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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第一章

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5-6 “ミーナと 魔法のくつ”

 ──“ミーナと 魔法のくつ”


 ──ミーナは小さなまちにすむ、すこし内気な、ふつうの女の子。

 おとうさんとおかあさんは靴職人で、靴屋をやってる。

 なかよしは、近くにすむ肉屋のメリイ。

 ミーナとメリイは同い年で、いつもなかよし。

 まちの近くの野原でお花をつんだり、かくれんぼしたり、うさぎの子をさがしに行ったり、たのしくあそんでる。





 そこで、私はちらっと周りの様子を確信した。両隣のお母様とお兄様は絵本をじっと見ているし、アスデリカとリックも目を閉じて耳を澄ましてくれている。


 彼らに読み聞かせするのに抵抗があったけれど、案外何でもないのかもしれない。


 そうとなると、私が照れなんかの余計な感情を手放して、絵本の世界に没頭するのもすぐだった。





 ──でも、きょうはちがう。

 いつもなかよしのミーナとメリイ、けんかしちゃった。

「お花のかんむり、わたしのほうがじょうずにできた」ってメリイが言ったから、ミーナも「わたしのほうがじょうずだよ」って言い返した。

 そしたら、メリイが「なんでそんなこと言うの」ってごきげんななめ。

 ミーナも「そんなに言うなら、もういっしょにあそんであげない」って言っちゃった。


 ──ミーナは家にかえって、泣いた。

 もうあそんであげないなんて、うそだ。

 あしただって、あしたのあしただって、ずっとずーっと、メリイとあそびたい。いっしょに、いたい。





 辺境伯家の娘として両親や使用人たちなど大人ばかりに囲まれて育った身としては、友達を持つ主人公のミーナが心底うらやましかった。たとえ相手と喧嘩していたとしても、私には身近に同年代の女の子どころか、お兄様を覗いて子どもの一人さえいなかったから。


 けれど多少成長して、社交デビューしてからも、友達と呼べる存在はできなかった。

 その要因は明らかだ。生まれ持った内向的な性格と、本の虫が高じて引きこもり生活を送っていたからだ。


 これまで友人を作れなかったのは、もはや環境のせいではないのは私も理解している。


 だからこそ、ライジーと友人になれたことは奇跡だった(私の方だけが友人だと思っているかもしれないけれど)。あの日の森での出会いがなければ、私は今も友人の一人もいなかったと思う。





 ──でもつぎの日、「ごめんね」って言いに行けなかった。

 そのつぎの日も、つぎのつぎの日も。

「ごめんね」は口からとびだす準備ができているのに、ミーナの足はうごかない。


 ──そんなとき、ミーナの足もとから声がきこえてきた。

「ぼくがメリイのところにつれていってあげるよ」

 床の上には、一足の小さなくつ。ぴかぴかに光る、真っ赤なくつ。

 お店のくつかなと思ったけど、こんなくつ、見たことない。おとうさんやおかあさんが作ったくつじゃなさそうだ。

「あなたはだあれ?」

「見てのとおり、くつさ。でも、ただのくつじゃない。きみをどんなところでもつれていってあげられるくつだよ」



 それから、ミーナは突然現れた赤い魔法の靴を履いてみることにする。

 その途端、魔法の靴が言った通りになる。ピクリともしなかったミーナの足は勝手に動き始め、メリイの家へと向かったのだ。

 そしてメリイの顔を前にして、「ごめんね」が言えたのだった。



「ぐすっ、ぐすっ……仲直りできて、本当に、良かったわねえ……」

 気付けば、隣のお母様が鼻をすすりながらハンカチで目の涙を拭っている。


 ……私が言うのも何ですが、涙もろすぎませんか?


 気を取り直して、私は次の頁に進んだ。





 物語は次の場面に進む。

 魔法の靴をすっかり気に入ったミーナは、毎日その靴を履くようになった。

 靴は普段は普通の靴のようだけれど、ミーナが「あと一歩、踏み出せない」といった状況の時に、それを叶えてくれた。


 たとえば、仲間外れにされている子に話しかけに行きたいなと思った時も、町のお祭りの精霊役に志願したいなと思った時も、魔法の靴はミーナの足を動かしてくれたのだった。


 魔法の靴はミーナにとって、背中を押してくれる大事な存在になっていた。


 そして、物語は終盤に入る。



 ──ある日、ミーナはくつをはこうとしたけど、足が入らない。どうがんばってみても、入らない。

 近ごろきつくなってきたなとは思ってたけど、とうとう入らなくなっちゃったんだ。


 ──「おわかれだね」

 そうくつが言ったけれど、ミーナはいやだった。

「やだ。もっといっしょにいたいよ」

「だいじょうぶ。きみが大きくなったのは、からだだけじゃない。だから、もうひとりでもだいじょうぶだよ」

 くつが光につつまれて、ミーナはまぶしくて目をとじる。

「足がうごかなくなったときは、ぼくをおもいだして」

 ミーナが目をあけたら、もうそこにくつはいなかった。



 ──まちにまった、おまつりの日がきた。

 ミーナは今日いちにち、せいれいだ。だから、きれいなふくとすてきなかんむりかぶってる。

 まちの人があつまって、たのしそうな笛のおともきこえてきたから、もうすぐミーナのでばん。

 

