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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第二章

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8-4 初めて目にする物



「お代わり、要りますか?」


 飲み干したコップを手に、そう尋ねてきた彼女は軽く微笑んだ。


(……なんで笑いかけるんだよ)


 人間である彼女が、自らの敵であるはずの魔族に。


 少し驚きながらも、ライジーは首を横に振った。


 ライジーの彼女に対する警戒心は、先ほどよりかは和らいでいた。とにかく彼女は、弱った獣人に何か危害を加えるようなことはしないと思えたのだ。


 それに伴い、元来の好奇心旺盛さが頭角を現していた。ライジーはベッドの上から、キョロキョロと部屋のあちこちを見渡す。


 自分が今寝かされているベッドは信じられないほどにフカフカしているし、近くにある台にはどうやってこんなものを作ったのかと思うほど細かな模様が彫られている。


 その他小物類はもちろん、今しがたのコップもそうだったが、ライジーにとってどれもこれも初めて目にする物だらけ。興味を持たない方が無理な話だ。部屋の造り自体も洞窟で暮らしていたライジーにとっては目新しいものだった。


 見慣れない物に囲まれてはいたが、ライジーは嫌悪感や落ち着かなさは不思議と抱かなかった。警戒心を持たずによく見れば、むしろ心地いいくらいだ。


 そんなことをしているうちに、彼女がコップを戻しながら尋ねてきた。


「……珍しいですか?」

「見たことないものばっかりだ」

「そう、なんですか」


 それ以上は聞いてこない彼女の姿勢も、ライジーは居心地がよかった。同齢の雌のカーラはいつも口やかましかったから、物静かな彼女は新鮮に見えた。


(────ッ!?)


 次の瞬間、ライジーの本能が危険を察知する。一瞬にして身の毛がよだち、耳はピンと立つ。


(あそこだ)


 部屋の一方の、他の壁とは色の違う、出っ張りの付いた壁。ライジーはそこを睨みつけ、いつでも飛び出せるように体を構える。


 その四角の壁が、音を立てながらゆっくりと開いた。


 その向こうに立っていたもの……それは犬だった。真白で、年老いた犬。


 ライジーが呆気に取られている間、その犬はゆっくりと部屋の中に入ってきた。まっすぐ主人の方に行くと、咥えていた籠を口から離した。


 ハッハッと何かを期待するように彼女を見上げるその犬を見て、ライジーはフーと息を吐いた。


(さっき感じたあの魔力……オレの勘違いだったのか? イヤ、でも、あんな強い魔力、間違いようがない)


 ライジーはてっきり魔族が襲いに来たのだと思っていた。しかも自分とは比べ物にならないくらいの上級の魔族が。


 しかし目の前にいるのは、やはりどこからどう見てもただの犬だ。先ほど感じた魔力も今は感じない。


 ライジーが白い老犬を睨みながら考え込んでいると、その視線に気付いた彼女が紹介を始めた。


「あっ、ごめんなさい。この子はテオです。もうおじいちゃん犬なんですが、お昼寝の前に私に本を読んでもらうのが習慣になってて」


 そう言って、彼女は籠の中から一冊の本を取り出した。


 犬の件は気になるが、ライジーにとって、もっと気になる物が現れた。だからライジーは自然と訊ねていた。


「ほん、って何だ?」

「……え?」


 彼女はキョトンとしたが、すぐに持っていた本をぱらぱらとめくりながら説明した。


「ええと、紙をまとめて束にしたものに、こうやって文字や絵などでいろんなことを書いたものですよ。書物ともいいますね。これは子ども向けの本なので、絵がメインとなってますが」


(──なんだ、これ)


 すごく、心が惹かれる。何故だか分からないが、ライジーは本のことがもっと知りたくなった。


「……どんなことが書いてあるんだ?」

「物語です。この本を書いた人が想像して作ったお話ですよ」

「……ふーん……」


 もっと詳しく知りたいところだが、ライジーはそっけない口調で返した。あまりがっついては恰好がつかないからだ。


 だが、ライジーの本心を見抜いたのか、彼女はためらいがちに尋ねてきた。


「あの、今からこの子に読み聞かせしてもいいですか? ご迷惑じゃなければ、あの、ご一緒に……」

「いいのか!?」


 その誘いに嬉しくなって思わず即答したライジー。ハッと気付いた時は己の単純さを呪ったが、彼女は笑うことなく、快諾してくれた。


 そうして彼女がベッドの前の椅子に腰かけ、彼女の飼い犬のテオは床に伏せ、いざ読み聞かせなるものが始まろうとしていた時だった。


 彼女は本の表紙を見て、何かまずいと思ったのか、他の本に替えてもいいかと提案してきた。ライジーとしては、別に何だっていいが、とにかく早く本に触れたい気持ちが強かった。だから、早く読むように急かすと、彼女は諦めた様子で本を開いた。


(すげー……あんな薄っぺらいの、よく破らずにめくれるな……)


 白く、細い指が薄い紙を器用にめくっていく。自分のゴツゴツとした荒々しい指では絶対に無理だ、とライジーは思った。


 ライジーに一挙手一投足を見つめられ、彼女は緊張しているようだったが、ライジーはお構いなしだ。



 彼女の読み聞かせは始まった。


 その本の表題は『かなしき英雄と 魔獣退治』。


 人間らしからぬ強さを持つ英雄が、数々の魔獣を倒していく話だった。


 彼女の声を聞きながら、ライジーはふと、彼女が別の本にしようと提案してきた理由に気づく。


(……別に、そんなの気にしねーのにな)


 今さら物語の中でその程度の貶めを受けても、傷ついたり腹が立ったりしない。現実にはもっと残虐なことをされ続けてきたのだから。


 しかし、彼女のその配慮は嫌ではなかった。何だかムズムズして、むしろ──。


 ライジーはそこで思考を止めると、物語の方に意識を戻した。


 それからはずっと、物語の世界に入り込んでいた。


 ライジーの直感は正しかった。本の、なんと面白いことか。


 文章と挿絵が見事にマッチしていて、まるで自分が主人公の英雄になったかのようだった。自分は魔族で、英雄は人間であるのにも関わらず。


 ライジーは挿絵を眺める傍ら、その端に並ぶミミズの列をじっと見つめた。これが人間の文字らしい。


 文字は、魔族の世界にも存在する。ただ、魔族の文字は人間のそれとは形が違うようだ。ライジーは、というか魔族階級の底辺にいた獣人は魔族の文字を取り上げられていて、当然読めなかったので、はっきりとは分からないのだが。


 とにかく文字を読むことができなくても、彼女が読んでくれるので、全く問題なかった。


 ライジーが本の世界に没頭できたのは、何よりも彼女による音読のおかげだ。


 彼女の高すぎない声が心地いいからか、それとも彼女の読み方が上手いからなのか? 何が良かったのかは分からない。


 だが、彼女が文章を滑らかに読み上げていくのを聞いていると、自分の体の中にすうっと沁み込んでいくのが分かった。



 物語は終盤。人々のために命を懸けて魔獣退治をしてきた英雄が国を追い出される場面だ。


(なんだよ、それ……。ニンゲンがニンゲンを除け者にするとか……仲間なんじゃねーのかよ……)


 ──悔しい。憎い。悲しい。


 このごちゃ混ぜになった感情に、ライジーはふと覚えがあった。それは、魔族という同じ括りの者たちからの虐遇だ。獣人という同族の中でも、自分一人だけが浮いた存在だという自覚もあった。


 胸から溢れて出てくる想いを、いつもはグッと飲み込むのに、今日は無性に吐き出したくなる。



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