11-5 交わることのない心
◇◇◇
ここ最近、獣人の里はさざめいていた。
行方知れずになったロイとアイザックが里に帰ってきた時は、里の皆が喜んだ。何があったのかと訊ねれば、二人の子どもは“境の森”でライジーに助けてもらったのだと熱弁した。
そうすれば里の大人たちは皆、自分たちの大好きなライジーを褒めてくれる。ロイとアイザックはそう思っていた。
だが、違った。大人たちは顔色を変えると、子どもたちを締め出して、こそこそと何やら話し合い始めたのだった。
「つまり……子どもたちが危険な目に遭ったのは、元はと言えばライジーのせいってことか」
「近付くなと言われている“境の森”に出入りしているとは……一体何を考えているのやら」
ライジーに対する不満をぶつぶつと話す獣人たち。その中で一人、あることに気付いた獣人が口を開く。
「……もしかして、この前のアレと何か関係があるんじゃないか?」
「アレ」が何を指しているか、皆分かった。以前子どもたちが何か不審な物を見つけたと、里中で噂になっていたからだ。
「そういえば……長老の手に渡る前に、アレをちらっと見たんだけどよ」
その時、違う獣人がぼそっと話し出す。
「アレから、人間のにおいがしたんだよ。おそらく、若い雌のだ。昔、こっちに迷い込んできた人間を見たことがあるから分かる」
それを聞いた他の獣人たちは皆、戸惑い顔で互いに視線を交わす。
「……じゃあ、ライジーは魔界を出て人間の雌に会いに行ってるってこと?」
「でも結界は? ニンゲンの国に行くには、間に結界があるじゃねえか」
「こんなこと上位の魔族のやつらに聞かれたら、また何されるか……」
「おいおい……まさか人間を番にしようなんざ思ってねえだろうなあ?」
「厄介ごとを持ち込まないでほしいわ」
ライジーはもう、彼らの中では除け者的存在だった。
(みんな、勝手すぎる。今まで散々守ってもらっておいて……)
彼らの話を片隅で聞いていたカーラは、歯を食いしばった。
この前までは里の仲間を守るライジーを次の長老だと現長老の陰で誉めそやしていたくせに、今は手の平を返したようにライジーを疎外しようとしている。まるでライジーに群れから出て行ってほしいと言わんばかりに。
ライジーははぐれ獣人になるのかもしれないとヴァルとファンに聞かされた時は、カーラの中にはまだ迷いがあった。
だが、この状況を目の当たりにしてカーラの腹は決まった。
自分が守らないで、誰がライジーを守れるというのだろう。
(私が、ライジーを守らなきゃ)
すぐにカーラは行動に移した。夜が明け、里の獣人たちが洞窟の中に籠った今がチャンスだ。
(“境の森”に行けばライジーに会えるかもしれない)
そう考えながら里を出ようとした瞬間、後ろから降ってきたのは静かな声だった。
「日の出からどこへ行く、カーラ」
「……長老」
カーラは足を止め、背後を振り返る。そこに立っていたのは、ライジーの父親でもある長老だった。
「……ライジーを追いかけるのか。里の長として、それは許さん」
「どうしてですか?」
「あいつは、はぐれ獣人の道に足を踏み入れかけている。そんな雄に付いて行けばこの先どうなるか、賢いお前なら理解できるだろう」
「…………」
もちろん、分かっている。この魔界ではぐれ者として生き抜くことが、どんなに過酷なことかは。
里に属さないはぐれ獣人になれば、仲間の助けもない中、身一つで様々な脅威からおのれを守らねばならなくなる。独りで縄張りを守り、狩りをしなければならない。怪我でもすれば、それが致命的にもなり得る。
「幼い頃からライジーと共に育ってきたおまえにとっては諦められないかもしれない。だが、里の長老としてお前の身を案じて言っている」
それだけ言うと、長老はその場から去っていった。
力ずくでカーラを引き戻すこともできたのに、長老はそれをせずに判断をカーラに任せた。カーラを信用しているからか、それとも、ライジーについて行っても致し方ないと思っているからか。
