10-4 月明かりの下の古びた小屋
本を読むのは、その内容自体はもちろん、知識を手に入れる楽しさがある。
だがライジーにとっては、その背景に獣人を下に見る魔族を見返してやりたい思いがあった。
だから、ライジーは一心不乱に本を読み漁った。
ソフィアの家に遊びに行った時に読み、魔界に戻る際は本を貸してもらうことも増えていった。
文字の読み方を教わり、一人で読めるようになった今は、ソフィアに読み聞かせしてもらわなくても一人で読むことができるようになったからだ。
ソフィアに借りた本は、仲間の獣人たちに見つからないように隠した。
里の洞窟内ではさすがに見つかってしまうので、洞窟近くに立つ大木の根元の窪みに隠すことにした。雨露に濡れないよう毛皮で包んで。
この日も借りてきた本を木の根元に隠したライジーは、周りに誰もいないことを確認し、立ち上がる。
(里のやつらが静かになる昼間に、また読も)
本を読むのは楽しみだが、それができる時間帯になるまでは洞窟で一休みすることにした。
毎日でもソフィアに会いに行きたいところだが、それではテオに「来すぎだ」と睨まれるし、何よりソフィアに迷惑だと思われたくないので、そこはきちんと自重していた。
代わりに借りてきた本を読むことを、日々の楽しみとしていた。
だが、ある日、その毛皮に包まれた存在が皆の知るところとなってしまう。
獣人の里の子どもたちは、今日もいつもの六人で遊んでいた。場所は里外れの森のそば。
今は皆でしっぽ取りをしていた。
「はい! つかまえた!」
「うが~~! やられた!」
逃げ回るロガの尻尾を掴んだのは、“魔王”ソーニャだ。悔しがるロガに、ソーニャはふふんと鼻であしらった。
「これでロガも“まおうのてした”ね」
「くっそー、さいごまでにげきるつもりだったのになー」
ロガはぶつぶつと言いながら、ソーニャの後ろに回った。ソーニャの後ろにはすでにアイザックとマカラがいる。開始早々、“魔王”に捕まった二人だ。
「あとはリャゴスとロイの二人かあ」
「ロイは鼻がいいから近づくのむずかしいかもね……」
マカラとアイザックがそう言うのを尻目に、ロガが負い目もなく言った。
「あ、ロイなら向こうで見たぜ」
「おぉ、ロガよ! ほめてつかわす!」
魔王ソーニャ一行が自分に向かってきていることも知らず、ロイはというと、のんきに大木の根元でしゃがみこんでいた。そんなロイのもとに、リャゴスが慌てて駆け込んできた。
「おい、ロイ! なにぼーっとしてんだよ。ソーニャがこっちに来てるみたいだぜ…………ん? 何してんだ?」
ロイはじっと木の根元を見ていた。それが気になって、リャゴスも根元を覗き込むと、何かが根元の窪みに置かれているのに気付いた。うまく隠されているので、ロイの鼻が利かなければ気付くことはなかっただろう。
「なんだ? 毛皮……?」
「うん……何だろうね。不思議なにおいがしたから気づいたんだけど、よくかいでみたら、ライジーのにおいもまざってるんだよね」
ロイとリャゴスは視線を交わすと、二人でその毛皮を拾い上げた。そして、恐る恐る毛皮を広げる……。
「うわあ……」
「なんだこれ?」
そこに、何も知らないソーニャたちが現れる。
「はっはっは! にげてもムダだよ、二人とも!」
だが、ロイもリャゴスもソーニャには見向きもしない。広げた毛皮の前で、ただ呆気に取られているのだ。
「……え? どうしたの?」
夜も更けた頃、夜明けを待つライジーの寝床に現れたのは、この里の長老でもある父親だった。
その手には、ライジーにとって見覚えのあるものがあった。明くる日に読もうと楽しみにしていたものだ。
「……里の者が偶々見つけたものだ。おまえの物だろう」
長老は毛皮に包まれた数冊の本を差し出して言った。
誰の物かはにおいで判別がつくので誤魔化せはしない。だからこそ、ライジーはこう言った。
「……だったら何だよ」
「近頃里で見かけない日が増えたと思えば……。この本のにおいからして、本当の持ち主は人間だろう? 人間界に忍び入っているのか?」
