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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第二章

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12-5 それはまるで天上の詩のように

 サーレットもそこで休憩を終わりにして、メンテナンスの続きをすることにした。ソフィアと共にバスルームに移動し、二カ所の魔具にキッチンと同様、強化魔法を施す。


 キッチンや居間に付けた新たな魔法陣をバスルームの天井に施すと、廊下や他の部屋の天井にも付けて回る。


 途中、ソフィアが魔族の動向を訊いてきた。その時の貼り付けた笑顔からして、彼女が例の獣人の存在がばれていないかを探ろうとしているのは明白だった。もちろんソフィアが隠したいと思っている以上、サーレットは知らないふりをしたが。


(獣人君のことがバレてないと思ってホッとしているところも可愛いなあ)


 ソフィアが愛しすぎて、口では違うことを話しながらも心の中ではニマニマと笑ってしまう。そんな自分をテオにはいつもシスコンだと揶揄われるが、大いに結構だった。


 そうしてメンテナンス作業をすべて終えて居間に戻ると、フローラが一冊の絵本を手にソファーでくつろいでいた。侍女のアスデリカと、外から戻ってきたようでリックもいた。


 ソフィア手作りのクッキーを堪能しながら、母の持つ絵本の表紙をじっと見る。


(見覚えのある本だな……)


 それもそのはず、それはソフィアが小さい頃からのお気に入りの絵本だった。


 サーレットは絵本を見ると、どうしてもソフィアの幼い頃を思い出してしまう。


(私がまだ辺境伯家に居る時間が長かった頃は、たまにソフィーに絵本を読んでもらっていたな)


 字を覚えた頃のソフィアは人を見かけるや読み聞かせをしてやることに、それは夢中になっていた。そんな微笑ましい思い出に、サーレットは思わずくすりと笑う。


(おにいさまおにいさまと私の後をついて回って、本当に……本当に天使だった)


 現在のソフィアももちろん天使に違いなかったが、あの頃のソフィアを思い出すと、ぐっとくるものがある。人前なのでさすがにこらえたが、一人きりの時に思い出せばこれはもう、身悶えコースだ。


 ところが、魔導士の修業やあれこれで家を空けることが多くなり、そもそもソフィアが成長とともに恥ずかしさを覚えたのもあり、サーレットが読み聞かせを聞く機会はすっかり無くなってしまった。


 そう、この兄でさえ子どもの時以来、無いのだ。それなのに、ぽっと出の魔族がそれを享受している事実は、何とも受け入れがたかった。


(そんな天使を……どこの馬の骨だか知らない獣人が……)


 やり場のない怒りを微笑みの奥に抑え込んだまま、家族たちの会話に耳を傾ける。何故か、母が娘にその絵本の読み聞かせをねだっているところだった。


(私だって……! ソフィーの読み聞かせが聞きたいんだ……!)


 どこぞの獣人に対する個人的な恨みを晴らすべく、サーレットはこのチャンスを活かすことをした。


「ねえ~~いいじゃないのよぉ~~。お願いよソフィー?」

「私も聞きたいなあ。いいだろ、ソフィー」

「駄目ですよ」


 まるで子どもみたいに読み聞かせをねだるフローラに、サーレットも便乗する。が、ソフィアはつれない。


 しかし、ここで諦めるサーレットではない。次に、アスデリカとリックの方を向いて、こう尋ねた。


「君たちも聞きたいだろう?」


 二人は「はい」と答えはしなかったものの、物欲しげな顔でソフィアを見ている。それに対してソフィアは先ほどのような頑な態度が揺らぎ始めたようで、遂にはため息まじりに答えた。


「……一度だけですからね」


 使用人を無下にできないソフィアの性格を知り尽くしたサーレットの勝利だ。


 こうして、いい年した大人四人でソフィアを囲み、読み聞かせ会が始まった。


 ソフィアがゆっくりと言葉を紡いでゆく──。


 はじめは、恥ずかしそうに絵本を読むソフィアが可愛いなと思うくらいで、サーレットは特段変わったことは感じられなかった。


 が、じきに異変を感じることになる。


 ソフィアが照れや遠慮を拭い去り、物語に没頭していくにつれ、その声がサーレットの体に、頭に、心に、じわじわと沁み込んでくるのだ。それは恐怖や不安とは対極の感覚──まるで天上の詩のような、やすらぎや平穏、それに物懐かしさといった類の感覚だった。


