5-4 聖女様のお守り
ドレスの話を終えると、私たちは寝室を出て居間に戻った。
「やあ、ご婦人方。積もる話は終わりましたか?」
居間のソファーには、ティーカップを片手に持った美しい彫刻が──ではなく、お兄様が座っていた。うーん、窓から差し込む光が当たって、余計に眩しく見える。
テオはというと、ブラッシングで眠たくなったのか、相変わらず日差しの当たる場所でウトウトしている。さすがはお兄様のブラッシング、毛並みが美しい。
「テオのブラッシングをしてくれてありがとうございます、お兄様。テオ、きれいになったね」
テオを撫でていると、お兄様がカップを置いて立ち上がった。
「さ、魔具のメンテナンスの続きをやるかな。キッチンの魔具はもう済んだし、あとはバスルームだな」
「えっ。私たちが話し込んでいる間にブラッシングだけじゃなくて魔具もみてくれていたんですか!? もう少し休憩しては……」
「もう十分休ませてもらったよ」
兄は相変わらずよく働く。王宮魔導士になれるほどなので魔力量は尋常でないと思うのだけれど、体力の方も尋常ではない。少なくとも私と比べれば、だけれど。
「魔具の調子が悪くなってソフィーが困るといけないだろ? 暇をもらってはいるがいつ王宮に呼び戻されるか分かったものじゃないから、できるうちにやっておきたいのさ。しばらくは忙しくなるからなおさらな」
「お兄様……」
お兄様の言葉に、思わず目頭が熱くなる。いつも私のことを大事にしてくれる、私にはもったいないくらいの、本当に良い兄だと思う。
それからお母様たちは居間で休んでもらうことにして、お兄様と二人でバスルームに移動することになった。途中、お兄様が口を開く。
「あぁ、そういえば、コンロだけどな。少し改良を加えておいたぞ」
「改良?」
「ああ。今まで火力が三段階でしか選べなかっただろう? それを、10段階に増やした」
「……10段階も!?」
わずかな時間の間にいつものメンテナンスどころか、改良までしてくれていたことに驚く。
「よく料理をするなら、火力の微調整ができた方がいいだろう?」
確かに、欲を言えば弱火と中火の間くらいの火の強さがちょうどいいのにな……など料理中に思うことはあった。けれど、まさかそれが現実になるとは。
「あとは、切り忘れ防止機能も付与しておいた。ソフィーはしっかり者のようでも、たまにぬけたところがあるからな。一定時間火のついた状態が続くと勝手に火が消えるようになっている」
感心する間もなく、お兄様が天井を指さして続ける。
「それとな、天井に新たな魔法陣を付けておいたから小火を起こさないように気を付けろよ。火や熱を感知するとその魔法陣が発動して自動で水が降り注いでくるから、ずぶ濡れになるぞ。キッチンと居間はすでに設置済みだが、他の部屋はまた後で付けるから」
兄の手際の良さに、感心を通り越して呆れ返ってしまった私は言葉が出ない。先ほど「私を大事にしてくれる兄」と思ったばかりだけれど、少し過保護すぎやしないか。
「……でもまあ、ありがたく受け取っておきますね」
「何だいソフィー? そんなに可愛い顔して」
私がニコリとそう言うと、お兄様ものほほんと笑った。
お兄様は私に少し意地悪を言うこともあるけれど、なんだかんだお兄さまは優しい。少し過保護すぎるからって、それは贅沢な悩みというものだ。
バスルームに着くと、お兄様は早速、魔具のメンテナンスに取り掛かる。
バスルームにある魔具は、洗い場と浴槽の二カ所だ。
お兄様はまず、洗い場の魔法陣を触る。ブオンといういつもと違う鈍い音がすると、その魔法陣がこれまたいつもの白い光ではなく、青く光る。
以前お兄様が教えてくれたのだけれど、この作業は施した魔法陣を強化しているらしい。聖女様の結界と同じく、魔法陣の効果も永遠というわけではなく、定期的に効果の付与をしなければいけないようだ。
お兄様が魔法陣に手を当てている間、私は手持無沙汰に口を開いた。
