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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第二章

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10-1 テオの正体


 ライジーが人間界に出入りするのに慣れた頃、ソフィアと共に過ごす時間が増えるにつれ、彼女との関係も少しだけ深いものになっていた。


 ライジーが「ソフィア」ではなく「リリー」と呼ぶようになったのも、そのひとつ。


 ライジーが彼女を守ってやりたいと思うようになったのが、もうひとつ。


 そんな折、ソフィアと畑で野菜の収穫をしていた日のこと。


 畑仕事で体中すっかり土まみれになってしまったライジーは、ソフィアの家でお風呂を借りることになった。


 その場の流れでテオも一緒に入ることになり、ソフィアは食事の準備をすると言って出て行き、バスルームにはライジーとテオが残された。


 ライジーが後ろを振り返ると、お湯が溜まりつつある浴槽がある。その縁に足をかけながら、つぶやいた。


「えーと? この中に入ればいいんだっけ……?」

「服は脱いで入れ。その前に向こうの洗い場で頭と体を洗え。ソフィアが説明していたのを聞いていなかったのか、この馬鹿者」


 背後から野太い声が聞こえ、振り返ると、白い老犬がライジーをじっと睨み上げていた。


「……やっぱ、ただのワンコロじゃねーじゃん」


 ライジーはため息をついた。


 この家に初めて来た日に感じたあの魔力の主がずっと気になっていて、これまでに何度かソフィアの見ていない隙に、「なー、おまえホントはイヌじゃねーだろ?」とテオに話しかけてきた。そのたびに、テオには知らんぷりされたのだが。


「ソフィアが近くにいる以上、喋れぬのだ。犬は普通、人語を話さぬだろう?」


 犬の口で器用に喋るその姿は、犬であって犬ではなかった。だが、もし老犬が人間のように喋るとすれば、低く野太い、まさしくこのような声に違いなかった。


 ライジーはポカンと口を開けると、テオの前にしゃがみこんだ。


「は? リリーはお前が魔族だって知らねーの?」

「ソフィアは知らん」

「……ふーん」


 あんな強大な魔力の持ち主が傍に居れば気付かない方が難しいと思うが、ソフィアは兄と違って自分には魔法の能力は無いと言っていた。だから、ソフィアがテオの正体に気付いていないのも無理はないのだろう。


「ま、いーや。あんたには色々聞きたいことあるんだけど」

「ちょうどいい。儂もおぬしに話しておきたいことがあってな」


 そう言いながらテオが床に座り込むと、ライジーは毛皮を脱ぎながら尋ねた。


「俺からでいいよな? じゃ、一つ目。あんた、かなり上位の魔族だろ? あの強い魔力……やっぱあんたのだったんだな」


 ソフィアに助けられたあの日、寝室の外から感じたあの魔力。獣人の里に時折現れては暴れ回る魔族たちとは比べ物にならない程のレベルだった。ライジーは今でも思い出すと、体が震え出すくらいだ。


「……魔界を捨てた儂に上位も何も無い。見ての通り、今はただの犬……おい。そこの石鹸を使ってしっかり洗え。おぬしは獣臭くてかなわん」


 裸になったライジーが洗い場でわしゃわしゃと体を洗い始めると、すかさずテオが眉をひそめて注意した。


「イヌのあんたには言われたくねーよそれ」


 そう言い返しながらも、ライジーはテオの指示通り石鹸で体を洗う。仮にテオの言うことが本当なら、ソフィアに獣臭いと思われているのかもしれない。それは嫌だった。


 持とうとすればツルツルと滑る石鹸は、実に強敵だった。何とか泡で洗いなおしながら、ライジーは口を開いた。


「じゃ、何であの時魔力を出したんだよ。あの時以外はずっと隠してるくせによ。絶対、わざとだろ?」


 一般的に、魔族はおのれの力を誇示するため、魔力を隠すことはしない。そもそも、並の魔物には魔力を隠すという芸当ができない。魔力を隠すためには、それを制御する力も必要となるからだ。


 今もわずかな魔力でさえ漏れ出さないでいるテオは、それ相応の魔力と術を持っているということになる。


(魔力隠蔽術を使えるってことは、上位の魔族だよな……?)


