12-1 ぼくのメサイアさま
──己の有り余る魔力が、迸る才能が、恐ろしい。恨めしい。
サーレット・マクネアスがそう思い知ったのは、齢わずか五の時だった。
いつも温かで賑やかな屋敷は、今日も静まり返っていた。
屋敷の雰囲気だけでなく、通りすがる使用人たちの顔もどことなく暗い。
それもこれも、我が息子が部屋に閉じこもってしまったからだった。
この辺境伯家の長、アラン・マクネアスは短くため息を吐くと、いつもより長く感じる廊下を一人進み、ひとつの部屋の前で止まった。
「……フローラ。あの子の様子はどうだい?」
扉の前に佇む妻に声を掛けると、彼女は力ない様子で首を横に振る。
「そうか……」
数日前のあの一件から可愛い一人息子がこの部屋に引きこもってしまったのだが、その状況はひとつも変わっていないようだ。
アランは妻のフローラの隣に並ぶと、扉に話しかけた。
「サーレット? 聞こえるかい? パパだよ」
「…………」
返事はないが、扉の向こうに気配は感じる。息を殺して泣いているのを何となく感じて、アランは胸が締め付けられた。
そんな息子に、アランは今日も想いを伝える。
「昨日も言ったけどね。魔獣からママを──それに、おまえのきょうだいとなる子を助けてくれて、パパは本当に感謝しているんだよ。ありがとう」
数日前、自領を移動中のフローラとサーレットが乗る馬車が、魔族領から侵入してきた数体の魔獣に襲われた。
護衛は付いていたが、応戦しきれなかった一体の魔獣が馬車の扉を壊して、フローラに襲い掛かろうとした時だった。サーレットの魔力が暴発したのは。
他の魔獣を倒して護衛や使用人が馬車の中に駆け付けた時にはもう、そこは殺戮現場のごとき光景──馬車の中を襲った魔獣は粉々になり、馬車の内壁の至る所にその血と肉片が飛び散っていたという。
母を守るようにして立つ五歳の男の子は、ただただ呆然としていた。自分の仕出かしたことが信じられない様子で。
それから屋敷に戻ってからだった。サーレットが部屋にこもってしまったのは。
(サーレットは突然のことで受け入れられないのだろう……普通の人間だと思っていた自分がまさか魔力保持者──しかも、比類なき才能を持った魔力保持者だったという事実を)
両親でさえこの新事実に驚いているのだ。まだ五歳になったばかりの本人にとってはなおさらだろう。
だが、サーレットが魔力を持つ人間だと分かったところで、アランやフローラにとっては別に何が変わるというわけではなかった。これまで通り、大切で可愛い我が子に違いなかった。
それを分かってほしくて、ずっとそばに居続けるフローラ然り、アランは胸の内をゆっくりと話した。
「おまえが自分のことをどのように思っていても、おまえは私たちの大事な子なんだよ。気持ちの整理がついたら、そこから出ておいで。いつでも待っているからね」
どうか我が子がおのれを受け入れられるように──そう祈りながら、アランはドアから身を離した。
それから隣にいる妻をギュッと抱き寄せ、優しく耳に語り掛ける。
「フローラもほどほどにして、体を休めるんだよ。君ひとりの体じゃないんだから」
「分かっているわ、アラン……」
やがて足音が遠ざかっていくのを、サーレットは扉の向こうから聞いていた。
両親や使用人たちに心配をかけているのは、サーレット自身嫌というほど解っていた。
(だけど……なにもなかったみたいに、みんなといっしょにいるわけにはいかないじゃないか。だれかをきずつけてしまうかもしれないのに……!)
