9-4 すべての叡智がこの本棚に
「……そーいやさ。そのしゃべり方、どうにかなんねーの?」
山盛りだったスコーンが半分ほどになった頃、ライジーが突然こんなことを言い出した。
紅茶を飲みながらほっこりしていたソフィアは、ドキッとした。
「えっ、私の話し方……おかしいですか?」
ソフィアの頭に、社交の場で自分の口が全く使い物にならなくなった過去がよみがえる。その頃と比べると、大分元通りに喋れるようになってきた……というより、身内の者でないライジー相手に、これほど自然に話せていることに内心驚いていた矢先の指摘だった。
ソフィアの心に不安が芽生え始めた瞬間、ライジーが口を開いた。
「っていうより……ガッチガチっていうか? その……オレにはさ、もっとラクに話せよ」
ライジーがもごもごと話すのを見て、別に喋り方を非難されているわけではないことが分かり、ソフィアはホッとした。
「これでも十分心安く話させていただいてますよ」
「……違う、もっとあるだろ? ……そこのワンコロに話すみたいに」
「テオに?」
ソフィアが少し驚いた様子でテオを見てから、再びライジーの方に向き直った。ライジーはそっぽを向いているが、照れているのだと分かる。
(別にオレは、ワンコロがうらやましいとか思ってねーし……)
何故自分がそんなことを言ったのか、ライジーは分からない。ただ自分と居る時は、ソフィアに気楽でいてほしいと思っているだけだ。
「──うん、わかったわ」
ライジーが言い訳めいたことを考えていると、後ろからソフィアの明るく、優しい声がした。
「これでいい? ライジー」
ライジーがソフィアの顔を覗くと、彼女はただ嬉しそうに笑っていた。その顔があまりに眩しかったから、まっすぐ見つめることができない。
できるのは、ただ俯いて、照れを隠すだけ。
「……いいんじゃねーの」
その後、満腹のお腹を少し休ませてから、ライジーが本棚の前に立ち、ぎっしりと並ぶ本を眺め始めた。目についた本を取り出しては、表紙を見ては本棚に戻す、という動作を何度か繰り返していると、テーブルの上を片付けていたソフィアが声を掛けた。
「気になる本があったら読んでいいよ」
「おー」
そう答えたものの、どの本がいいのかなんてライジーには分からない。
だが、本のにおいは好きだった。
中には、ソフィアの匂いが強く染みこんでいるものもあるようで、長い間、持っている本だと分かる。
その時、ふと思いついたことがあり、ライジーは尋ねた。
「……あ。獣人のこと書いてる本ってないのか? 魔族のことでもいいけど」
「獣人の専門書みたいなのはないけど、魔族全般のことを書いたのなら確か……」
ソフィアが手を止めてライジーのもとにやって来ると、本棚に目を走らせ、目当ての物を見つけたのか、一冊の本を取り出した。
「魔導士が読むような専門書と違って、それほど掘り下げた内容ではないけれどね。でも、私もこの本で魔族にはいろんな種族がいることを学ばせてもらったのよ」
そう言いながら、ソフィアはライジーに本を手渡した。
ライジーがその本の中身をぱらぱらと見てみると、見覚えのあり過ぎる姿形をした生き物たちの挿絵が数多く描かれていた。
(すげえ)
これが、この本を一瞬見た感想だった。
というのも、魔族と関わりのない生活を送るふつうの人間でさえも、この一冊で魔族に関する知識をこれだけ知ることができるからだ。文字さえ読むことができれば、たった一冊のこの本で。
その一方で、ある事実を突きつけられる──獣人は文字さえ取り上げられた、無知で、弱い生き物であるということを。
(まどうし、って確か……人間の中にも魔力を扱う例外がいるって聞いたことがあるけど、それか? ソフィアの言い方じゃ、そいつらはもっとすごいってことか……)
──人間界は進んでいる。他の魔族に目を付けられないようひっそりと蠢くばかりの獣人が存在する魔界とは、まるで異なる世界だった。
それからライジーは顔を上げ、再び本棚を眺めた。それに気付いたソフィアが、横から口を開いた。
「えっとね、本の並べ方なんだけれど、大体のジャンルで分けるようにしているの。この辺りは児童文学でしょ。こっちは歴史、その上は社会科学と自然科学……一番上の段は産業と芸術関係かな。う~ん……詳しく言えばもっとあるのだけれど」
難しい顔をして説明してくれたソフィアを尻目に、ライジーはふと思い出した。
空の向こうには、計り知れない空間が広がっている。そんなことを里の年寄りから聞いたことがある。
目の前の、ぎっしりと本が並べられたこの本棚は、まさにそれだった。
この本棚には、この世の叡智が詰まっている。人間が誕生し、文字を獲得してから現在に至るまでに手に入れた、全ての叡智が。
ライジーは、そんな感覚を覚えた。




