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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第二章

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11-3 自覚



 ◇◇◇



 傷を癒すことに全力を尽くすために、ライジーは森の小屋の中に籠った。とにかく動かずにじっとしていること。獣人の自然治癒力をより高めるには、これが一番だった。


 だが、ただ大人しくしているのは苦痛だ。


 偶然にも、今回はソフィアからたくさんの本を借りていた。ライジーはじっくり読んで過ごすことにした。


 何日かすると体の調子が戻ってきたので、屋根に上がれるようになった。それ以来は、屋根の上で本を読んた。


 明るい陽射しの下では、読書も捗る。


 今日読んでいたのは、人間界で流行っているという大衆小説だった。今このシリーズにハマっているのだとソフィアが熱弁していたので、彼女の好きなものは全て知っておきたいライジーが読まないわけにはいかなかった。


 本のタイトルは“マリーとライカー”。貴族の娘マリーと、迫害され逃亡中の男ライカーの身分違いの恋物語だ。


 正直、はじめは「つまらなさそうだ」と思った。が、読み進めるにつれ、見事にライジーもハマってしまったのだった。


 マリーとライカーの熱く苦しい恋愛模様には正直心打たれたし、人間社会の身分階級のことを詳しく知ることができたのも大きなポイントだった。そして、何より。


(なんか……俺たちのことみたいだよな)


 まず「マリー」と「ライカー」が自分たちの名前に似ているし、彼らの立場にも自分たちと共通するところがある。


 だからこそ、マリーとライカーの想いが通じ合った時は、感慨もひとしおだった。


 さらに読み進めていくと、ライカーがマリーにプロポーズをする場面になった。美しい夜景を背景に、ライカーはマリーの前に跪き、指輪を捧げ、懇願するのだ。「ずっと一緒にいてほしい」と。


 そこでライジーは、結婚という概念について初めて知ることになる。


「『けっこん』……つまり、(つがい)になるってことか」


 人間も獣人も、ただ一人だけの大好きな相手と一生を共に生きたいと思うのは同じだった。その形が人間では「結婚」になり、獣人では「番になる」だけの違いだ。


 ただし獣人の方が、その特徴がより顕著に現れるようだ。


 つまり──獣人の雄は、番となった雌を生涯愛し、守り抜く。そして概して独占欲が強くなるのだ。


 里のヴァルじいとファンばあの仲睦まじい姿をみても、確かにそうだ。たとえ彼らは片方を失っても、その代わりとなる番は死ぬまで持たないだろう。


 近頃ライジーも、ソフィアを全てのものから──彼女を害するもの、悲しませるもの全てから守ってやりたくて仕方がなかった。それに加え、とろとろになるまでソフィアを甘やかしたかった。


 その一方で、自分ではない誰かが彼女に近付くと想像するだけで、そいつらを皆殺しにしてやりたい衝動に駆られた。それが年頃の雄とくればなおさらに。


 そこまで冷静に考えて、ライジーは気付いた。


「そっか、俺……リリーと番になりたいんだ」


 どうして今まで気付かなかったのだろう。これまではどうすれば獣人が他の魔族になめられないかばかり考えていたのに、今ではそれと同じくらい、いやそれ以上に、心の中のほとんどがソフィアのことで埋め尽くされていたというのに。


 ソフィアはもはや、死にかけのところを助けてくれた恩人でも、ただの友達でもない。ライジーにとって、生涯でただ一人だけの特別な相手になっていたのだ。


 そうと分かれば、ライジーの取るべき行動はひとつ……とはいえ、ソフィアの気持ちは無視できない。


 彼女はいつも快く家に招き入れてくれるし、笑顔で話しかけてくれるから、嫌われていないとは思う。だが、そうだからと言って番になってくれるかといえば別の問題だ。


 とにかく、彼女の気持ちを知りたかった。


 ライジーはソフィアの家を眺めながら、ぼんやりとつぶやいた。


「リリーは俺のこと、どう思ってんのかな……」



 ◇◇◇



 それからしばらく経ち、ガーゴイルたちとの死闘で得た傷が治った頃、ライジーは再び、ソフィアの家に通うようになった。


 今まではただソフィアに会いたいのと本を読みたいからという理由で通っていたのだが、今はさらに目的が増えた。ソフィアにどう思われているかを探るためと、彼女を甘やかすためだ。