あの時は魔力の向かう先が魔獣だけだったからよかったが、もしそれが母親にも向かっていたら。それを思うと、サーレットは恐ろしくて叫び出したくなるのだ。
あの事件後、魔獣の侵入経路を調査しに王都から一人の魔導士がやって来た。魔導士曰く、「訓練を受けていない魔力保持者が暴発した時は通常、特定の相手だけを傷つけないことは不可能に近い」らしい。
故に、母親や馬車はひとつも傷つけず、魔獣のみに向けて魔力を当てたサーレットには素晴らしい才能があるということだった。将来有望な魔導士になるだろうから、ぜひ弟子にと請われたのだが、サーレットにとってそんなことはどうでも良かった。
相手が魔獣だったとはいえ、何かを木っ端微塵にしてしまう自分が恐ろしかった。今、あの日の馬車の惨状を思い出しても身震いと吐き気がするくらいだ。
あの時、魔獣が母親に牙を向けたのを見た瞬間に、一瞬にしておのれの内側から湧き出てきた例の力。あまりに巨大すぎて、サーレット自身がその力にあっという間に飲まれてしまった。あの魔導士は才能があると言ったが、完全に制御不能な力だったのだ。
(あんなの、ぼくがどうにかできるものじゃない……! だから、ぼくがここからでなければいいんだ。みんなをきずつけなくってすむし、ぼくだって──)
部屋に一人閉じこもっていれば、誰かを傷つける心配は無いし、誰かを傷つけて自分が傷つくこともない。
だがそれは、内なる魔力に怯え、孤独に耐える日々の始まりだった──。
サーレットの閉じこもりが続いて半年が経ったある日、屋敷が騒がしくなる。
フローラ付きの侍女のアスデリカが血相変えて屋敷の廊下を走っていくのを、執事のハイウェルは見つけた。
いつものハイウェルならば、そのような使用人がいれば即刻注意するところだが、今日は違った。
「……いつも冷静沈着な彼女があのような顔を」
こうしてはいられないと、ハイウェルも使用人部屋に向かって駆けだす。皆にこの喜ばしい知らせを早く届けたかったのだ。
やがてアスデリカは屋敷の主人の部屋へ着いた。入室を許されたアスデリカは、開口一番こう言った。
「旦那様……! すぐに奥様の寝室にいらしてください……!」
いつも硬い表情が標準装備のアスデリカが顔をほころばせ、目を真っ赤にさせていた。彼女の顔を見れば、母子ともに無事なのは明らかだった。
アランは息をするのも忘れて、妻の元へと駆け込んだ。
難産で、この丸二日、アランは生きた心地がしなかった。だが、ベッドの上で微笑むフローラと、この世に新しく生まれ出た我が子を見て、ようやく息を吹き返したような気分になった。
アランがフローラを労い、二人で新しい家族を愛でていると、部屋の扉がギイと開いた。産婆とアスデリカが振り向くと、そこには半年ぶりに姿を現した者が立っていた。
「! サーレット坊ちゃま……」
久しぶりに見るサーレットは、髪は長く伸び、体はやせ細っていた。毎食ごとにドアの前に置いていた食事には手をつけていたが、あまり食は進まなかったようなので無理もない。
だがその見た目に反して、瞳は生き生きとしていた。部屋に閉じこもっていた頃とはまるで違い、前途は希望で満ちているといわんばかりに輝いていた。
サーレットは誰かに呼ばれた気がして、部屋を出てきたのだ。
「きみがぼくをよんだの……?」
「サーレット……?」
アランとフローラが語り掛けるも、サーレットの意識は小さな赤子だけに向けられていた。
次の瞬間、その赤子が自分に笑いかけたような気がした。今までおのれが否定してきたものを受け入れてくれる──そんな優しい微笑みだった。
サーレットはそれを見て、全てを悟った。
(ぼくは……この子をまもるために生まれてきたんだ)
とてつもなく大きな魔力も誰かを傷つけるためではなく、この赤子を守るために。
「ちちうえ、ははうえ……この子のなまえはもうきまってるんですか?」
久しぶりに話しかけられて驚く一方で、嬉しさを隠しきれないアランは微笑みながら頷いた。
「……うん」
「“ソフィアリリー”。それがあなたの妹の名前よ」
フローラも優しくそう教えると、サーレットは赤子の前にひざまずき、その小さな手をそっと握った。
「ソフィアリリー……きょうから、ぼくがきみをまもるよ」
自然とこぼれてくる涙がサーレットの手の上に落ち、そのまま妹の手に伝い落ちる。
(……ぼくの、メサイアさま)