「……そういえば先程少しおっしゃってましたけど、相変わらずお忙しくされているようですね。魔族の動きが活発になってきているのですか? たとえば……魔族が我が国の領土に入ってきたとか」
遠まわしにライジーのことが露見していないか探りたかった私は、心臓をバクバクさせながら尋ねた。
「まさか! 魔族の侵入を許していたら、国中もっと大騒ぎになっているさ。ま、そもそも大騒ぎになる前に私が消し炭にしているがな」
お兄様が笑いながらそう答えたのだけれど、目は少しも笑っていないのが恐ろしい。
けれど、良かった。ライジーのことを勘付いているわけではなさそうだ。
「では、どうしてお忙しいのですか?」
「まあ、あまり大きな声じゃ言えないけど……聖女様のお守り、だな」
「……え?」
予想外の答えに、私は目を丸くした。
聖女様のことは、ほとんど知らない。私だけでなく、この国のほとんどの人間が知らない。
なぜなら、我が国の守衛の要に関する情報は国家機密だからだ。性別は女性だろうが、名前も、年齢も、出身地も、容姿も明らかにされていない。
分かっているのは、五年前にその能力の発現と共に我が国に現れ、七代目聖女に就任した、ということくらいだろうか。
六代目聖女が薨去されてから長い間、この国に聖女は現れなかった。
その間、歴代の聖女が作り上げ、維持してきた結界は、誰も強化が行えないがゆえに消滅寸前だった。結界が破れ、魔族がうじゃうじゃと侵略してくるのも時間の問題だろうと誰もが覚悟していた時だった。七代目聖女が現れたのは。
そんな緊迫した情勢の中に現れたものだから、国中諸手を挙げて彼女を歓迎した。五年前といえば私もまだ幼かったけれど、聖女様が現れた頃は毎日がお祭り騒ぎだったのを覚えている。
──そんな聖女様の「お守り」とは。
触れてはいけない国家機密に触れてしまうような気がして、私は恐る恐るお兄様に確認する。
「……これって私が聞いても大丈夫なお話ですか?」
「もちろんさ! ソフィーが聞いたら駄目な話なんてこの世に存在しないよ」
いや、それはあるでしょうに! お兄様の爽やかな笑顔に一瞬騙されそうになったけれど、心の中で思わず突っ込んだ。
「あのワガママ娘、王宮料理は口に合わないから市井で人気のスイーツを買ってこいだの、新しく作らせたドレスや装飾品が自分のピンクブラウンの髪色に合わないから作り直せだの、口を開けば好き放題さ。おかげで王宮の料理人たちは修行の旅に出ると言ってきかないし、衣装部屋も物であふれ返って皆困っている」
「おっ、お兄様――――?」
お兄様が話し始めた瞬間、慌てて手近にあったバスタオルで自分の頭を覆った。
聞いてません。私は決して、聖女様がスイーツ好きでピンクブラウンの髪色をしていることなど聞いてはおりません。
私が必死に聞かぬフリをしているというのに、お兄様は私の努力を知ってか知らずか、ニコニコとした顔で私のバスタオルを取り上げた。
「どうしたんだい、ソフィー。かくれんぼのつもりかい?」
「もう、お兄様ってば! いくら身内だからといっても、あけすけに聖女様の情報を漏らすのはいかがかと思います!」
「うーん、真面目なところもソフィーの良い所だよなあ……」
「何の話をしているんですか!」
「怒った顔もいい」
「…………」
自分だけが必死になっているのが馬鹿らしくなって、もう諦めることにした。
お兄様はいつの間にか洗い場のメンテナンスを終えていて、浴槽の方の魔法陣に手を当てていた。後ろから覗き込みながら、私は話の要約をする。
「……それで、その聖女様の、お世話、でお忙しくされているんですね」
「そう、お守りでね」
わざわざ言い直すところに聖女様に対する悪意を感じるのは気のせいだろうか。
早くこの話題から離れたくて、ウズウズしながら喋る。
「けれど、魔族関連でお忙しくされているのではなくて良かったです。お兄様はお強いですから大丈夫だとは思いますけれど、やっぱり魔族の討伐となると心配ですもの……」
