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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第一章

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6-6 “寂しき英雄と かがみの魔獣”

「ソフィア~、はやくよんでよー」


 ライジーの膝の上でもぞもぞしていると、周りから不満の声が上がったので、深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、本の方に意識を集中させた。



 ◇◇◇



 ──“寂しき英雄と かがみの魔獣”


 ──ある時代の、ある荒野に、英雄がいました。

 彼の脚は国いちばんの駿馬よりも速く、からだは岩よりも頑丈、彼のふるう剣は大地をも切り裂くほどでした。

 たくさんの魔獣を退治してきた英雄は、人びとにしたわれ、あがめられました。





「ニンゲンなのに岩よりかたいわけないじゃん」

「ぜったい、おれのほうがつえーし」

「わたしこどもだけど、ニンゲンには負けるきがしないなあ~」


 魔獣を倒してきた人間の物語だけれど、子どもたちは特に気にしていない様子でホッとした。それどころか、子どもたちの思い思いの反応が、以前“かなしき英雄と 魔獣退治”を読んだ時のライジーのそれとそっくりだったので、小さく吹き出してしまう。


 気を取り直して、次に進む。





 ──でもそれは、英雄だった頃のはなし。

 きびしい魔獣退治の果てに彼に残されたのは、全身と愛用の剣に呪いのように染みついてしまった血の痕と、笑うことを忘れてしまった険しい顔に、鋭く光る赤い目だけ。

 人ならざるものの風貌になってしまった彼は、守ってきた人間たちに国を追い出され、英雄だった頃の力をすっかり失っていました。


 ──国を追われた男は荒野に出て、何年もさまよい続けました。

 その恐ろしい見た目から、魔獣でさえも彼に近付くものはなく、ずっと独りぼっちでした。

 最後は深い森に行き着き、ただ一人、命が尽きようとしていました。





「なんでニンゲンがニンゲンをおいだすんだ?」

「えいゆー、かわいそう……」

「これ、かなしいお話なの?」


 子どもたちは耳を垂らして、しゅんとしている。その正直な反応に、私は既視感を覚えた。


 獣人が、決して相容れぬ存在である人間──しかも、多くの魔獣を退治してきた人間に共感できるわけがない。そう決めつけるのは間違いだと証明してくれたのが、ライジーだった。


 あの日の英雄の本を読んだ時も、彼は涙を流した。


 そして今も、ライジーの顔をそっと覗くと、苦虫を嚙み潰したような顔をしている。


 私は視線を元に戻すと、小さく頷いた。


「……そうね、かわいそうよね。でもね、もう少し聞いてくれる? 悲しいだけで終わる物語ではないから」





 魔獣との戦いと厳しいさすらいの旅でボロボロになった英雄の体は、限界を迎えていた。


 水をもとめて入った森だったが、万策尽き果て、今にも命の灯火が消えようとしたちょうどその時、英雄に近寄る影があった。


 英雄がどうにか顔を上げると、そこに立っていたのは魔獣だった。


 以前の英雄ならば、どんなに瀕死の状態であっても立ち上がり、戦っていただろう。


 だが、今の彼は魔獣を目の前にしても何とも思わなかった。怒りも、悲しみも、何ひとつ感情が湧いてこなかった。


 四本足のその魔獣はゆっくりと頭を近づけ、口を大きく広げた。英雄が最期の瞬間を覚悟したその時、その魔獣がしたのは英雄の首を嚙みちぎることではなく、首根っこを咥え、英雄の体を引きずることだった。


 魔獣に殺されることなくどこかへ連れていかれていることに英雄は狼狽えたが、やがて魔獣が口を放した。着いた先は泉だった。



 ──“私を助けてくれるのか?”

 英雄が驚いてたずねると、魔獣はそうだと答えました。

 “何故だ? 見ての通り、私は魔獣の血で染まっている。数えきれないほど多くの魔獣を倒してきた私は、おまえの敵のはずだ。それなのに、何故?”

 “我々を憎み、恨み、恐れる心……今のおまえにはそれが無いからだ”



 とにかくがむしゃらに泉の水を飲んだ英雄は、息を吹き返した気分になった。


 泉のそばにしばらく滞留し、徐々に体が回復するのを待つ間、その魔獣はずっと英雄の近くにいて、彼を見守っていたのだった。



 ──英雄は思いました。誰かがそばにいてくれることが、なんとしあわせなことかと。

 それがたとえ、魔獣であっても。


 ──すっかり元気を取り戻した英雄は、魔獣にたずねられました。

 “私を討つか?”

 英雄はしばし考え、答えました。

 “討たない”

 “我々の存在は人間にとって目障りなのだろう。見逃してよいのか”

 “おまえたち魔獣は、私たち人間の鏡だ。それが分かったから、私はもう魔獣を討たない”





 私が初読した頃はまだ幼かったから、英雄の言葉の意味を理解できなかった。けれど時を経て何度か読むうちに、理解できるようになった。


 つまりこの物語の中で、魔獣という存在は人間の写し鏡であるということだ。


 人間が悪意の心を持って見るならば魔獣も悪に、善意の心を持って見るならば魔獣も善になる。


 それを理解した英雄は、それまでの「魔獣=悪」という概念を捨て去ったのだ。


 私はこの物語を通して、先入観というものは恐ろしいものだと知った。





 ──こうしてすっかり元通りの力を取り戻した英雄は、魔獣と別れ、泉を後にしました。

 ふたたび、英雄のさすらいの旅はつづきます。あてもない旅だけれど、今度は“知る”旅。

 こうして、英雄はゆっくりと荒野に消えていきました。





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