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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第一章

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5-7 栞争奪戦

 気を取り直して、私はソファーから立ち上がり、本棚に絵本を戻した。


 続いてお兄様も立ち上がり、テーブル上のクッキーを一枚つまむ。


 その時、開け放していた窓から、さあっと冷たい風が室内に入ってきた。そのせいで、窓際で干していたしおりが何枚か床に落ちる。


「あらら……寒くなってきたし、そろそろ閉めますね」


 今日はいい天気だったから窓を開け放していたけれど、さすがに少し冷えてきた。私が窓を閉めていると、お兄様がやってきて、落ちた栞を拾ってくれた。


「ありがとうございます」

「この栞はソフィーが作ったのかい?」

「そうですよ。栞にしようと思って春に摘んだお花なんですけど、すっかり忘れてて」


 私が作ったのは、押し花を透明なパルプ紙で閉じ込めた、ごく簡単に作れる栞だ。


 摘んだお花は紙に包んで、乾き切るまで上に本を積んで放置していたのだけれど、その存在を思い出したのがつい先日だった。もちろんお花はすっかり乾燥していたので、栞にしたのだ。実に半年ぶりに。


 押し花に使ったのは、スカイブルーの小さなお花。爽やかな青が可愛らしくて気に入っている。


 お兄様が落ちた栞を私に渡してくれようとした時、一枚だけ抜き取り、ニヤリと笑った。


「一枚もらっていいか?」

「あ、ずるい! 私も欲しいわ!」


 抜け目なく、後ろからお母様が声を上げる。


「ふふふ、そう急かなくても大丈夫ですよ。何枚か作ってありますから」


 お兄様に拾ってもらった栞を窓際に残っていた栞と併せてから、お母様に一枚差し出した。栞を手にしたお母様は、ほくほくした顔で栞をじっと見つめている。


 我ながら上手に仕上げられたと思うけれど、喜んでくれたのがうれしい。栞なんてお母様もお兄様も有り余るほど持っているだろうけれど、こうやって喜んでくれるのは、きっとこのお花が可愛いからだと思う。


「おっと、忘れていた」


 その時、お兄様が思い出したように声を出した。


「ソフィー、もうひとついいか? 私の妻になる人も欲しがると思うのでね」

「まあ」


 それを聞いて、お母様はニマニマと嬉しそうだ。


 私も、お兄様がお義姉様を心に掛けているのを見ると嬉しくなる。──けれど。


「……お義姉様はこんな安っぽいものを欲しがるでしょうか? どうせ贈られるのなら、もっとちゃんとした栞を買われた方がいいのでは……」


 お義姉様は身分の高い生まれの方だから、身の回りの物だって高級品しか使っていないはずだ。それなのに、私がほんの手遊び程度に作った物を贈っては、お義姉様に失礼な気がする。


