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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第二章

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13-7 変化(へんげ)


 里を駆け抜けていった子どもたちは、棲み処である洞窟の前である人物とばったりと出くわした。カーラだ。


「あっ、あんたたち。私、今起きたのよ。今日はあんたたちとの約束があったから昨日は早目に寝たのに、こんなに眠りこけちゃうなんて……。ごめんね、魚獲りの練習に付き合うって言ってたのに──」

「そんなの、どーでもいいんだって!」

「たいへんなんだ」

「アイザックが──」


 カーラの言葉を遮るようにして、子どもたちが一斉に喋り出す。それぞれの拙い説明をつなぎ合わせて、カーラはようやく何が起こっているか理解した。


 気が狂いそうなほどに苦しかった時、話を聞いてくれたのがアイザックだった。カーラは気が遠くなりそうになるのを堪えながら、つぶやいた。


「アイザックが……居なくなった?」


 子どもたちの声を聞きつけたのか、里の者たちが徐々に集まってきた。そして、彼らも異変を知ることになる。


「子どもがまた一人、いなくなった!?」

「あんたたち、またなの!」

「叱るのは後だ。皆で手分けして探すぞ!」

「おい、誰か長老に……!」


 それからすぐ、カーラを含む里の大人たちがアイザックを探しに外へ出て行った。


 程なくして、里の近くの森の中でアイザックは発見された。



 ──変わり果てた姿となって。





 ◇◇◇





 森の真ん中に横たわったものを囲うように、数人の獣人たちがしゃがみ込んでいる。


「アイザック……」

「ひでえもんだ……」


 皆、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。それもそのはず、里の大切な子どもの一人のはらわたを食い荒らされ、蠅にたかられ体中に蛆虫が這いまわった姿なんて、誰もが見たくないだろう。


「おい、誰かイゴルとアナを呼んでこい」


 一人がそう言うと、すぐさま別の一人が諫めた。


「バカ、おまえ、このままの状態で見せる気か? 我が子のこんな姿、見たい親がどこにいる」

「……すまん、そうだな」


 しんと静まり返る。やがて、一人が口を開いた。


「しかし、おかしいよな。子どもらの話じゃ、ついさっきまでアイザックと一緒に行動してたんだろ?」

「あぁ。でもこの様子だと、死後数日経ってるよな……」


 誰にもこの謎は分からない。とにかく彼らがすべきことは、アイザックが見つかったことを知らせることだ。


 一人が立ち上がると、こう言った。


「とにかく、長老に知らせに行こう」





 ようやく日の暮れた暗がりの中、女と子どもの声が聞こえる。


「どうだった? 初めての人間界は」


「どうもこうも……居心地悪いったらねえぜ。空気は澄み切ってるわ、空からはあの嫌な光が照りつけるわ。そもそもこの姿が落ち着かねえ」


 そう言うと、アイザック──いや、サジドは両手を広げて、その小さな体を見せた。


「あら、カワイイわよ? とっても弱そうで」

「やめろ!」


 オリガベラが頭を撫でてこようとしたので、サジドは憎々し気に手を振り払った。


 それから考えるように、闇夜を見上げる。


「そうだな……そろそろガキの骸が見つかってる頃合いだろうし、この姿でいるのは潮時か」

「えーっ。元のムサい姿よりこっちのがマシなんじゃない?」

「……完全に他人事だな」


 呆れた顔をしたアイザックが、みるみるうちに変形していく。ボコボコと膨れ上がり、背丈も高くなっていく。


 そうして体の変化が落ち着いた頃にはもう、すっかり元のサジドの姿も戻っていた。


「ふう……変化魔法で獣人のガキになりすましたはいいけどよ。ずっと魔力を殺しとかないといけない状況だったのはさすがに疲れたぜ」


 首や肩を回しながら、サジドはため息を吐く。獣人という魔力をほとんど持たない魔物にうまくなりすますには、魔力を外側に出してはいけなかったのだ。


 本来、魔族というものは魔力を隠すようには出来ていない。それを魔力隠蔽術を使って無理やり抑えるのは、やはりそれなりに疲弊する。しかも、今回は正体を隠して人間界に突入したからなおさらだ。


 今回、アイザックになりすましたサジドは、カーラに近付き、ライジーがすっかり人間の女に心を奪われていることを知った。そして、カーラが愚痴を聞いてくれたお礼をしたいというので、子どもたちを魚獲りの練習に連れて行ってくれることになったのだ。


