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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第三章

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16-2 無人の屋敷


 最も夜の更けた頃、お兄様に連れてこられたのは、こぢんまりとしたお屋敷だった。マクネアス辺境伯家ほどの規模ではないにしろ、庭園付きの立派なお屋敷だ。


 お兄様は馬から降りると、門を押した──が、門は開かない。鍵がかかっているようだった。


 次の瞬間、錠の部分からカチリと音が鳴り、お兄様は門を押し開けると、堂々と中に入っていった。きっと錠破りの魔法を使ったのだろう。


 白馬を引いて、颯爽と屋敷玄関口まで歩くこの場面だけを見れば、物語に出てくる王子様さながらのようだ。けれどこんな夜更けに人様の屋敷に不法侵入しているのだから、やっていることは空き巣か泥棒だ。


「あ、あの、お兄様」


 私はまだライジーに抱っこされたまま、不安げに声を掛けると、お兄様はくるりと振り向いてにこやかに答えた。


「心配しなくとも大丈夫さ、ソフィー。屋敷の主に許可を取ってあるからね」


 それを聞いて、私は少しホッとした。そういえば、お兄様はここに来る途中、通信魔法の伝書鳩を飛ばしていた。きっとこのお屋敷の持ち主に宛てたのだろう。


 三人で庭園を通り抜け、正面玄関まで来ると、お兄様は再び玄関の扉に錠破りの魔法を使った。扉を開けながら、私たちに声を掛ける。


「おまえたちは先に中で休んでおいてくれ。入ってすぐ左側が客間だから。何か飲み物や軽食が欲しければ、右側の食堂をのぞいてみてくれ。私は馬を厩舎に入れてくる」


 そう言うと、お兄様は馬を連れて外へ出て行ってしまった。


 ……勝手知ったる他人の家。お兄様はこのお屋敷のことをよく知っているようだ。ということはお兄様は頻繁にここを訪れているのか、もしくは訪れたことがあるのだろうか。


 それにしても、お屋敷の中は真っ暗で、静かで、誰もいないようだった。お兄様はああ言っていたけれど、無人の人様の屋敷に勝手に入るのは気が引ける……。


 そんなことを考えていると、頭の上からライジーのいつもよりかは弱々しい声が降ってきた。


「なあ、リリー。兄ちゃんもああ言ってたし、入っていいだろ? 俺、腹減った……」

「あっ、そうだね! 入らせていただきましょう」


 ライジーは私を抱えて長距離を走ってくれたのだ。どちら様のお屋敷なのかもわからず、しかも家主の居ない家に勝手に入るのは申し訳ないけれど、有難く屋敷の中に上がらせてもらうことにした。


 ライジーの腕から降ろしてもらうと、恐る恐る中に入る。


「お邪魔します……」


 灯りはひとつも点いていないけれど、月明かりと、あとは発光大理石の天井や壁のおかげで、屋敷の中がぼんやりと見える。玄関ホールの正面には二階に続く階段があり、その左右にはそれぞれ客間と食堂に続く扉があるようだ。


 まずは客間の方を覗いてみることにした。決して狭くはないこの部屋には、応接セットをはじめとした、シンプルだけれど上品な雰囲気のインテリアでまとめられていた。


 部屋の隅には暖炉があったので、私たち三人の冷え切った体を温めさせてもらおうと、暖炉の前に近付いた。火を点ける道具が無いか、暖炉の周りに目を走らせると、見慣れない物に目が留まる。


「これって、もしかして……マッチ?」


 マッチとは、数年前に発明された火を点ける道具だ。小さい箱の中には短い軸木が入っていて、この先端と箱の側面には火を点けるための薬品が仕込まれている。これらを擦り付けると火が点くというわけだ。


 ふつう魔法を使えない一般人にとって火を点けるのはものすごく大変な作業なのだけれど、これを容易にしたのがこのマッチなのだ。


 こういう便利な物があると噂には聞いていたのだけれど、希少性の高さから貴族の中でも王都に住む上位クラスの貴族を中心にしか使われていないはずだ。私の実家のマクネアス家にも無い。


 そこまで考えると、私はくるりと踵を返した。そのまま客間を出て行く私の後を、ライジーが慌てて追いかける。


「火、つけるんじゃねーのか?」

「あ、うん……後でいいかなって。まずはお腹を満たすものを探しましょう?」

「! おう」


 それを聞くや否や、ライジーの耳が嬉しそうにピンと立つ。


 それから食堂に移動した私たちは、手分けして食べられるものを探した。ライジーがクンクンと匂いをたどってキャビネットから見つけたのは焼き菓子のセットだ。


「…………」


 すっかりお腹を空かせたライジーは、口の端からよだれを垂らしながら食い入るように凝視している。私も見て食べても問題なさそうなことを確認すると、焼き菓子の入った箱をライジーに持ってもらうことにした(ライジーはほくほく顔だ)。


 一方、私は飲み物を持つことにした。焼き菓子が入っていたキャビネットにあったポットを拝借して、流し台の蛇口からお水を汲む。


 お水が溜まる間、先ほどのキャビネットに何気なく目を遣ると、ふと気付いた。キャビネットの中には茶葉の箱があったのだけれど、それがとある銘茶のものだったのだ。とても高級なもので、これまた並の貴族ではそうそうお目にかかることができないと言われている代物で……。


