腹は満たされていないことに私は気付いていた。だからこそデボラさんの申し出をありがたいと思うのと同時に、早速面倒をかけてしまう申し訳なさを感じながら答える。
「承知いたしました。サーレット様も召し上がられていきますよね? 以前と嗜好は変わられていませんか?」
次にデボラさんはお兄様の方を向いてそう尋ねると、お兄様は首を横に振った。
「ぜひ──と言いたいところなんだがね。状況も状況だから、私はもう発つよ」
「かしこまりました。では、道中手軽に食べられるものをすぐに用意します」
デボラさんはそう言うと、客間を出て行った。ラピドスさんも「では私は馬の用意をしてきます」と言って、外に出て行った。
……お二人ともテキパキと動いていて、使用人の鑑のようだ。
残された私ができるのは、お見送りだけだ。ソファーから立ち上がり玄関へと向かうお兄様の後を、ついていく。お腹の空いた顔をしているものの、ライジーも私についてきてくれる。
玄関に着くと、私は借りていた外套をお兄様に手渡しながら、何とか言葉を絞り出した。
「お兄様、どうか……どうかお気を付けて。お兄様が無事に戻られるまで、毎日お祈りします」
誰よりも強いサーレットお兄様とはいえ、破れた結界のもとに行くのだから、万が一のことが無いとは言えない。けれど、送り出す側が暗い顔をしていては幸先が悪い。だから、私はできる限りの笑顔でそう伝えた。
すると、お兄様もフッと笑って答えてくれた。
「それだけで私は無敵だな」
それから外套をまとい、ラピドスさんが連れてきた白馬に乗ると、お兄様はライジーにじっと視線を送った。
「……ソフィーを頼む」
ライジーは答える代わりに、深く頷いた。
昨日のこのお屋敷に来る道中の時と比べると、随分な違いだ。この夜を経て、お兄様とライジーの間にわずかながら信頼関係が生まれたのかもしれない。
私が驚くと同時に感動していると、デボラさんがやってきて、小さな包みを差し出した。
お兄様がそれを受け取ると、今度こそ手綱を握り、行ってしまった。
頭の中で考えていれば、状況が状況なだけに不安はある。
けれどお兄様の後ろ姿を見送りながら、私はふと直感した──お兄様は必ずや、果たすべき任務を成し遂げ、無事帰って来るだろう。
その時はきっとテオも一緒に──と。




