5-2 お兄様のお祝い事は私のお祝い事
「そういえば今日、お父様は一緒ではないの?」
お母様から身を離し、後ろの馬車を覗いた。お母様がサプライズで登場したのだからお父様もありうる。
けれど、お母様はいたずらがばれた子どものような顔で言った。
「アランも来たいって言っていたのだけれどね、置いてきちゃった。だって仕方ないわよね、どうしても外せないお仕事があるっていうんだもの。可哀そうに、私たちが出かける最後の最後まで泣きそうな顔で見ていたわ」
あぁ、何だかその光景が目に浮かぶようだ。お母様からの話を聞く限り、お父様も変わっていないようで安心した。
「アスデリカ、こんな遠くまで来てくれてありがとう。リックもこの前の定期便ぶりね」
私が二人の使用人に声を掛けると、二人はそれぞれ挨拶を返してくれた。
とにかく、こんなに大勢が家に来てくれるのは久しぶりで、嬉しい。実家にいる頃を思い出して、懐かしくなる。
その時、ふと重寒い空気を感じて振り返ると、その空気の発生源はお兄様だった。
「……もう私の存在は無いも同然のようだな……」
ずーんと意気消沈しているお兄様に気付くと、私は慌てて声を掛けた。
「お兄様、長旅お疲れ様でした! お兄様には聞きたいことがたくさんあるんですから、さっ、早く家の中に入りましょう!」
「ソフィー……」
兄の手を取り玄関へと引っ張っていくと、お兄様を纏う重寒い空気が和らいでいく。
普段は人々の羨望の的となる位に格好良くて頼りになるのに、たまにこうやっていじけてしまう時がある。──主に、私絡みで。
お兄様に憧れている皆さまは知らない姿なので、こんな姿を見たらさぞ驚くだろう。
皆で居間に移る途中、お母様が思い出したように口を開いた。
「そういえば、先ほど馬車から見えたのだけれど、本当に畑を広げたのね。エレンから聞いていたのだけれど、大分広くしたのねえ。一人で大変だったでしょう?」
「え、ええ。野菜作りが楽しくて、つい」
「お野菜がうまく育ったら、食べさせてくれるんですって? 私もお父様もサーレットもお屋敷の皆も、今か今かと楽しみにしているのよ。料理長も張り切っていてね、お野菜本来の味が楽しめるポトフにしようかって」
「ああ……あまり期待しないでくださいね……」
獣人の友人の存在をごまかす時につい出た話が実家にまで広がっていることは分かっていた。笑顔でそう言う母に私も笑顔で誤魔化したけれど、いまだその動揺は隠しきれない。
そんなこんなで居間に入り、それぞれソファーやテーブルに座ってもらう。
アスデリカは「エレンから聞いて、私も魔具とやらを使ってみたいと思っておりました」とすかさずキッチンの方に入っていった。私にお茶の用意をさせない気満々だ。
アスデリカの厚意をありがたく受け取ることにして、私もお母様たちと一緒に座ることにした。
「このお家に来るのも三度目だけれど、相変わらず綺麗にしてるのねえ……」
お母様がきょろきょろと部屋を見渡すと、感心しながら呟いた。今日のために、私が昨日から片付けと掃除に励んでいたことをお母様は知らない。
「畑でお野菜を作って、お料理が作れて、掃除や片付けも出来ちゃうなんて使用人泣かせねえ」
「そ、そんなことないですよ」
買い被られて困ってしまった。使用人たちはそれぞれ自分の仕事に責任感と自負を持っているだろうに、私のような見よう見まねと一緒にしては彼らに申し訳がない。
お兄様もそう思ったのか、肯きながら同調してくれた。
「そうですよ、母上。貴族の令嬢が完璧にこなせるはずないでしょう。ほら、現に部屋の隅っこに犬の毛が」
「あらほんと」