 それなのに、ソフィアの態度はつれなかった。


 テオに案内されて、ソフィアが初めて森の小屋に来た時のことだ。ソフィアがキラキラとした目で小屋の中を見た後で、こう尋ねてきた。


「屋根の上にはどうやって上るの? 梯子とかあるのかな」


 そんなものは無い。だが、ライジーには必要なかった。獣人のずば抜けた身体能力があるからだ。


「……もしかして屋根に上がりたいのか?」

「……うん」


 ライジーが聞くと、ソフィアは真顔ながらも瞳の奥をキラキラと輝かせて頷いた。


(あーーーーくそ、可愛いーなオイ)


 心の中でそう呟いてから、ライジーはソフィアに近付いた。


 ソフィアの言うことは何だって聞いてやりたい。番となる相手が現れた瞬間から、それが本能だ。屋根の上に連れていくことなど、お安い御用だ。


 ソフィアの腰を抱え上げた瞬間、あまりの軽さにライジーは少し驚いた。


(軽っ……もっと食った方がいーんじゃねーか?)


 ライジーがそんなことを考えていると、上からソフィアの慌てる声がした。


「えっ、ライジー!?」

「屋根に上がりたいんだろ? 俺が運んでやるよ」

「いや、でも、重いでしょ!?」


 人間を一人運ぶことくらい、獣人にとっては何てことはない。ソフィアだってそれくらい、今までの付き合いの中で分かっているはずだ。


 それなのに、こんな言われ方をするとは。


(……俺ってそんなに頼りないのか?)


 ガックリきたのも一瞬のことで、こんなことでへこたれるライジーではない。ソフィアがそう言うなら、言われなくなるまで「頼りがいのある雄」だと分かりやすく示せばいいだけだ。


「重いもんか」


 ライジーはそう呟くと、地面を蹴って宙を跳んだ。その軽やかな挙動は、一人の時と何ら変わらない。


「な。別に何てことないだろ」


 すとんと屋根に着地してから、ライジーはそう言った。


(これで少しはわかってくれたよな?)


 ポカンと口を開けているソフィアを見て、ライジーは満足げにニッと笑った。


 その後も隙あらば、ライジーはアピールした。もちろん、自分が日頃どれだけソフィアのことを考えているか、いかに頼りになる雄であるか、をだ。


 ただ「海から来たポワラ」という小説をソフィアに読み聞かせしてもらっていると、何だかソフィアの様子がおかしい。突然読んでいた本を閉じたと思いきや、真っ赤な顔のままピクリとも動かないのだ。


「リリー? やっぱりおまえ、調子が悪いんじゃないか? 顔が赤いし」


 ソフィアの具合が悪いのかもしれないと思うと、ライジーは居ても立っても居られなくなってきた。


 ソフィアの柔肌を傷つけないように彼女の頬にそっと触れると、かなり熱い。しかもその瞬間さらに頬が紅潮したのを見て、ライジーは動揺する。


「!? もっと赤くなったぞ!? リリー、熱あるんじゃないか。そーだ、確かこの前読んだ本じゃ、人間ってこうやって──」


 こんな時はどうすればいいか、ライジーは知っていた。自分の額と相手の額をくっつけて、熱を測るのだ。以前読んだ絵本の中で、母親が幼子にそうしてやっているのを見て、人間はこうやって介抱するものなのかとライジーは感心したものだ。


「……やっぱり熱い」


 ソフィアの額に自分の額をつけると、ソフィアがいかに火照っているのかが分かる。ライジーは焦った。


(……これって、まずくねーか?)


 体の強い獣人でもまれに病にかかることはあるので、発熱した時に看病が必要だということはライジーも何となく知っている。だが、何をどうすればいいのか、具体的には分からない。


(えーと……確か昔、アイザックが熱出して寝込んでたよな──)


 思い出した。確かあの時、アイザックの母親は、我が子を抱え込んでその体を温めていた。


「リリー、寒くないか? あっためてやる」


 体を温めてやることなら、自分でもできる。ライジーはソフィアの体を抱き寄せると、ギュッと包み込んだ。もちろん強すぎるとソフィアの骨などたやすく折れてしまうので、力は加減してだが。


(これで、よくなるかな?)