 そうは思うが、所詮魔力を持たない獣人の考えることだ。魔力隠蔽術のことを詳しく知るわけではないので確信は持てない。


(“上位も何も無い”? ったく、答えをはぐらかしやがって……)


 ライジーがじろりとテオを睨んだところで、そのテオがニヤリとして口を開いた。


「あれはだな、躾だ。初めての人間界に浮かれた獣が何を仕出かすか分かったものではないからな」


 そう言われてライジーはムッとしたが、図星だった。確かにあの時、ソフィアへの警戒心を緩めたライジーはまさに部屋の物に興味深々の様子だった。


 それを誤魔化したくて、ライジーは無理やり次の質問に移った。


「次! なんで正体隠してリリーの飼い犬やってんだ?」

「儂は、ソフィアの守護者ガーディアンだからな」

「……守護者?」

「そうだ。魔族と分かればソフィアを怖がらせてしまうだろう。だから変化へんげ魔法で姿を犬に変えているのだ」


 この老犬が「犬のような見た目の魔族」ではなく、「犬に変化した魔族」であることがはっきりしたわけだが。


 とにかくこの男、とんだ食わせ者だ。


(……やっぱ上位魔族じゃねーかよ、クソ)


 変化魔法を使うのは並の魔族ではないことくらいライジーでも知っていた。魔力隠蔽術と変化魔法を使うことのできる魔物など、魔界で一握りの存在であることも。


 そんな魔物が一体どうして人間の娘の守護者をしているのか聞きたかったが、今はそんな時間もない。他に聞くべきことは他にたくさんあった。


「最近リリーの周りに獣人がうろついてるけど、これは放っておいていいのか?」

「おぬしはいい。女神の思し召しだからな」

「女神? 魔族のくせに、女神とか信じてんのか?」

「別によかろう。何を信じようが、儂の勝手だ」

「まあ、そうだけどよ」


 女神といえば、女神ティリーアのことだ。だがこの女神を信仰するのは人間たちで、魔界の者たちの神といえば、魔界を創ったとされる男神オークだ。


 とはいえ、力が全ての魔界でオーク神を崇める魔物はまずいない。いないが、かといって魔族が人間たちの女神を信仰するのもおかしな話なようにライジーは思った。


 半ば呆れたような声を上げたライジーに、テオが鼻をフンと鳴らした。


「……ただ、女神の思し召しとはいえ、ソフィアに危害を加える挙動があれば、即刻儂がおぬしを抹殺する予定だったがな」

(こっえ)ーな!」


 ライジーはギョッとしたが、テオの言葉を思い返し、「……ん?」とつぶやいた。


「でも、予定だった・・・ってことは、もう俺はあんたのお眼鏡にかなったってことでいいんだよな?」

「まあ、な」


 テオは渋々といった表情でつぶやいたが、次の瞬間、目をカッと見開き、戒めた。


「……但し! 如何わしい言動でソフィアを困らせるようなことがあれば、永久追放だぞ!」

「は? んなことするわけねーだろ」


 そう言って、ライジーは湯桶を頭の上でひっくり返し、ざばあと湯をかぶる。泡が流れていく様子を見ながら、テオはフンと鼻を鳴らした。


(本人はまだ自覚なし……か)


 テオは知っていた。この小僧が、ソフィアをつがいとして、つまり異性として気に入り始めていることを。そして、その想いが日々の言動に漏れ出ていることを。


 ソフィアの方はまだそこまでではないが、友人としては確実に、ライジーに心を許している。彼女の心が段々とライジーに近付いていくのを、傍で観察していてひしひしと感じるのだ。


 飼い主であるが孫のような存在でもあるソフィアが幸せならば、テオとしてはそれ以上の喜びはない。


 が。


 ソフィアの隣にいるのは、彼女を守り、大切に扱ってくれる者でなければ許すことはできない。彼女は人一倍繊細で、傷つきやすいのだから。


 この獣人の青年がソフィアを守ってくれそうな男であるかは、まだ見極めの最中だ。


(……まあ、よい。しばらくは様子見だな)


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