16-1 暫しの旅路
それから焼け落ちた我が家を残し、私たちは暫しの旅路についた。
お兄様は私が落ち着いて過ごせる場所に案内すると言って、馬に乗る自分の前に私を座らせると出発した。
馬はお兄様が乗ってきた一頭だけだったので、ライジーは私たちの後ろを走って追いかける形になってしまったのだけれど、ライジーは余裕綽々といった顔で造作もない様子だ。さすがライジー、と私は感心してしまった。
それに比べ、私は情けなかった。ただ馬に揺られているだけなのにダウンしてしまい、私のせいで度々休憩を挟むことになってしまったのだ。
道すがら見つけた切株に腰かける私に、お兄様は自分の外套を掛け直してくれた。この寒空の下、お兄様の外套を借りるのは申し訳なかった──しかも、王宮魔導士だけが纏えるという王宮魔導士団の紋章が描かれた外套だった──のだけれど、寝巻き姿のままだったのでありがたく羽織らせてもらうことにしたのだ。
「乗馬は意外と体力を消耗するからね、気にしなくていいんだよ。馬も休ませないといけないし」
お兄様が馬を撫でながらそう言ってくれたものの、私の体力の無さのせいでお荷物になっているのは確実だった。
早く疲れを取らなければ、と私が内心焦っていると、傍に座り込んでいたライジーが突然口を開いた。
「俺がリリーを抱えて走った方が早いんじゃねーの?」
その一言に、私もお兄様も固まる。それはそうかもしれないけれど、お兄様の手前、ライジーに抱っこをされるのは抵抗があるというか、恥ずかしかった。
「……フ、君に大事な妹を預けると思うか?」
お兄様が鼻先で笑いながら言うと、ライジーがズバッと一言。
「でもリリーだって、馬に乗るよか疲れねーだろ」
「それは……確かに」
そこは納得しないでくださいお兄様。お兄様がそう言ってしまうと、私は白昼堂々、抱っこされたまま移動することになってしまいます。
そう心の中で懇願していると、ハッと我に返ったお兄様がライジーに詰め寄った。
「それよりも! ずっと気になっていたんだが、その『リリー』というのは何だ? 馴れ馴れしすぎやしないか?」
「? リリーって呼んで何が悪いんだ?」
「……何が、だと? 全て悪い!! ああもちろん、我が妹の名一文字一文字全てが愛おしく素晴らしく、その響きがこの天使を見事に体現しているのは間違いない。だけどね、その神聖な名をどこの馬の骨だか知れない獣人が軽々しく口にすることなど許されない! 断じてね!!」
怒涛の勢いでお兄様がのたまうと、ライジーが私に耳打ちをしてきた。
「リリーの兄ちゃんって変わってんな」
「……そうかもしれない」
恥ずかしくて、私は俯きがちに頷いた。──ただし。
今はそう見えるのだけれど、私の兄はこう見えて、普段はとても、とっても格好いい人なのです。そう、私にまつわることを除いては。
「でもさ、リリーがいいって言ってんだからリリーって呼んでもいいじゃん。なっ、リリー?」
「う、うん……」
これ見よがしに私の名を呼ばれ、頬が赤くなるのを感じながら私は頷く。嫌というわけでは決してないのだけれど、今まで二人だけで共有してきた名をこれほどまでに前面に押し出すのは照れくさいものだ。
それはさておき、お兄様には一言言っておかなければ。魔族であるライジーに手を出さないでくれているのは感謝しているのだけれど、出発してからずっとライジーに対して突っかかるような言動なのだ。
欲を言えば、私の大切な人同士仲良くなってほしい。けれど、そこまでは言わない。せめて、大切な友人に不快な思いはさせたくはないのだ。
「あの、お兄様? そんな言い方はやめてください。先ほどから、ライジーに失礼な態度じゃないですか」
「う……でもね、ソフィー──」
「でももなにもありません! ライジーは私を助けてくれた恩人なんですよ!?」