 ふとポットに目を戻すと、お水はもう満タンだった。慌てて水道の水を止めると、三人分のティーカップをポットと一緒にトレイに載せた。これで用意はできた。


 私たちが食堂から客間に戻ると、お兄様が暖炉の前で屈んでいた。ちょうど暖炉に魔法で火を点けるところだったようで、かざした手の先で薪に火が点くと、くるりとこちらを振り返った。


「やあ、何かいい物は見つかったかい」

「はい、焼き菓子とお水を。ありがとうございます、火を点けてくださったんですね。マッチしかなかったので、どうしようかと思っていたところでした」

「うん?」


 私は客間のテーブルにトレイを置くと、分からないといった顔をしたお兄様に説明した。


「だってマッチなんて高価な物、勝手に使う訳にはいかないじゃないですか。勝手にお邪魔させていただいている上に、お水とお菓子までいただこうとしてるんですから……」

「そんなこと気にしてたのかい? こんな時でも律儀で慎ましやかさんだなあ、ソフィーは。別に、好き勝手に使ったらいいんだよ」

「いえ、そんなわけには……」

「気を遣う必要のない奴だから大丈夫さ」


 お兄様はそう簡単に言うけれど、私は決してそうは思わなかった。


 このお屋敷のそこかしこに置かれているものは、そのマッチや食堂で見かけた銘茶のように上質で高級な物ばかり。マクネアス辺境伯家でも置いていないような物ばかりだ。


 そんなお屋敷の主人が「気を遣う必要のない奴」である訳が無かった。


 お兄様がそんなに気安く言う相手は一体、誰なのか──。訊ねようと思った瞬間、お兄様が先に口を開いた。


「ああ、火を点けられなかったから水を持ってきたのかい? 貸してごらん、私が沸かしてこよう」

「そんな、私がやります。暖炉の火をランプに移せば食堂に運べますし。お兄様は休んでいてください」


 お兄様は王都からずっと馬を乗り回し、ライジーは私を抱えたまま走ってきてくれたのだから、この中で最も疲れていないのは私だ。そうでなくても、私のためにこうも動いてくれる二人のために、私ができることくらいはさせてもらいたかった。


 けれど、お兄様はポットを取り上げると、優しいながらも有無を言わさない表情で言った。


「だめ。休むのはおまえだよ、ソフィー」

「そうだぞ、リリー。体がすげー冷たいし、顔色がすこし変だ」


 ライジーに後ろから手を引かれ、私はソファーにすとんと腰を落とす。


 その時になって初めて、自分の体の異変に気付いた。この真冬の夜空の中を移動してきたためか体はすっかり冷え切っていた。そのせいか、頭も少しだけズキズキとする。


「……ではお言葉に甘えて」

「うん、暖炉の前で体を温めておくんだよ」


 そう言うと、お兄様は客間を出て行った。


 私はふぅと息を吐く。お兄様にも、ライジーにも、本当に敵わない。どうして私の周りにはこんなにも気遣いができて、優しい人ばかりなのだろう。


 彼らのためにも、早く元気になろう。そう思っていると、ライジーが私の前に立ち、身を屈ませてきた。


「リリー、すこし持ち上げるぞ」

「え──きゃっ」


 ライジーに突然抱き上げられ、移動した先は暖炉の前だった。腰を下ろしたライジーの膝の上に、私も座り込む形となった。


「熱すぎないか?」

「うん、大丈夫」


 いつもの私だったら、恥ずかしくてライジーの膝から降りたがっただろう。けれど、今はそんなことを思うどころか、ずっとこのままでいたいくらいだった。それはたぶん、私が弱っていたからかもしれない。


 パチパチという音を聞きながら、暖炉の火をぼうっと眺める。前から暖炉の熱、背後はライジーの熱で、私の体は芯から温まっていった。


 体が温まったおかげか、心も温かくなり、私は無性にライジーにお礼を言いたくなって、口を開いた。


「……ねえライジー? 本当に……その、ありがとう。こんな言葉じゃ表せないくらいなんだけど……私、ライジーにとても感謝してるの」

「なんだよ、急に」

「だって、私のわがままでこんな人間界の真ん中までついてきてくれて……やっぱり落ち着かないでしょ?」

「まあ正直、この家のニオイは気に食わねーけど……俺がついてきたくてきたんだし、いいんだよ。それにリリーがそばにいれば、どこにいたって落ち着くし」


「……ふふ」

「何で笑うんだよ」

「ううん。何でもない」


 ライジーの考えていることが私のと一緒で、思わず嬉しくなってしまったのだ。私もライジーが傍にいてくれれば、それだけで安心できるし、心強い。幸せだった。


「ところで、このお屋敷のどこが気に食わないの? 広いし、掃除が行き届いていて清潔じゃない?」


 今は無人のようだけれど、普段はきちんと管理されているのか、屋敷の中がとてもきれいだ。むしろ私の家より居心地が良さそうだけれど。


 私が尋ねると、ライジーが鼻を動かしながら部屋の中を見渡した。


「……ここに住んでる奴のニオイなんだろうな。それがイヤだ」

「えっ、ここのご主人? どんな人か分かるの?」


 ライジーがもう一度、クンと鼻を動かすと、考えながら答えた。


「三人分のニオイがする。年寄り二人と、あとは若めの雄の──」


 何かこのお屋敷の主人につながるヒントが分かるかも、と思った瞬間、ポットを載せたトレイを持ったお兄様が客間に現れた──何やら恐ろしい笑みを浮かべて。


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