15-2 懇願
冷え切った空気に、冴え光る朝日。その澄んだ冬の朝に、焼け落ちたばかりの、まだ熱を残す我が家。
そのコントラストが非現実的でちぐはぐに感じたけれど、その一方でひどく生々しくもあった。
まだ火のくすぶる我が家──いや、我が家だったものを目の前にして、私の腹の底にずどんと鉛石が沈んだ感覚に陥る。
自ら望んで連れてきてもらったにもかかわらず、やはり夢の出来事ではなかったのだという現実を突きつけられて、目の前が真っ暗になっていくようだった。
けれど、弱気になっている場合ではない。一刻も早く、テオをこの瓦礫の中から出してあげたかった。
玄関に回ると、瓦礫があちこちに散らばる中、積み重なった屋根の残骸が目に入る。
──これだ。テオがいるのはこの中に違いなかった。
あの時のようにもう炎は上がっていないので、これならどうにか退かせることができそうだった。
私が袖まくりをしている間、ライジーが私の後ろでオロオロとしているのが気配で分かった。ライジーは優しいから、きっとテオの亡骸を私に見せたくないのだろう。
でも、飼い主として、しなければならないことだ。だからライジーの気持ちは有難く受け取っておいて、私は意を決して瓦礫に手を触れた。
──その時だった。
「ソフィー!!」
私の名を呼ぶ声がして、ハッと後ろを振り返る。すぐそこの丘の上に、白馬に乗ってこちらに駆けてくるサーレットお兄様の姿が見えた。
「お兄様……?」
目の前の惨状に加え、お兄様が現れたことが夢のように感じた。けれど、馬がどんどんこちらに近付いてきて、やがて険しい顔をしたお兄様が馬から飛び降り私に駆け寄るのを見て、私は思い直す──やはり夢ではないのだ、と。
「怪我はないか!? なんと痛ましい……あぁ、そんなに泣き腫らした顔をして」
お兄様が私の肩を掴み、頭の先から足の先までまじまじと見てくる。いつも冷静なお兄様がこれほど慌てているのは、かなりレアだ。貴重なものを見れてしまったと、どこか外野気分のまま、私は答えた。
「お兄様、私は大丈夫です」
意外にも、落ち着いて答えられた自分に驚く。この調子なら、テオのことも取り乱さずにお兄様に伝えることができそうだ。
「でも……テオが──」
そこで私は背後の、屋根の残骸の方を振り向いた。続いてお兄様とライジーも、そちらに目を向けるのが雰囲気で分かった。
「テオがね、私を守ってくれたの。最後の最後まで。ね、お兄様。テオは立派な守護者だったでしょう?」
自分が守護者であることを認識していたかのように、いつも傍にいてくれたテオ。
人と同じようにできなくて泣いてばかりだった私と家族になってくれたテオ。
いつも私の心に寄り添ってくれたテオ。
「だから私、テオを弔いたくて。泣いてばかりじゃいられない」
そうだ、うじうじしている場合じゃない。ライジーの胸の中で散々、泣き尽くしてきたのだから。
テオに向けて決意を固めると、後ろからお兄様がボソッと呟くのが聞こえた。
「ソフィー……」
振り向くと、お兄様が渋面で私を見つめていた。……あれ? 私、変なことを言ったかしら?
私の表情から考えていることを読み取ったのか、お兄様が首を振った。
「いや、違うんだ。そうじゃなくて……」
言葉を濁してから軽く咳払いすると、お兄様は口を開いた。
「……わかった。でも、おまえをここに居させるわけにはいかない。ここからすぐ近くの結界が開いたんだ」
「結界が……?」
思いもかけない展開に、私はポカンと口を開くしかなかった。お兄様の説明は続く。
「ソフィーの家に異変が起きたと報知を受けてすぐに王都を飛び出してきたんだんだが……その途中に、結界が破壊されたとも連絡を受けたんだ。王宮や王宮魔導士団にも知らせが入っているはずだから、じきに緊急対応の派遣隊が来るだろう。だけど、ここに魔物が押し寄せてくる可能性がある以上、私にはおまえを安全な場所へ連れていく義務がある。現に魔物がおまえの家をこんな風にしたのだからね」
情報が洪水となって頭の中をかき乱す。
結界に守られていたはずのこの地があっという間に王宮から派遣隊が来るほどの危険地帯になってしまい、しかも、私の家がめちゃくちゃになったのは魔物が原因……?
次から次へと耳に入ってくる新情報を受け止めきれなかった私は、ただこれだけは言いたくて口を開いた。
「そんな……テオをこのまま置き去りにと仰るんですか?」
「おまえを安全な場所に送り届けて結界の応急処置が一段落したら、迎えに来る。必ず」
お兄様の厳しく張り詰めた顔を見て、私はなんて浅はかだったのだろうと思い知らされる。
お兄様だって辛くないはずがない。テオをあれほど可愛がっていたのだから。
それに、お兄様は王宮魔導士だ。私の我儘で、王宮魔導士としてのお兄様の立場を悪くするようなことはできない。
「……分かりました」
「それでは辺境伯家まで送ろう」
私がそう呟くと、お兄様はホッとしたようだった。私の背中に手を添えると、私を馬の方へと導いていった。
その途中、お兄様の眼差しが一瞬にして鋭く厳しいものに変わり、向かいに立つライジーを射貫いた。
「ところで、そちらの君だが──」
その時になって初めて、私はお兄様とライジーが初対面であることに気付いた。ライジーは魔族で、お兄様はその魔族を討ち滅ぼす王宮魔導士……という関係性であることも。
「おっ、お兄様! ライジーは、彼は獣人だけど、違うの!」
慌ててお兄様に縋りつく。お兄様は魔族を前にしたら、有無を言わさず滅しにかかるだろう……そう思っていた私は、何としてでもお兄様を止めるつもりだったのだ。
けれど、その必要はなかった。
「ソフィーを助けてくれたのだろう。感謝している」
視線こそ厳しいが、お兄様は静かにそう告げた。私がホッとしたのもつかの間、お兄様は続ける。
「だが、君を一緒に連れていくことはできない。分かるだろう? ここは王都から離れた辺境地とはいえ、魔族を連れて回れば混乱が起きることは」
お兄様の言うことは至極当然だし、ライジーの身の安全を考えてもそうするのが良いに決まっていた。
……けれど。ここでライジーと離れてしまったら、もう二度と会えない気がしてならなかった。
ライジーと二度と会えないと考えただけで、呼吸が苦しくなる。身が竦む。
いつの間にか地面にへたり込んでいた私は、懇願するようにお兄様を見上げた。
「お願い、お兄様……ライジーをどこにも行かせないで……。ライジーまでいなくなったら、私……」
耐えられない。大事な愛犬を失った直後に、大事な人まで奪われるなんて。
目から熱いものこぼれ落ちるのを感じながら、必死に兄を見つめる。
「……ソフィー」
その一言と同時に、お兄様はため息を吐いた。
「仕方ない……君も一緒に来るがいい」
お兄様がライジーにそう告げると、ライジーの耳が嬉しそうにぴょこっと跳ね上がった。
無茶なお願いをきいてくれたお兄様に、そして離れたくないという私の我儘に付き合ってくれるライジーに、この時ほど感謝したことはなかった。