 胸に抱き寄せているので、ソフィアがどんな様子かは分からない。だが、少しでも体を癒してくれているなら、ライジーはこの上なく嬉しかった。


 そして、ソフィアの体の為ではあるものの、ずっとこのままで居たい、とも思うライジーは素直だ。

 だが、テオがそうはさせてくれなかった。


「バウッバウバウッ」


 屋根の下から聞こえたのは、けたたましい吠え声。犬という仮の姿でも人語を話せるくせにわざわざ犬の鳴き声を出しているのは、ソフィアの前だからだろう。


「……あいつが鳴くなんて珍しいな」


 ソフィアを抱き寄せたままライジーが屋根の下を覗くと、いつもより弱々しい声でソフィアが答えた。


「たぶん、早く下りてこいって言ってるんだと思う……。こんなに長い時間私から離れているのは珍しいから」

「……過保護かよ」

「あはは、そうかも……」


 ソフィアは申し訳なさそうに半笑いしたが、彼女が申し訳なく思う必要はまったくない。ライジーが責めているのはあの老犬だ。


(ったく、俺が一緒にいるから心配しなくてもヘーキだっつうの。邪魔しやがって……)


 いいところに邪魔が入ったことに苛立ちながらも、ライジーはひとつ息を吐いてから口を開いた。


「ま、とりあえず下に降りるか。ワンコロに後でぼやかれても面倒だし」


 テオはテオで、ソフィアを守ろうとしているのだろう。同じ立場だったらライジーもきっと同じことをしていただろうし、ソフィアの利益となる存在は一人でも多い方がいい。それに後でテオにネチネチと文句を言われるのも面倒くさいものだ。


 その時、何気なく言った言葉に、ソフィアが反応した。


「テオが……ぼやく?」


 彼女はキョトンとした顔でそう呟いた後、くすりと笑った。ライジーは思わず、その顔をまじまじと見る。


(リリーが、笑った)


 人間は獣人と比べて病にも怪我にも弱い。だからこそ、もしソフィアに何かあったらと、ライジーは心配でたまらなかったのだ。


 だが、ソフィアがいつものように柔らく笑った。それだけでライジーは安心できた。


「……ん。少し元気そうでほっとした」


 そう呟くと、何故だか、ソフィアはぷいっと顔を背けてしまった。





 屋根から降りてテオと合流した後、ソフィアが作ってくれてきていたサンドイッチを食べることにした。


 それをむしゃむしゃと食べる間、テオが据わった目で見てくる。ソフィアとの時間に余計なことに構っている暇などないが、ずっとその目を向けられるのも鬱陶しい。ソフィアの気が逸れた隙に、ライジーもテオにちらっと視線を向けて、目で会話した。


(どーせ危ない屋根の上に連れてったとか、あんたからリリーを離したとかで怒ってんだろ? わかってるよ、次からは気を付けるって。たぶんな)

(……わかっとらんな、この小僧)


 サンドイッチにかじりつきながら視線で物言うライジーを見て、テオはため息を吐く。


 テオが睨んでいたのは、ライジーがソフィアに対して如何わしい・・・・・行為に及んでいたからだ。


 屋根の下で聞き耳を立てていれば、聞いているこちらがこっ恥ずかしくなるようなことを恥ずかしげもなく言い出すわ、ひとつの躊躇いもなくソフィアに触れるわ。


 何となくソフィアの危機を感じて吠えてみたが、結果的に正解だった。見てはいないが、恐らくソフィアは赤面必至──どころか、気絶寸前だったのだろう。降りてきたソフィアを見て、テオはピンときたのだった。


(やれやれ……自覚のない奴の行動が一番恐ろしいわい。しかも小僧の奴、ソフィアがひとつも男に免疫のない乙女であることを考慮しておらんときてる)


 以前忠告してやったというのに、ライジーはまるで気付いていない。


(後で小僧には灸を据えてやらねばな。そうでもしなければ、ソフィアの身がもたんぞ)


 だがテオ自身、ライジーのソフィアに対する接し方は見ていて嫌いではなかった。


 ライジーのソフィアを見る目。ソフィアへの声の掛け方。ソフィアに触る手つき。


 その全てに、ソフィアに対する慈しみをはらんでいた。彼は彼なりに、ソフィアのことを思っての行動をしているようだ。


 もし己の欲求を満たすためだけだとしたら、即刻ライジーを打ち首にしていたが。


(やれやれ、気長に見守ってやることにするか)


 テオは息をひとつ吐いてから、ふとあることに気が付いて、口の端を曲げる。


(……フフ、これが老婆心というものなのだろうな。儂も随分、丸くなったものよ)



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