「悪いかよ?」
父親が本を手に現れた時にすでに、何を言われるのか想像はついていた。まさにそれを長老は言った。
「結界があるのにどうやって入っているかは分からないが……向こうの世界ともう関わるな。今に大変なことになるぞ」
「……やだね」
魔王をはじめとした魔族が人間界を侵略するべく手を焼いているというのに、底辺階級の獣人が出入りしていると彼らに知られれば、厄介なことになるのは間違いない。里の仲間を危険に晒していることも重々わかってはいるつもりだ。
だが、そうだからといって、やめるはずもなかった。
「それ、何か知ってるか? ニンゲンが読む本だぜ? この中にはすぐれた知恵が、力が、詰まってんだ。これを読んで力を身に着ければ、きっと魔力を持たない獣人が魔族内での地位を上げることもできるはず……」
この時はまだ、わずかに信じていた。父親が『文字の力』を理解してくれることを。
だが、残された父親への信頼は、あっけなく打ち砕かれることになった。
「無駄なことを……魔族を凌駕できるのは魔力でのみだ」
その一言によって、ライジーの抑えていた渇望が湧いて出てくる。いつもは何とか抑え込んできた怒りがカッと目を覚ました。
「無駄じゃねえ! 先代の知恵を文字で語り継いでいけば、それはいつか魔力以上の力になるはずだ! それに、俺たちが魔力を持つ方法を見つけることだってできるかもしれないんだぞ!」
「……話しても分からないか。もうよい。おまえをおかしくさせてしまう物は、今この場で壊してしまおう」
長老がため息を吐き、本に手を触れた──その瞬間。
「触んじゃねえ‼」
長老の手から全ての本を奪い返すと、ライジーはその場を飛び出した。
ライジーはがむしゃらに走った。誰にも見つからない場所を求めて。
里の付近は、また仲間に見つかる可能性があるから駄目だ。かといって、あまりに遠すぎる場所も本を置いておくのは不安だ。
あてもなくさまよっていると、いつのまにか“境の森”にまで来ていた。
ソフィアの家に通う時にいつも通っている結界を過ぎたところで、何となく導かれたような気がして、ふといつもとは違う方向に進んでみる。
そうして進んだ先に現れたのは、古びた小屋だった。
「なんだってこんなとこに……?」
すぐ先は魔族の領土だ。何故、こんな結界間近に人間の小屋があるのか分からない。
だが、小屋からは人間のにおいはまったくしない。軋む扉を開けて小屋の中を確認してみたが、お粗末なテーブルと椅子、それに寝台らしきものとぼろ布が所狭しと置かれているだけ。随分長い間使われずに放置されてきたようだった。
ライジーはひとっ飛びして、屋根の上に上がってみた。着地した途端、ミシ、と屋根が悲鳴を上げたが、足元を突き破ることはなかった。
顔を上げると、ライジーは目を見張った。
木々の頂の向こうに見える丘陵地。その中にポツンと立つ一軒の民家。月にぼんやりと照らされたその人間の家はまさしく、ソフィアの家だった。
窓から灯りはひとつも見えない。まだ真夜中なので、ソフィアは寝ているのだろう。だが、ソフィアが確かにそこに居る感覚はあった。
ソフィアがちゃんとそこに存在している。そう感じるだけで、これほど心強いことは無かった。
(……いいじゃん。気に入った)
ライジーはその場に座り込むと、握りしめていた本を隣に置いた。
そして、そのうちの一冊を胡坐の上に乗せ、読むことにした。真っ暗だが、月明かりのおかげで何とか文字を追うことはできた。
ソフィアを身近に感じながら、煩い声に邪魔されずに好きな本を読む。これほど隠れ家として最適な場所は無かった。
しばらく読み進めた後、休憩しようとふと顔を上げた。屋根の上に何枚もの葉が落ちている。小屋周辺の木々から飛んで来たものだろう。
ライジーはそれを一枚拾い上げると、読んでいた頁に挟んだ。栞代わりだ。
「あーあ……早く夜が明けねーかなあ」
そうすれば、起床したソフィアが活動を始めて、その姿を見ることができるのに。
ライジーは月夜を見上げながら、ため息を吐いた。