「う……分かった、善処するよ……」
しゅんとするお兄様が少し気の毒に思ったけれど、仕方ない。お兄様にはライジーがただの魔物に見えるのだろうけど、魔族というフィルターを取り去れば、ライジーの人となりが見えてくるはずだ。
一件落着かと思いきや、お兄様はライジーに向かってこう言った。複雑な表情をして。
「じゃあ、君がソフィーを運んでくれるか? やむを得ない……ホント、やむを得ないんだけどね」
「……え?」
今の話の流れからどうしてこんなことになったのか分からなくて、私はポカンと口を開いた。いや、失礼な態度をやめてほしいと兄をたしなめたのは私なのだけれど。
「慣れない乗馬でソフィーを疲れさせたくないし、かといって長距離を歩かせるわけにもいかない……。できることなら馬を降りて私が抱っこしてあげたいんだけどね……王子様の愛馬を借りてきてしまったから放っておくわけにもいかないし」
「え? この馬……王子様の!?」
ぶつぶつ言うお兄様の独り言に、思わず耳を疑った。くるりと振り返って、草を食む白馬を凝視する。やけに立派な──毛艶がよく、筋骨隆々な馬だと思ったけれど、まさか王子様の馬だったとは思いもしなかった。
「だ、大丈夫なんですか⁉」
ま、まさか勝手に拝借してきたのでは……。内心冷や汗をかいていると、お兄様が明るく言った。
「ハハ、大丈夫だよ。事情を話したら、王子様が御自ら貸してくれたのさ」
「そうなのですか……」
それを聞いて少しホッとしたけれど、しばらくしてやはりホッとしている場合じゃないのではという考えが頭をもたげた。いくら王子様の了承を得ているととはいえ、たかが辺境伯家の取るに足らない娘の元に駆け付けるためだけに王族の愛馬を使わせてもらうのは後々問題にならないだろうか?
「じゃ、行くぞ」
一人うんうんと唸っていると、いつの間にかライジーが任せとけと言わんばかりの得意顔で私の前に立っていた。
「あ、あの、待──」
私の声はライジーに届くことなく、彼は意気揚々と私を横向きに抱き上げた。それから私の肩からずり落ちそうになった外套で私を包むと早速走り出そうとした──が、お兄様がそれを止めた。
「待て」
「何だよ。早く行こうぜ」
「君もこれを被れ」
そう言って、お兄様がライジーに放り投げたのは外套と同じく王宮魔導士団の紋章が刺繍されたマントだった。予備で用意していたらしい。
「こんなの要らねーよ。全然寒くねーし」
ライジーがそう言ってマントを突き返したのだけれど、お兄様はため息を吐いて説明した。
「そうじゃない。この辺りから村があるからな、その姿じゃ人目に触れると困るだろ」
「あ、そっか」
確かにそうだった。ライジーの耳や尻尾はまさに獣人そのものの姿なので、見た人を驚かせるのは間違いない。
ライジーも納得してくれたみたいで、私を抱えたままもぞもぞと上から被ると、フードからプハッと顔を出した。
「これでいいか?」
そう問われたので、私は頷いた。これで耳も尻尾も隠せているので、遠目に見る分には獣人と分からないだろう。
「あの、お兄様。そういえば私たち、辺境伯家に向かっているのですよね? 道が違うような気がするのですが──」
私はここで、先ほどからずっと気になっていたことを尋ねてみた。私の実家のある領都は南の方角にあるのに、家を出発してからずっと東の方向に進んでいた。恐らく、魔族であるライジーを連れているので目立たない道を選んでいるのだろうとか、そんな理由を考えていただけに、お兄様があっけらかんとこう言ったのは驚いた。
「辺境伯家には行かないよ。突然獣人君を連れていったら、皆卒倒するだろう?」
「え!? では、どこに向かっているのですか⁉」
その問いに、お兄様はフフと美しく微笑みながら答えた。
「それは着いてからのお楽しみさ」