その真意は分からないが、長老の言葉を胸に刻み、カーラは人知れず里を出て行った。
ソフィアと会えない期間は、世界からまるで色が無くなったようにつまらない日々だった。
だが、唯一ソフィアとの接点だった手紙をやりとりすることで、ライジーは何とか正気を保てた。
手紙をやりとりする場所は、ライジーとソフィアだけが知っている例の森の小屋だ。そしてテオがメッセンジャーとして、手紙を運ぶ役目をしてくれることになったのだった。
ライジーは今日、手紙を書いてきていた。それを置きに行くため、数日ぶりに“境の森”に来ていた。
ライジーは最後にソフィアと会ってから、手紙のやり取り以外で小屋に寄ることはしていない。魔物の気配に敏感であろうソフィアの兄がいつ来るか分からないので、人間界に立ち入るのを必要最小限に留めるためだ。
(文字を読むだけじゃなくて、書けるようになっといて良かったぜ)
ソフィアを思い浮かべながら書いた手紙を見つめながら、ライジーは思った。文字を書けなければ、こうやってソフィアと文通することは不可能だった。
とにかく早く手紙を届けたい。その一心で駆けるその脚は軽快だ。
そんなライジーの前に一人の影が現れて、ライジーは足を止めざるを得なかった。幼なじみの女獣人、カーラだ。
「……今日も人間のとこに行くの?」
カーラはライジーが大事そうに持つ手の中の物をちらっと見遣ってから、質問を重ねる。
「若い人間の雌ってホント?」
「……おまえに関係ないだろ」
それだけ言うと、ライジーはカーラをよけて前に進もうとした。が、カーラは執拗に訊ねてくる。
「ねえ、番になりたいなんて思ってないよね? ただ本を手に入れるためにその人間を利用してるだけなんでしょ? 当然よ、獣人と人間がくっつくなんて変だもん」
ライジーは答えずに、足を前に動かす。わざわざ指摘されなくとも、獣人と人間の組み合わせが可笑しいことは重々承知の上だった。
「気を付けてよね。その人間、絶対に裏があるから。そうじゃないと、人間の雌が獣人に何度も何度も会おうとするわけないよ」
ライジーの足が止まる。ソフィアを悪く言う発言に我慢ならず、すかさず反論した。
「あいつはそんなんじゃねーよ」
カーラはそれが気に入らない。ムッとすると、ライジーの前に立ちふさがった。
「……なら、直接見て確かめる。私を連れてって」
「はあ!? なに勝手なこと言ってんだ!」
「ライジーが心配なの!」
この胸の内、どうか伝わってほしかった。だがカーラの願いもむなしく、ライジーはふいっと顔を背けると、カーラの前を横切っていった。
「おまえに心配されなくても、俺は平気だ。もうついてくんな」
「……ッ!」
昔は仲よくじゃれ合っていたのに、いつからだろう。彼との間に、こんなに距離が空いてしまったのは。
──ライジーがおかしくなったのは、すべてその人間のせいに違いない。
カーラはライジーに追い縋った。
「あんたッ、その雌に何かおかしな術でもかけられたんじゃないの!? やっぱり、私も一緒に行かなきゃ……それでそいつの息の根を止めれば、あんたも正気に戻────」
その瞬間、派手な音を立てて、カーラは地面に倒れていた。ライジーに組み敷かれていたのだ。
今までに向けられたことのないほどの殺気を込めた瞳で、ライジーは鋭い爪をカーラの首筋に当てていた。
「アイツに手を出してみろ……死ぬぜ?」
カーラは悟った。ライジーがこれほど激昂するのは、その人間に本気だからだ、と。
かつての番候補の命を奪うことさえ厭わないその姿は、その人間を番として認識している証だった。
「それが嫌なら、もう二度と俺に近付くな」
ライジーは立ち上がると、そう言い捨てて去っていた。
ライジーの気配が消えても、カーラは起き上がることができない。
涙が顔をつたい、ぽたぽたと地面に落ちて染み込んでいった。