「ソフィー……! 私の身を案じてくれているのかい……!」
「もうお兄様一人だけの体ではないんですからね。お兄様に何かあるとお義姉さまが悲しみます」
「……あぁ……そうだね」
がっくりと肩を落としているお兄様は放っておくことにして、目の前のやるべき事に意識を向かせる。
「あら、もうメンテナンスが終わったんですか?」
お兄様が浴槽の魔法陣から手を離し、次は天井に向けて手を掲げていた。
「ああ。ついでに自動散水装置もつけておくな」
「ああ、先ほど言っていた……」
火の気のないバスルームには必要ない気もするけれど、あって困ることはないので、そのままお兄様の仕事ぶりを眺める。
兄の手の平の前に、青白い魔法陣が宙に浮かんでいる。それがぱあっと光を放つと、次の瞬間には天井にそれと同じ魔法陣が刻まれていた。
私には浴槽や洗い場にあるお湯を出す魔法陣とほとんど同じように見えるのだけれど、魔導士から見ればきっと似て非なるものなのだろう。
それから、私たちは居間に戻るついでに他の部屋や廊下の天井にも同じ魔法陣を付与していくことにした。
「ま、でも聖女様の相手ももうすぐ終わりだ。本来の職務の方に腰を据えることになったからね」
隣の部屋に移り、その天井に魔法陣を付けながら、お兄様が口を開いた。
「それって王宮魔導士団のことですか?」
「そう。そもそも王宮魔導士の私が聖女の守りをしているのもおかしな話だったんだけれどね。ともかく、ようやく魔導士の仕事に集中できそうだ」
確かに、王宮魔導士団所属のお兄様が聖女様のお世話を務めていたのは不思議な話である。けれど、聖女様の能力も結局は魔法だから、王宮魔導士であるお兄様が関わっていたのはその関係かもしれない。
「けれど……お兄様がいなくなったら、聖女様は大丈夫なのですか?」
「全く問題ないさ。彼奴がいるからね」
「……彼奴?」
「レジナルドさ。彼奴の方が私なんかよりよっぽど聖女様にいいように使われているよ」
──レジナルド。
その名に思い当たる人物が一人、いる。
「レジナルドって……イヴテイラー家のレジナルド様?」
「そうさ。昔よく辺境伯家に遊びに来ていたからソフィーも覚えているだろう」
はい、よく覚えています。お兄様のよき悪友でしたから。
レジナルド様は我が辺境伯家の隣に領地を持つイヴテイラー侯爵家の次男だ。領地が隣同士、且つお兄様と年が近かったのもあり、レジナルド様は昔、よく我が家に遊びに来ていた。
この数年は会ったことはもちろん、彼の話のひとつも聞かなかったのですっかり遠い方になっていたけれど、目を閉じれば幼い頃の思い出がよみがえってくる。お兄様と一緒になって、私を秘密基地に連れて行ってくれなかったこともよ~く覚えている。
「私が王宮魔導士団に入ったのと同じ頃、レジナルドも近衛騎士団に入ってね。所属は違ったけれど聖女様の守りに駆り出された境遇が一緒だったから、王宮でもよく顔を合わせるようになったのさ」
「レジナルド様も……。そうだったのですか」
「で、あまりに使い勝手が良い奴だったから聖女様に気に入られてしまってね。最近、聖女様の親衛隊長に抜擢されたんだよ。レジナルドのやつも可哀そうに、これからワガママ娘対応係専任になるなんてな」
お兄様は首を横に振りながら、そう言った。その顔は、全く可哀そうに思っていない顔だ。
「つまり、レジナルド様が聖女様専任の警備に就かれることになったから、お兄様が魔導士団の職務に専念できるようになったというわけなのですね」
「そういうことだね」
部屋を出て、廊下の天井に魔法陣の付与を行いながらお兄様が頷いた。
我が国の救世主である聖女様は、国王に次ぐ身分の高さを持つ。故にこれまで聖女様に専任の近衛が付いていなかったのがおかしいくらいだったので、お兄様はふざけた言い方をしているけれど、今回レジナルド様が聖女様に付くことになったのは良いことなのだろう。