「分かっていないな、ソフィーは。おまえが作った物だからいいんだよ」

「でも……」


 いくらお兄様がそう言っても、不安なものは不安だ。その時、お母様が優しく私を諭した。


「ヴァレリアは心を込めた手作り品の価値を理解していると思うわよ?」


 ……確かにそうだ。どうしてその考えに至らなかったのだろう。


 お義姉様は手作りだからといって無下にするような方ではない。それは何度かしかお会いしたことにない私でも分かる。


「では……お義姉様によろしくお伝えください」

「了解」


 私がそっともう一枚の栞を渡すと、お兄様はニヤッと笑って快諾してくれた。


「あと三枚か……」


 お兄様が栞の残りを数えると、しばし考えてから、私の手から二枚抜き取った。


「おまえたちにも一枚やろう。欲しいだろう?」


 そう言って、アスデリカとリックにそれぞれ一枚ずつ渡す。


「大変嬉しいのですが……よろしいのですか?」


 アスデリカが申し訳なさそうな顔で私の顔を見る。栞が残すところ、あと一枚になるので気にしてくれているのだろう。


 もちろん、私としては貰ってくれるのが嬉しいので全く構わない。欲しければまた作ればいいし、作る楽しみもできるから。


「ふふ、お粗末な物で良ければ、どうぞ使ってね」


 私がそう微笑むと、アスデリカも微笑んだ。そう、大体不機嫌か無表情の彼女にしては珍しく。


「ありがとうございます、お嬢様。大切に使わせていただきます」

「ありがとうございます。我が家の家宝にさせていただきます」


 アスデリカに続いてリックもお礼を言ってくれたのだけれど、栞を頭の上に掲げてそんなことを言い出したので、思わず突っ込む。


「お願いだから家宝にはしないでね!?」


 リックは普段寡黙なのだけれど、たまにおかしなことを言い出す。中々おもしろい人だと思う。


「残るは最後の一枚か……」


 お兄様が私の手元に残った最後の栞を見て呟くと、突然お母様が手をポンっと叩いた。


「最後の一枚は、お父様にあげてもいいかしら? 一人だけ今日来られなかったから、今頃きっと拗ねているでしょうし。ソフィー手作りのお土産があったら、機嫌も治ると思うの」

「なるほど。それもそうですね」


 お兄様も肯き、最後の栞はまさにお父様行きになろうとしている。


 うぅ。非常に言いにくいのだけれど、ここはきちんと言っておかなければ……。


「……あの、申し訳ありません。一枚は、私に……」


 言い辛くて最後まで言えなかったけれど、察したお兄様が頭を掻きながら声を上げた。


「ああ、そうだった! ソフィーが使う分も残しておかなければな。気付かなくってすまない」

「あら本当。ごめんなさいね、ソフィー。私たち、むしり取るだけむしり取ってしまって。……いい大人が恥ずかしいわね」


 お母様も反省してしゅんとしている。たかが栞でお母様たちをそんな気持ちにさせてしまったことを申し訳なく思う反面、最後の一枚を確保できてホッとしているのも事実だった。


「いえ、いいんです」

「そういう訳ですので、父上には我慢してもらいましょう。ま、いいでしょう。栞の一枚くらい」

「そうね。栞の一枚くらい」


 その言葉とは裏腹に、お兄様とお母様は自分の栞をささっと後ろ手に隠したのを私は見逃さなかった。アスデリカとリックも、いつの間にか自分の栞をどこかにしまい込んでいて、素知らぬフリを決め込むことにしたようだ。


 どうやら皆様、自分の栞を譲る気はないらしい。作った者としては嬉しいけれど、お父様が少しだけ気の毒だ。


「……とりあえず今日のところは、クッキーをお父様のお土産にしてください。栞はまた来年の春、作りますから」

「そんなこと言っていたら貴女、屋敷の使用人全員分の栞を作る羽目になっちゃうわよ?」

「えっ?」

「おっと、気付けばもうこんな時刻か」


 お母様が不穏なことを言った気がするけれど、お兄様が話の腰を折ったので、そちらに気が逸れる。お兄様の懐中時計を覗かせてもらえば、なんとすでに夕刻に近い。


「すみません、私ったら気付かなくて……! 今からだったら、お屋敷に着くのが真夜中に近い時間になってしまいますよね……。あの、今晩はここに泊まっていかれては……」


 遅い時間に辺境地を出歩くのは危険なのでそう申し出たのだけれど、お兄様が私の頭を優しく撫でながら言った。


「嬉しい提案だけどね。けど、大丈夫さ。私がいるからね」


 それもそうだ。お兄様ほどの魔導士が同行していれば、何も怖いものはないだろう。お父様もそれを踏まえて、お母様を託しているのだ。


「それにソフィーと同じ屋根の下で一夜を明かすとなれば、リックには家の外で寝てもらうことになる。さすがにそれは気の毒だろう?」


 お兄様が爽やかな笑顔で酷なことをさらっと言ってのけた傍で、リックの体が一瞬固まるのが見えた。


 ……はい。リックの身が危ないので、今日はお帰り頂くことにします。


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