 サジドはそれを利用した。カーラに眠りの魔法をかけ、子どもたちが人間界に行けてしまうよう仕向けたのだ。


「あーん。かわいいボクが薄汚いおっさんに戻っちゃった~~」


 さも残念そうに嘆いていたオリガベラが、良いことを思い付いたかのように声を上げた。


「あっ! ねえねえ。あたしがあんたのそのむさ苦しい姿に見飽きたら、また獣人の子に変化してよ」

「おまえなあ……。分かってるだろ? 同じ対象に変化できるのは一度限り……変化を解いたら、もう二度と同じ対象には変化できないって」


 サジドは呆れたようにため息を吐いた。彼女も変化魔法を使えるから分かっているはずなのに、こんなことをわざわざ説明させるとは。


 変化魔法というものは、変化したい個体の3つの要素──“肉体の一部”、 “魂”、そして “真実の名”を体内に取り込むことで可能になる。ただし、この3要素全てを取り込む必要はなく、最低でも“肉体の一部”か“魂”のどちらかを取り込めば可能だ。


 だが、3要素がそろえばそろうほど、より本物に近い変化ができる。サジドはアイザックの血肉と魂を食らい、真実の名も知っていたからこそ、仲間も気付かないほどの精巧な変化ができたのだ(ロイとかいう獣人の子は、何故か気付きかけたようだったが)。


 しかも、魂を取り込めば、その個体の過去を映像として覗くことができるおまけつき。あとはその対象に見合う魔力に調節すれば、それが偽物だと気付くことはほぼ不可能だろう。


 ただしこの変化魔法にもひとつ難点がある。サジドが説明した通り、一度変化を解くと取り込んだ魂を手放すことになるので、二度は同じ対象に変化できないのだ。骸が残っていれば可能かもしれないが、サジドも蛆虫のわいた肉を食いたくはない。


(まさか蛆虫を食えとか言わないよな……)


 オリガベラなら言いかねない。想像しただけで胸糞悪くなっていると、オリガベラがさも当然といった調子で言い放った。


「別の子に変化したらいいのよぉ」


 妖しく微笑みを浮かべるその姿は美しくもあり、恐ろしくもある。それを見て、サジドがぼそりとつぶやいた。


「……俺が言うのも何だけど、おまえってホント、悪魔だよなあ……」

「あら♪ ホメてくれてるの?」

「…………」


 サジドが元の姿に戻ったところで、本題に戻る。オリガベラが木に寄りかかりながら、尋ねた。


「──で? あの獣人は一体全体、人間界に何しに行ってたの? ただ人間の本を手に入れるため?」

「それな」


 サジドは両手を組み合わせると、ゆっくりと口を開いた。


「……オリガベラ。大収穫かもしれない」

「なになに? もったいぶらずに言いなさいよ」


 若干苛ついたオリガベラに視線をやり、サジドははっきりと告げた。


「聖女を見つけた」

「なんですって?」


 その反応からすると、まだ彼女は信じられないらしい。だが、サジドが見てきたものは間違いなかった。


「ライジーとかいう獣人と親しくしていたあの人間の女……間違いない。聖女たる力もこの目で、この体で、しかと体感したからな」


 ただの弱い人間だと思っていた──本の読み聞かせが始まるまでは。


(何とも言い表しにくいが、自分が自分でなくなるような……そんな感覚だった)


 思わずその場から逃げ出したくなるような、けれどもずっと聞いていたいような。


 体験したことのない感覚に恐ろしさを感じたものの、腹の底に溜まったなじみ深い邪気に安堵しながら、あの読み聞かせの場を何とか乗り切ったのだ。


 他の獣人の子どもたちは途中で寝てしまっていたから、訝しく思わなかったようだが。サジドは理解した──あんな人間離れした能力を持つのはただの人間ではない、と。


「ふぅん……で、ちゃんと殺してきたの?」


 指に髪を巻きつけながらオリガベラが聞いてきたので、サジドは呆れたように答える。


「な訳ねえだろ。まずは魔王様に報告だ」

「甘っちょろい男ね~。そんなの、事後報告でイイでしょ!」

「俺はおめえみたいに条件反射で動くような考え無しじゃねえんだよ」

「そんなにホメないでよぉ」

「だから褒めてねえ!」


 そこでサジドははあとため息を吐いた。もう何百年の付き合いだが、いまだに彼女との会話で疲れを覚えることがあるのは気のせいだろうか。いや、気のせいではない。


「それにしても意外。聖女サマって、国の真ん中で大事に守られてるものだと思ってたけど……違うのね?」


 それはサジドも思ったことだ。短く伸びた顎髭をさすりながら、つぶやいた。


「確かにそこは謎なんだよな。魔界のすぐそばで、たった一匹の犬と暮らしてるんだもんな……」


(あの女は自ら望んであの場所に暮らしていると言っていた。何かを企んでいる可能性も……)


