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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第二章

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12-3 ソフィアの心の傷を癒す魔物

 ようやく気を取り直したサーレットは体を起こしながら、尋ねた。


「けど、その獣人はどうやってソフィアの家に上がり込んだ? これまで何度来ているんだ?」

「……結界付近で瀕死状態だった。それをソフィアが手当てのために運んだのがきっかけだ。その時、小僧がソフィアの本に興味を持ってな。それ以来、ソフィアから人間の文字を教わるため、それにソフィアに本を読み聞かせしてもらいに来ておるのだ」


 これまでにライジーが来たのは一度や二度どころの話ではないので、どれくらいの頻度で来ているかはあえて伏せた。本当のことを言えば、またサーレットが取り乱すからだ。


 テオの説明に、サーレットは納得がいったようだった。


「……なるほど、だから結界を越えてこられたのか。はじめは死にかけだったから。それ以降はソフィーの読み聞かせで邪気が浄化されたからか。君の時のように」


 ──ソフィアは魔力を持っている。それも“浄化”という、他に類を見ない唯一無二の魔法。


 そのことにサーレットはソフィアが誕生した時点で気付いていた。弱々しいながらも、確かにその小さな体に稀有な魔力が眠っている気配がした。


 しかし、当の本人は自分に魔力は無縁だと思っている。


 正直に言えば、サーレットはソフィアの素晴らしい能力を他人に自慢したかった。特に、兄と比べて見劣りがする平凡な妹と馬鹿にする愚かな貴族どもには。


(ホント、馬鹿な奴らだよ……凄いのは私じゃなく、ソフィーの方だっていうのにね)


 だが、積極的に人と関わるのが苦手だった妹の性分からすると、それはできなかった。例えサーレットがそう思っていたとしても、実際に優秀な魔導士として活躍する兄と比べられるのはソフィアをより萎縮させてしまうと思ったからだ。


 それに、ソフィアの能力は普通の令嬢として暮らしていれば目立たない性質のものだから仕方がない。なにしろ、魔族に対して本の読み聞かせをするという状況でのみ発現するという変わった魔法だ。


 無知な者たちに見せつけるためだけにソフィアを危険な目に遭わせることはできないし、何より、穏やかで平凡な日々を好むソフィア自身がそれを望まないだろう。


 ただ、そう考えて何もしなかったことに後悔はなかったといえば嘘になる。ソフィアが貴族社会に疲弊して、人を恐れ、引きこもってしまったのは自分の判断ミスだ、とサーレットは今も悔やんでいる。ソフィアに自信をつけさせてやっていれば、現状は変わっていたのだろうかと。


 もちろん家族や屋敷の使用人たちが魔力や才能の多寡で兄妹を差別することは絶対に無かったので、それがソフィアの救いになっていたのだが。


 それに今は人から離れたこの静かな土地で、穏やかに、元気に過ごしてくれているなら、兄としてはそれで十分だ。たとえ魔物に──雄の獣人に読み聞かせするほど仲睦まじくなっていたとしても。


「……あ、ちょっと待て? 嫌なことを思い付いちゃったじゃないか」


 サーレットは突然、眉間をおさえて難しい顔をする。


「その獣人君、いささか贅沢すぎるんじゃないかい? この兄でさえ、子どもの時以来ソフィーに読み聞かせしてもらっていないのに! それにもう何度もこの家に入り浸っているんだろう? ぜひとも今度、彼に会って話をしないとなあ」


(……気付かれておる)


 テオがわざと触れなかった意味を、サーレットは気付いていたようだ。サーレットの最後の言葉の裏に物凄い威圧感と殺気を感じて、テオは口が裂けても言うまいと誓った。ライジーが読み聞かせだけでなく、ほぼ毎回ソフィア手作りの食事を食べ、風呂まで入ったことがあるなどとは決して。


「……殺すのか?」

「そんな野蛮なことしないよ? ただ少し、説明するだけさ。ソフィーに二度と近づくなってね」


 サーレットが裏に潜む殺気にそぐわない笑顔で答えた。それを見たテオは、ため息を吐いた。


「そんなことをすれば、ソフィアに嫌われるぞ。小僧のことを友人だと思っておるからな」

「……テオ? やけにその獣人の肩を持つじゃないか」

「別に深い意味はない。儂はソフィアが悲しむ姿を見たくないだけだ。それにあやつ、小童のくせにソフィアの心の傷を癒しておるからな」

「……へえ」


 テオの言葉に、サーレットが興味深そうに片眉を上げた。


「なら、少し様子を見ようじゃないか。もちろん、獣人君が良からぬことを仕出かさないよう、君がしっかり見張っておいてくれよ?」

「分かっておる。──ところで、」


 テオがやれやれと息を吐いたところで、話題を替えた。サーレットが近々訪問すると聞き、必ず確認しなければと思っていたことだ。


「聖女はまじめに活動しているのか? 近頃、結界が薄くなってきたように感じるぞ」

「あのワガママ娘、中々手こずらせてくれるんだけどね……唱歌は渋りつつも何とか予定通り執り行っているよ」

「何? では結界強化の効果が出ていないのは、他に原因があるのか?」


 テオのブラッシングを続けながら、サーレットは答える。


「うん……実は今回の訪問はそれを探るために来たのさ。もちろん、ソフィーに会いに来たのが一番の目的だけどね」

「何か分かったか?」

「うーん……ここに来る前は、結界強化を妨害する対抗魔法でもかけられているのかと考えていたがね」


 実際に来た今では、それは違うと分かる。結界まで見に行ったわけではないが、サーレットほどの実力があれば、もし結界に良からぬ魔法がかけられていればこの場所からでも分かるのだ。それにもし対抗魔法がかけられるようなことがあれば、その時点でテオが気付くに違いなかった。


「ま、獣人君の件以外は異常がないように見えるし、調査は継続するさ」

「頼むぞ。魔物を通すほどではないが、このままでは最悪の事態も予想される」


 テオはサーレットの目をじっと見つめて、言った。もしこのまま結界が強化されず、魔物を退ける力が弱くなっていったら。魔界近くに住むソフィアに及ぶ危険はいかほどであろう。


 サーレットもそれを十分理解しているので、粛々と頷いた。


「……分かっているよ。一応この家の外側に防御魔法はかけてあるけど、結界が魔物の侵入を止めてくれるのが一番だからね」


 それからテオの頭をこちょこちょと撫でながら、サーレットは付け足した。


「今度、私の結婚準備の手伝いにソフィーが実家に戻ってくるだろう? その間に魔導士団の他のメンバーともう一度ここに来て、結界を詳しく調査しようと考えているんだ。場合によっては、何かと理由を付けてソフィーの実家での滞在期間を伸ばす手も考えているしね」

「ふむ……その方がいいだろうな」


 恐らくサーレットは、ソフィアを不安にさせないようにしたいのだろう。調査団を派遣するとなると、ソフィアの目に入るかもしれないからだ。


(ソフィアと会えない期間が長引けば、小僧にとっては不満だろうが……ソフィアの安全のためにはやむを得ないし、あやつも理解してくれるだろう)


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