 ──ドキドキしてきた。しっぱいしちゃったらどうしよう。

 せいれいやく、やるなんて言わなければよかった。

 ミーナの足はちっとも、うごかない。


 ──そんなとき、声がした。

「ぼくがきみをどんなところでもつれていってあげるよ」

 ミーナはおどろいてさがしたけど、やっぱりくつはいない。


 でも、ミーナはおもいだした。

 一歩、まえにふみだす勇気を。





 絵本はここでおしまいだ。


 最後、ミーナが結局足を踏み出すことができたのかは書かれていない。著者はきっと、ミーナのその後を読者に考えさせる狙いでそうしたのかもしれない。


 私はもちろん、ミーナが勇気を振り絞り、見事精霊役をこなすことができたと思っている。


 私がひとつ息を吐いて絵本を閉じると、顔を上げた。


「うっ、うっ……ミーナちゃんなら、魔法の靴がなくても、きっと大丈夫よぉ……」


 読み聞かせの序盤から泣いていたお母様が、さらに大泣きしている。確かにお母様は人より少し涙もろいところがあるけれど、さすがにちょっとこれは異常ではないだろうか。


「お、お母様……どうしたんですか、そんなに泣いて」


 その時、向かいに目頭を押さえながら俯いているアスデリカと、不自然に向こうに顔を背けているリックが目に映る。


「え、二人も? ……はっ」


 それからハッとして隣を振り返ると、お兄様も涙をこぼすまではいかなくとも、目が赤く潤んでいた。氷のような冷静沈着さで恐れられていると巷で有名なあのお兄様が。


 確かにこの物語は、子どもも大人も心を動かされるものだと思う。内気なミーナが魔法の靴の力を借りながら、少しずつ心を成長させていく様は心に染みる。


 私もそんなミーナが大好きだったから、この絵本を気に入っていた。けれど正直なところ、大泣きするどころか、ほろりときたことさえない。


 そういえば同じ本を読むのでも、その時の読み手の心情や経験値などによって感じ方が変わってくるものだ。


 私は大人になった今もこの絵本を読んで涙することはないけれど、もう少し歳を重ねたら違ってくるのだろうか?

 それとも、単にここにいる大人たちの涙腺が弱いせいかしら?


 私がそんなことを考えていると、その間にお母様は落ち着きを取り戻したようだ。ハンカチで目元を拭いながら、口を開いた。


「ごめんなさいね、何だかグッときちゃって。でも何故かしら、お話自体は昔から知っているのに、こんなに心が震えたのは初めてだわ」

「……私もです。昔、まだソフィアお嬢様がお小さい頃、この本をお読みになっている時のことを思い出しました。その時は別段感じることはなかったのですが、今日は何故だか思いが溢れてくるといいますか……」


 お母様に続き、アスデリカも同意する。リックも人知れず肯いているし。


「そ、そんなこと言わないでください。私の読み方がおかしいみたいじゃないですか」

「おかしいんじゃなくて、素晴らしいんだよ。ソフィーの読み聞かせは」


 お兄様も隣からそう言ってきたので、ますます居心地が悪くなってくる。私自身、自分の読み聞かせが上手だと思ったことは、謙遜でも何でもなく一度もない。それなのに、こんなに持ち上げられては反応に困ってしまう。


「別に、ふ、普通ですよ……。感動したのなら、それは私が読み聞かせたからではなくて、このお話が素晴らしいからですよ」

「慎ましやかさんだなあ、私の可愛い妹は」

「本当にねえ、私の愛娘は」


 お兄様もお母様も、いい年した相手にやめてください。ほら、アスデリカとリックに生暖かく見守られているじゃないですか。


 たぶん私の顔は赤くなっている。けれど、何とか話題を替えたくて、しどろもどろに口を開いた。


「けれど、えぇと、ほら……この物語は本当に、子ども心をくすぐるんですよ。だって魔法の靴ですよ? 私もミーナのように『あと一歩の勇気』を持てない子どもでしたから、もし自分がこの靴を持っていたら、って何度も想像したものです」

「なるほど、ソフィーはこんな魔具が欲しかったのか。……靴に装備主の思考を読み取らせ、実行させる魔法陣を付与させて……フム、作れないことはないか……?」


 何やらぶつぶつと考えを巡らせているお兄様に気付いて、慌てて止めた。


「いっ、要らないですからね!?」

「ソフィー、おまえはもっとワガママを言っていいんだからね?」


 冷蔵庫や給湯器などに続き、危うく世紀の発明品を生み出させるところだった。

 その有り余る才能を私ではなく、もっと必要なところで発揮してください。どうかお願いですから、本当に。

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