16-3 謎に包まれた屋敷の主人
「おまえたち? 何しているんだい?」
「何……とは?」
お兄様は何のことを言っているのだろう……と考えた瞬間、まさにこの状況のことだと思い当たって私の顔に一気に血が上る。バッとライジーの膝から立ち上がり、慌てて弁明を始める。
「い、い、いえ、これはその、ライジーが暖炉の前に運んでくれた時そのまま──」
「リリーを温めてたんだよ」
まごつく私に被せるようにして、ライジーが平然と口を開く。お兄様は相変わらずの恐ろしい笑みのまま、非難めいた口調で問うた。
「へえ? 君の体で? 暖炉が目の前にあるのにその必要があるのかな?」
「体をくっつけた方が早くあったまるだろ」
「獣人の常識ではそうかもしれないけどね、ソフィーは人間だ。しかも貴族の令嬢。家族でもない者が、軽々しく触れていい存在ではないんだよ」
あああ、やめてくださいお兄様。お兄様が思っているような悪気は、彼には全く無いのです。
私が一人オロオロしていると、ライジーがポツリと呟いた。何故だか、切なげな顔をして。
「か、ぞく」
「……は?」
その時。お兄様の口から、凄みの利いた声が漏れて思わずビクッとする。生まれてこのかた、こんな声、お兄様から聞いたことがない。しかも顔からはもはや笑みは消え去り、憤怒丸出しの感情がライジーに向けられていた。
「まさか……身の程をわきまえない、とんでもないことを考えてやしないだろうね?」
「お茶! 淹れますねッ!!」
ライジーの命の危機を察知した私は、咄嗟にそう叫ぶと、お兄様に駆け寄ってトレイを受け取る。
「お手伝いをお願いしてもいいですか? ね、お兄様!?」
「……甘えん坊だなあソフィーは」
それだけでお兄様の顔が一変して、ふにゃりと緩んだのは幸いだった。
ライジーの様子は気になるけれど、とにかく先にこの二人を物理的に離した方がいいと判断して、私はお兄様をテーブルの方に引っ張っていった。
「私は茶葉を準備するので、お兄様はティーカップを温めていただけますか?」
「了解」
お兄様は先ほどの激しい感情はどこへやら、機嫌よくポットから三つのティーカップに熱湯を注いでいる。
……三人分。当たり前のようにライジーの分も用意してくれているのを見て、あながちお兄様はライジーを認めていないわけではないのだと思う。
もし認めていないのであれば、ライジーの分のティーカップを用意するはずがないし、そもそもこのお屋敷に入れなかったはずだ。
そうと分かって少しホッとしつつ、私は茶葉を準備しようとトレイの上の紅茶の箱に手を伸ばした。
「……あ」
これは先ほど食堂で見た、とても高価な銘茶の箱だった。私はこれを触るだけでも手が震えそうになるのに、お兄様はこの紅茶の価値を知っていて敢えて持ってきたのだろうか。
「お、お兄様。これ以外に紅茶はありませんでした?」
「あったけど?」
「あの、他の紅茶にしませんか? こんな貴重な紅茶を使うのは忍びなくて……」
「貴重な紅茶だから持ってきたんだよ。ソフィーはそれを飲むべきだよ。美味しいよ」
「えぇ……」
にっこりと言ったお兄様はポットを置くと、私の手から銘茶の箱を取り、何のためらいもなく蓋を開け始めた。私が呆然と見ている横で、お兄様はさっさとその茶葉をポットの中に投入していく。無人の屋敷に入らせてもらえるほどここのご主人と仲の良い相手だとしても、さすがにこんな振る舞いはどうかと思う。
私はポットに蓋をするお兄様に、恐る恐る尋ねてみた。
「先ほどから気になっているのですけど……このお屋敷は一体どなたのものなのですか?」
「えぇとね…………教えない」
答えてくれるのかと思いきや、お兄様はにっこりとそう言った。
「え、どうしてですか⁉」
「気に入らないからね」
「どういうことですか?」
私が訝しげな顔をしていると、お兄様が拗ねた顔でじとっと私を見た。
「……だっておまえ、ここの主人に直接会ってお礼を言うとか、感謝状書くとか言い出すだろう?」
「? はい、当然じゃないですか」
「ほら! だから嫌なんだよ!」
「はい……?」
「私は大事な妹をあいつに会わせたくないんだよ! だから名も明かさない!!」
まるで駄々をこねる子どものようだ。お兄様はそれきり、何も喋らなくなってしまった。
ニオイが気に食わないと言ったライジーといい、どうして二人ともこのお屋敷の主人をそんな風に言うのか理解できない。