 そんなことを思っていると、オリガベラがこんなことを尋ねてきた。


「それで、結界は問題なく通れたの?」

「あ? ああ。実際に通ってみて分かったが、あの結界、意外と脆弱でな。チビの姿で邪気が薄まったおかげか、余裕だったぜ」


 体に熱と抵抗感を多少感じたものの、聖なる炎で身を滅されることはなかった。ただ脆弱になっているとはいえ、それなりの邪気を持ってすれば、通り抜けることは不可能だっただろう。言うなれば、現在の結界は精度が低い状態なのだ。


「通れるようにしておいてくれた?」

「おう。通り抜ける時ついでに魔力で小さな穴を開けといてやったぜ。そこを突けば──って、何でそんなこと……」

「今から聖女サマにご挨拶しに行くからよ、モチロン」


 もたれていた木から身を離しながらそう言ったオリガベラに、サジドは口をあんぐりと開けた。


「はあ!? 今から魔王様に報告しに行くって言っただろ!」

「こんな面白そうなこと、ちょっとだって待てると思う? ホント馬鹿ね」


 鼻で笑った彼女を見て、サジドは諦めた。そう、彼女はこういう性格だった。


「……ったく……。あの女、ひと撫でで死にそうなくらいもろそうだったけど、油断はするなよ?」

「ハイハイ。じゃ、あんたはあの獣人の足止めをお願いね。ま、あんな魔物まがいが加勢しに来たところで何の問題もないけど、せっかくの聖女サマとのご対面で邪魔されたらムカつくから」

「は!? おまえはまた、人に面倒を──」

「とか言って、準備万端のようだけど?」


 そう言って、オリガベラはサジドの胸の辺りをトンと指で突いた。


「く……これは、その、念のためだよ」


 サジドは舌打ちする。彼の懐に忍ばせているものに気付いているとはさすが、オリガベラは目ざとい。


「もちろん、まだ殺しちゃダメよ? あたしが見つけたんだから、オシオキする権利はあたしにあるもの」


 オリガベラはクスクスと笑いながら、そう言った。文字を学ぶというタブーに触れてしまった低位魔族には、ねっちりといたぶらないといけない。他の魔族への見せしめのためにも、簡単に死なれては困るのだ。


「……なら、獣人の方はおまえが行けよ。聖女の方は俺が行くしさ。おっさんが若い女に化けるのは、ほらこう、色んな意味でキツイんだよ……」

「人間に化けるなんて絶対イヤに決まってんじゃない。それにね、あたし、聖女サマってのを見ておきたいの。今見に行かなきゃ会えなくなっちゃうでしょ? もう死んじゃうんだし」

「へーへー……わかったよ」


 一応提案してはみたが、頑固なオリガベラにこれ以上言っても無駄だろう。サジドは早々に説得を諦める。


(それにしてもオリガベラこいつに、人間と魔族の共存を考えてる奴を会わせちまっていいのかね……)


 人間は魔族に蹂躙されて当たり前というオリガベラが、全く異なる考えを持つ聖女に会えば、どんな反応をするだろうか。


 激昂するか? それとも、呆れて物も言えなくなるか?


 それを見てみたい気はあるが、正直サジドは聖女がたやすく死んでしまうのは惜しいとも思っていた。もちろんこんなこと、誰にも口が裂けても言えないが。


 そんなことを考えていると、オリガベラがタンと地面を蹴った。


「じゃ、後はお願いね」


 そう言い残して姿を消した相棒を見送ると、サジドは懐に手を入れて、一本の髪の毛を取り出した。


「何かの役に立つかと思って回収してきたが……こんなにすぐ使うことになるとか思わなかったな」


 シルバーグレーの艶やかに光る髪。


 アイザックに化けていた時、別れの間際に聖女に抱き付き、その髪の毛を拝借していたのだった。


「ふう……こう短時間に何度も変化魔法と魔力隠蔽術を使うのは、さすがに堪えるね……」


 サジドはため息を吐いた。魔齢700歳をとうに過ぎたこの身は、体を動かしたり魔法を使うのが日増しに億劫になっていくのを感じている。


 だが相棒の尻ぬぐいの為、ひいては魔王の為に結局は動いてしまうのが、サジドの悲しき本分である。


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