16-5 予期せぬ訪問者
◇◇◇
こうして、この大変なことだらけな一日は終わった。こんな日でも私がぐっすりと眠れることができたのは、眠る前にライジーと少し話せたおかげだと思う。
外の明るさと小鳥のさえずりで目が覚めると、簡単に身支度を済ませ、一階に下りることにした。昨日の客間の前に立ったところで、扉をノックする。
「……おはようございます。入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
そう聞こえたので扉を開けると、お兄様が身支度の最中で、襟を立てているところだった。部屋の奥のソファーの上で少しやつれた顔でぐったりしているライジーの姿に気付いたところで、お兄様が私に声を掛けた。
「おはよう、ソフィー。気分はどうだい?」
「おかげさまですっかり体調は元通りです! ご心配おかけしました」
「それならよかった。体調の良くないソフィーを残していくのは忍びないからね」
そう言いながら、お兄様は身支度の最後の仕上げに手袋をはめピシッと伸ばす。お兄様が身にまとっているのは王宮魔導士団の制服で、妹の欲目かもしれないけれど、いつ見てもため息が出るほどに素敵だ。
「あの、もう発たれるのですか?」
「ああ。名残惜しいけど、準備が整い次第ね」
「そうですか……」
お兄様は私の異変を察知して、すぐに駆け付けてくれただけでなく、ライジーと一緒にいたいという私の我儘にも応えてくれた。本当に優しくて、私にはもったいないくらいのお兄様だ。
そんなお兄様がお仕事のために出発しようとしている。私にも何かできることないかと考えていると、玄関の方から呼び鈴が鳴った。それを聞いたお兄様が、迷うことなく扉の方に歩いて行く。
「ああ、早速準備が整ったようだ」
「え?」
「ソフィー、一緒においで。ほら、君も寝ていないで」
「え?」
ポカンと口を開ける私に、お兄様が手を差し伸べる。ソファーに寝転ぶライジーにも一緒に来いと言うものだから、私は少し驚いた。
一体、誰が来たのだろう。もちろんお兄様は知っているのだろうけれど、獣人のライジーまで一緒にというのは、彼の存在を知られても構わない人なのだろう。
まさかライジーを捕らえるために呼んだ人……?
そんなことを一瞬考えたけれど、お兄様は私の意向を無視する人ではないと思い直す。
ライジーはマントを頭から被りながら、よろよろとこちらにやって来た。そんなライジーが少し心配になって尋ねる。
「ライジー、大丈夫? あまり眠れなかったの?」
「そりゃあ、積もる話もあるじゃないか。妹が大分お世話になってきたみたいだからね?」
ライジーが答える前ににっこりとそう言うお兄様を見て、昨晩、私が二階に上がってから二人の間に何があったのか私は悟った。きっとライジーはお兄様から根掘り葉掘りの質問攻めに遭ったのだろう。私とライジーに関することについて。
「……ごめんねライジー……」
「このくらい、別にヘーキだ……」
兄の代わりに謝る私に、ライジーは弱々しく笑って答えた。……これは大分、お兄様がしつこかったようだ。本当に我が兄が迷惑をかけました……。
私はライジーの体を軽く支えながら、お兄様の後をついていく。そうして三人で玄関まで来ると、お兄様はためらうことなく扉を開けた。
私はドキドキしながら、扉が開いていくのを見つめる。開けた扉の隙間から差し込んだ朝日が顔にかかり、目が細めたその時、その訪問者の姿があらわになった。
「お久しぶりでございますね、サーレット様」
そのしわがれた声は、思ったより低い位置からだった。顔を少しだけ下に向けると、そこには腰の曲がった老婦人が立っていた。
「やあ、デボラ。それにラピドスも。突然呼びつけてすまなかったね」
お兄様がにこやかにそう言うと、老婦人──デボラさんというらしい──は「ほら、あんたも挨拶するんだよ」と扉の陰に隠れていた老紳士を前に引っ張り出した。
老紳士──ラピドスさんは、腰の曲がっているデボラさんと比べるととても大きく見える。けれど、声はその体格からは予想もしないほど優しげだった。
「サーレット様、お元気でしたか」
「ああ。変わりないよ」
君たちも相変わらずだね、と言わんばかりにお兄様は笑うと、脇に退いて私たちに紹介してくれた。
「彼女はデボラで、彼はラピドス。彼らはここの使用人なんだ」
「こちらの?」
私がお兄様と二人の訪問者の顔を交互に見ていると、デボラさんが私をじっと見ながら口を開いた。
「では、そちらのお嬢様が……」
「私の妹のソフィアリリーだ」
「そっ……ソフィアリリー・マクネアスと申しますっ」
ぼうっとしていてはいけない。お兄様に紹介され、私は慌てて挨拶をした。こういったやり取りは社交界に居た頃ぶりなので、少し緊張する。緊張しているのは、デボラさんの刺すような視線を浴びているから、なのもあるかもしれないけれど。
「──では、そちらは……」
その時、その視線が私からすっと逸れた。内心ホッとしたのもつかの間、デボラさんが次に視線を移したのは、隣のライジーだった。
私がどうしようと心の中で焦っていると、お兄様が間に入ってきてくれた。
「ま、ま。立ち話も何だから、続きは中に入ってからにしよう?」
その一言で、私たちは客間に入ることにした。




