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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第二章

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10-3 文字の力

 


 ◇◇◇



 その後、風呂から出たライジーは、テオと共にソフィアの待つ居間へと戻った。


 ソフィアは料理の最中だったが、先に風呂に入っておきたいと言うので、ライジーはいつものように本棚の本を読んで待つことにした。ソフィアの教え方がいいのか、近頃はようやく本をスラスラと読めるようになってきたので、読書が本当に楽しかった。


 一冊本を選んだライジーはソファーに寝転がると、本を開いた。それと同時に、緊張を緩めるかのように息を吐く。


(……正直、リリーがフロに入りに行ってくれて良かったぜ)


 なぜなら、程よく汗ばんだソフィアの肌から何とも言えない、いい匂いが漂っていたからだ。ソフィアに嫌われたくないから何とか耐え抜いたが──前科があるからなおさらに──、危うく我を忘れてソフィアを引き寄せ、抱き締めてしまうところだった。


 だが、ソフィアがバスルームから居間に戻ってきて、苦行はまだ終わっていないことにライジーは気付く。


 ソフィア元来のいい匂いが石鹸のにおいと程よく混ざり合い、無性に心が落ち着かないのだ。


 しばらくは本の方に意識を戻そうと頑張ってみたが、目で文字を追っているだけで全く内容が頭に入ってこない。キッチンで食事作りを再開したソフィアをちらっと見ては、本の方に目を戻す。それを何度か繰り返してから、バッと本に突っ伏した。


(あ゛~~~~~~! リリーに触りてぇ!!)


 こんな風に、無性に誰かに触れたいと思ったのは初めてだった。


 もちろん本能のままに動くことはしない。ヒトとしての理性が、獣の本能を何とか抑えているから。


 だが、そわそわが収まる気配は一向にない。テオには不審そうな目で睨まれているし、本能が理性をはねのける前に何とかしなければならなかった。


(……こうなったら)


 ライジーは立ち上がって、キッチンに向かった。ソフィアが美味しそうなものを作っているのを見れば、気も紛れるだろう。


 ソフィアはいつものようにエプロンを身に着け、鍋を準備しているところだった。


 今日は何を作ってくれるのかと期待して見れば、キッチンの作業台には切りそろえられた人参とジャガイモが目に入る。


(いつも作ってくれる甘いもんじゃなさそーだな……)


 決してがっかりしたわけではない。いつもソフィアが作ってくれるのは、魔界には決して無い、思わず涙が出るほど美味しいお菓子ばかりだったからそう思っただけだ。


 ライジーが問うと、ソフィアはシチューというものを作っているのだと言う。畑で収穫した野菜に、牛乳、鶏肉。それらを眺めて、ライジーは思わずごくりと唾を飲み込む。


(コレが、どんな料理に化けるんだ……?)


 ライジーはいつも思う。その食材からは想像できないほどの食べ物を生み出す「調理」というものは、なんと摩訶不思議なんだと。まるで魔法のようだと。


 その一端を見てみたい。そんな気持ちもあって、気付けばライジーはこんなことを言っていた。


「なぁ、俺も一緒に作ってもいいか? その、しちゅう、っての」


 ソフィアは驚いた様子だったが、笑顔で快諾してくれた。


 その後はライジーもキッチンに入り、ソフィアの説明を受けながら、手を動かしていく。ライジーにとって料理は慣れないことばかりで、あまり難しいことはしていなくても、どっと疲れてしまった。あとは煮込むだけなので休憩にしようとソフィアに言われた時は、ホッとしたほどだ。


 それなら居間で本を読んでいようと体を翻した瞬間、ライジーは見つけてしまった。


「……ここに本がある」


 本といえば居間の本棚にあるものと思っていたばかりに、キッチンの、しかも食器棚の片隅に立てかけられた一冊の本は、目に入って仕方なかった。


 ライジーがその少し黄ばんだ本を食い入るように見ていると、ソフィアがそれを手に取りながら口を開いた。


「これ? 料理のレシピ集だよ。私が書いたものだけど」


 そう言ってソフィアが手渡してくれたので、ライジーは早速パラパラとめくり、中を見てみる。


 これまでライジーが読んできた本といえば、活字ばかりだった。それに対し、この本は手書きだった。それが誰の字かは聞かなくても、本に染みついた匂いからたどらなくても、一目瞭然だ。ライジーが何度も何度も見てきた筆跡だから。


「リリーが?」

「というか、そんな立派な物じゃないわね……。レシピ集というより、覚え書きと言った方が正しいかも……」


 ソフィアはそう言うが、ライジーにとっては秘伝書に見えた。


 低位魔族である獣人はいつ死んでもおかしくない、不安定な立場にある。だからこそ、口伝では次の世代に伝えられずに廃れてしまう知恵は数多く存在した。


 だが、文字としてその知恵を後世に残すことができればどうだろう。


 百年も二百年も前に生きた祖先の知識をそのまま、寸分違わず受け継ぐことができるのだ。


 目の前で作っているシチューのレシピも、何世代もの人間に受け継がれて、いまソフィアの手元にある。何世代もの前の人間が生み出した料理を、一頁にも満たない文字量のレシピで、自分たちはシチューを作り出すことができるのだ。


(……やっぱ、すげーよ……)


 ライジーは改めて、文字の力を実感した。


 そして、ふと思った。上位魔族が獣人から文字を奪ったのは、獣人に知恵を蓄えさせないようにするためなのではないか、と。


 下々が知恵を持てば、上位の者を脅かす存在となり得る。それを危惧してのことなのでは、と。


 それならば、ライジーのすべきことはただ一つだった。


(──とにかく、人間の本を読みまくろう)


 人間界に存在する全ての本を読破すれば、上位の魔族を打ち負かす力を手に入れられるかもしれない。たとえ魔力を持たない獣人であっても相手を打ち負かすことのできる力が。


 それが無理だとしても、運が良ければ、魔力について詳しく触れている本に出会えるかもしれない。


 そして、万が一でも獣人が魔力を持てる方法が分かるかもしれないし、上位魔族の弱点を掴めるかもしれない。


 そうすれば、上位魔族やつらを倒すことができるから。


(もっと知りたい。この世のすべてを)


 ライジーの瞳の奥に、鋭い光が宿る。


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