けれどこれ以上は何を言っても無駄だと思い、私は屋敷の主人の正体を探ることはやめることにした。
それから紅茶を淹れ終えると、私たちはテーブルを囲んで飲むことにした。
「ふうん……獣人も紅茶を飲むのか。可笑しな光景だな」
お兄様がティーカップを片手に早速厭味を言い出したけれど、ライジーは全く気にしていない。ティーカップに恐る恐る手を近付けると、熱いと思ったのか、私の前にカップを差し出してきた。
「リリー、冷ましてくれ」
「はい」
ライジーの猫舌は出会った頃から変わらない。そんなところがいとおしくて、私はクスッと笑うと、ライジーのカップを持ち、ふうふうと冷まし始めた。
お兄様がライジーを睨みつけているのは分かっていたけれど、もう何も言わなかったので、私も知らぬフリをして、紅茶を冷ます作業を続ける。
その合間に、私はお兄様に話を切り出す。
「聞きたいことがあるのですが……私たち、ここにはどのくらい滞在するのでしょうか? あまり長居してはご迷惑ですし……できれば明日にでも別の家を探し始めた方がいいのかと」
「そうだねぇ……」
お兄様は飲んでいたティーカップを下ろすと、口を開いた。
「私は、おまえにはしばらくの間はこの屋敷に居てほしいかな。この屋敷は安全面で都合がいいんだ。屋敷の主は忙しくてしばらく帰ってこないからその辺は気にしなくていい。他の民家から離れているから、獣人君の存在に気付かれにくいだろうしね。……まあ、獣人君と離れてくれるならすぐにでもマクネアス家に帰れるんだけど」
そこでお兄様はちらっとライジーを見たけれど、「ライジーと一緒がいいです」と私が言ったので、はあとため息を吐いただけでそれ以上は何も言わなかった。
「私は明朝、結界の修復に戻る。派遣隊が到着して既に対応に当たっているだろうけど、私も行かないといけなくてね。ソフィー、ずっとおまえの傍についてあげたいんだが──」
「はい、私は大丈夫です。お兄様は結界の修復作業に専念なさってください」
「……一段落したら、すぐに迎えに来るからね」
お兄様を見ながら私は頷く。お兄様のことだから私のことを心配してやきもきするだろうけれど、私はライジーと一緒だから心細さは無い。この我が国の一大事、しっかり務めを果たしてきてほしい。
その時、あることに気付いて私はハッとした。明日、お兄様が旅立ったら、このお屋敷にライジーと二人きりになる。
これまでだってライジーが傍にいたけれど、今まではテオが傍にいた。テオの居ない今、正真正銘二人きりとなる。その事実に、そこはかとない緊張と何かしらの期待が胸に浮かぶ。
国が危険に晒されていて、これからお兄様に大変な仕事が控えているこの状況で、そんなことを考えている私は本当にどうしようもない。
自分が情けなくて頭を押さえていると、私の体調が良くないと思ったのだろう、お兄様が心配そうに切り出した。
「気付かなくてすまなかった、疲れているのに。二階に個室があるから、今日はもう休もう。案内するよ」
「あ、いえ…………はい。お願いします」
私の邪な考えで心配させてしまっていることが申し訳なさすぎて、私は慌てて否定しようとした。けれど、お兄様やライジーだって疲れているのは間違いない。話はここでお開きにして二人にも休んでほしいと思い、素直に頷いた。
「君は来なくていいからね?」
立ち上がった私を後ろからそっと支えるようにしてエスコートしてくれるお兄様が、後ろを振り返り、立ち上がろうとしていたライジーにはっきりと言い渡した。
けれど、ライジーもお兄様の圧に負けてはいない。
「やだ。俺も一緒に行く」
「うん? よく聞こえなかったなぁ……まさか、レディの寝室に入ろうとか思っていないだろうね?」
お兄様の言葉の節々が刺々しいのに、ライジーは全く気にならないようだ。これ以上お兄様を刺激しては、また先ほどのようにお兄様の感情を逆撫でしてしまうのは確実だ。
だから私は、ライジーが口を開くその前に、咄嗟に手を上から下に下げて、腰を下ろすように訴えた。
幸いなことに、ライジーはその意味を理解してくれたようだ。不満げな表情ではあったのだけれど、のろのろと腰を下ろしてくれた。
それを見てようやくお兄様は満足そうに息を吐くと、私を二階の個室までエスコートしてくれた。