お兄様が腰をかがめてつまんだのは、ふわふわの毛のかたまりだった。今朝床を掃いたばかりなのだけれど、大雑把な性格ゆえ、隅っこは省略したのだった。
「ん……? 犬の毛……?」
お兄様がつまんだものを顔の前でまじまじと見ながら、眉をひそめる。
お兄様が訝しんでいる理由が今、私にも理解できた。
というのも、我が家で飼っているテオは白犬。けれども、落ちていた毛は灰褐色だった。
……補足をすると、灰褐色の毛色をしているのは獣人のライジーだ。
心臓からどっと血が送り出されるのを感じながら、私は何とか口から出まかせを言った。
「あ、いえ、前に怪我をした狐を助けたんです。そうしたら懐かれてしまって……。たまに遊びに来てくれるようになったんです」
母と兄の反応を待つ間、自分のドッドッという心臓の音だけが聞こえる。この言い訳では、お母様はともかく、お兄様には我が家に獣人が出入りしていることが──そこまでではなくても、何か怪しいと思われたかもしれない……。
「あら素敵。まるでおとぎ話のようじゃない」
「……狐、ね」
お母様がぱあっと顔をほころばせて言い、お兄様も納得したのか、毛を部屋の端の方にフッと吹き飛ばした。
本当に、嘘なんてつくものではない。私の心臓はまだドキドキと波打っている。
それからアスデリカがお茶の用意一式を持って、居間の方にやって来た。手際よく紅茶を淹れてくれるのを見ながら、お母様が話を切り出した。
「狐ちゃんの詳しい話もぜひ聞かせてほしいのだけれど……先にあの話を済ませておきましょうか」
「! お兄様の結婚式のことですね」
「そうなの。ソフィー、まずはお礼を言わせて。サーレットの式に出てくれると言ってくれてありがとう」
お母様が両手で私の手を握り締め、微笑んで言った。わずかに涙ぐんでいるのに気付いて、私は慌てた。
「お礼なんてそんな……。当たり前のことです! お兄様のお祝い事は私のお祝い事同然ですから」
「……ありがとう、ソフィー。ヴァリーもおまえが来てくれると聞いてとても喜んでいたよ」
今度は後ろから、お兄様にぎゅっと抱き締められた。
いくら私が引きこもりでも、家族の結婚式に出るくらいでこんなに感謝されては肩身が狭い。普段迷惑をかけている分、精いっぱいお祝いさせてほしいと思っているくらいなのに。
「お母様、お兄様。私にできることがあれば、お手伝いさせてください」
「本当に? 愛する息子の結婚準備を愛する娘と一緒にできるなんて、私は世界一の幸せ者ね」
お母様がぱっと笑顔になって言うと、お兄様が横から真面目な顔で呟いた。
「正直助かるよ。母上一人に任せておいたら大変なことになりそうだから、ソフィーが一緒にやってくれたら心強い」
それを聞いて、ぐちゃぐちゃの屋敷を背景にして結婚準備で目を回しているお母様の姿が頭に浮かぶ。だから、つい私も本音が漏れてしまった。
「それは……確かに」
「もうっ、二人して!」
「まあまあ、母上。私は少し席を外しますから、二人で準備の件を話し合っていてください」
「あら、貴方は参加しないでどこに行くの?」
席を立ったお兄様は、玄関の壁にぶら下げてあったブラシを掴みながら答えた。
「ちょっと、テオのブラッシングをね」
そう言うと、お兄様はテオに声を掛けた。
「テオ、おいで。ブラッシングをしてあげよう」
テオは床で昼寝をしていたのだけれど、その一声ですっと立ち上がり、お兄様に続いて玄関を出て行った。
お兄様は昔からテオのブラッシングが好きだ。王宮魔導士となって王都にいることが多くなってからも、事あるごとにブラッシングをしてくれていた。
テオは私が飼いたいと言って飼わせてもらったのだけれど、お兄様も、お父様やお母様、屋敷の使用人たちも、皆がテオを可愛がってくれて、本当にうれしい。