 ソフィアの声を聞くにつれ、感情が昂っていく。言うなれば、魂が震えている、といったところか。


(──まずいな、これは……)


 うっかりすれば、目から涙がこぼれそうだった。だが兄として恰好は付けたいので、何とかこらえた。


 世間からは冷静沈着だの冷たいだの言われているが、本人は別にそのつもりはない。あくまで妹優先で生きてきた結果、周りがそう勝手に言っているだけなのだ。だから、サーレットも涙をこぼすことくらいある。ただし、その場合はすべてソフィア関連においてのみ、だが。


 ふとサーレットが目を上げると、他の聞き手の三人も同じような様子だった。元々涙腺の弱い母親は傍から見た人が引くほどに大泣きしているし、リックも同じ男としてどうにか耐えている様子だった。あのアスデリカさえ、今にも泣き出しそうに目を潤ませていた。


(魔族にさえあの効果だから、人間相手じゃあ無理もないな)


 ソフィアの能力が確かなことは分かっていたが、こうやってサーレット自身が目の当たりにして、身がすくむ思いだった。


 それは、相手がただの妹ではなく、女神を前にした時のような畏敬の念に近い。


 サーレットにとって彼女は、おのれに生きる意味を与えてくれた、まさしく女神だった。





 ソフィアによる読み聞かせも終わり、サーレットたちは辺境伯家に帰る刻となった。


 ソフィアと母親は、玄関の前で別れの挨拶を交わしている。アスデリカは彼女たちの周りを帰り支度で忙しそうに動いているし、リックは馬車の準備をしている。


「じゃあ、私はこれで帰るけど、変わらずソフィアの護衛を頼むよ」


 サーレットはテオと二人取り残された家の中、話を切り出した。


「……特に、例の獣人君。節度を守った付き合いをしているか、厳しく! 見張っておいてくれよ?」


 そう和やかに話すサーレットの顔は笑っているが、目が笑っていない。それに対し、テオがやれやれとため息を吐く。


「そう心配するな。まったく……そんなに妹ばかりに執着しておると、婚約者に愛想を尽かされるぞ?」

「それは大丈夫さ。ヴァリーは私に次ぐソフィーの信奉者だからね。……ほら、これ。愛妹手作りの土産があると知ったら狂喜するよきっと」


 つい先ほど手に入れたソフィア手製の押し花の栞をテオに見せながら、サーレットは言った。


「……ソフィアの周りには変人ばかりが集まるの」

「何か言ったかい?」

「いや」


 素知らぬ顔で短く答えたテオに、サーレットは仕切り直して言った。


「……でも心配しすぎる事は無いと思うけどね。何だろう……何か、引っかかるんだ」

「何? 気になることがあるのか?」


 サーレットがいつものシスコン調の雰囲気ではないことに気付き、テオが真面目な顔で訊ねた。


「……いや、ただの気のせいかもしれない。でも、念のために君も警戒しておいてほしいんだ」

「分かった。気にかけておこう」

「調査団の調整も早目に行うことにするよ。ソフィーが辺境伯家に戻り次第、すぐに取り掛かれるようにね。何かあれば、いつものように伝書鳩を飛ばしておくれ」

「うむ」


 そして、サーレットも玄関を出て行く。領都に戻れば、再びすべきことが山積みだ。

 だが今日、可愛い妹に会えて、いい気分転換ができた。これでまた、奮闘できそうだ。


 解決すべき問題にはこれから取り掛かることにして、あとは何事も無いことを祈るだけだった。


 サーレットの信じるものはソフィアと、そしておのれの力のみ。だから、基本的に女神に祈ることはしない。

 だがソフィアが平穏無事でいられるならば、女神にだって媚びへつらうことを厭わない。


(どうか……ソフィーがこの地を離れるまで、何事もなく済みますように。私の感じたあの違和感が、どうか勘違いでありますように)



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