4-10 聖女の唱歌
「……お」
川の中に泳いでいる魚を見つけたライジーが、さっと手を川に突っ込むと、その手の中にはその魚が握られていた。……すごい。
「食うか?」
「えっ、いいの?」
差し出された魚は大きくて、びちびちと跳ねている。
私は驚いてライジーを見た。魚なんて貴重なものをこんなに簡単にもらってしまっていいのだろうか。
「当たり前だろ。食べもんを調達するのは雄の役目だ」
そこでライジーはハッとした顔をすると、顔がほんのり赤くなる。
「──だから! リリーはおいしく料理してくれ! ……ってことだ」
なるほど、そういうこと。それぞれの得意分野を活かした役割分担だ。すごくいいと思う。
「ありがとう。それじゃあ、いただくね」
私がお礼を言うと、ライジーはぶすっとした顔をしていたけれど、耳はそわそわと動いている。照れくさくしているのが一目でわかる。
けれど、丁度良かった。折しもライジーが魚を食べるのか知りたかったから。
「ライジーはよく魚を食べるの?」
「川に行けば食うぞ」
「良かった! 実はね、さっきの馬車、やっぱり実家からの定期便だったのだけれど、珍しく魚が手に入ったらしくて。今、ちょうど家に一匹あるの。だから、ライジーが獲ってくれたこの魚と一緒に調理するねっ。これだけあれば、たくさん食べられるね!」
魚の調理経験はあまりないけれど、これは頑張らなければ。
「……あ。ライジーはこの後、予定は? 良ければ今夜でも魚パーティーしない?」
「……する!」
ライジーが嬉しそうに、ピンと耳を立てて言った。
ずっとあの調子だったらどうしようかと思っていたけれど、こうやって普通に話せるし、目を合わせられる。……良かった。
そうと決まれば、帰る準備ができるまで、川の隅に石で囲った簡単な生簀に魚を入れておくことにした。
二人で石を運んで並べ、ライジーが魚から手を離したところで、何かが私たちの耳をくすぐった。
「……あ!」
私とライジーは同時に顔を上げた。透き通った清涼な歌声が、大空を駆けている。
「聖女様の唱歌だわ」
この国は聖女様の能力“聖歌”によって生み出された結界で囲まれており、魔族の侵入を防いでいる。
ただし結界は一度張れば永遠に続くというわけではなく、時間の経過と共に少しずつ効果は薄れていく。だから、こうやって定期的に聖女様は聖歌を歌い、結界の強化をしてくださっているのだ。
聖女様の唱歌に出会う度に思うのだけれど、王都に住まわれている聖女様の歌声がこんな辺境地にまで届くのは、やはり特別で不思議な力があるのだろう。
そういえば昔、お兄様が聖女様の能力についてこんなことを言っていた。聖女の歌には魔族を退けるだけでなく、滅する力があるのだと。
それを思い出して、自分の顔から血の気がさっと引いていくのが分かった。
「ライジー大丈夫!? どうしよう……耳を塞げばいいのかな!?」
どうにかしてライジーを助けなければという一心から、名案かどうかはさておき、手でライジーの両耳を押さえつけた。
一瞬ライジーはびっくりした顔をしたけれど、やがて堪えきれずに吹き出した。
それを見て、私は気付く。……ああ、また可笑しなことを仕出かしてしまった。
「ごごごめんね。聖女様の歌には魔族を滅ぼす力があると聞いたことがあったから……」
ふわふわの耳からおずおずと手を放しながら、言い訳っぽく独り言つ。
「でも良かった、何ともなくて……。聖女様はここからかなり遠い所にいらっしゃるから、効果が出ずに済んだのかな?」
「ちょっと待て」
「え」
突然、下ろしかけていた私の両手をライジーに掴まれ、ドキッとする。
「やっぱりなんか、しんどいな……。リリー、しばらく俺の耳、塞いどいて。歌が聞こえなくなるまで」
「ええっ!?」
やはりライジーの身に影響があったのか。慌ててライジーの両耳を塞ごうとすると、ライジーがゴロンと寝転がって、私の膝の上に頭を載せた。
「辛い? 大丈夫?」
私はおろおろしながら、ライジーの耳を塞ぐことしかできない。
けれど、しばらくして気付いた。ライジーの顔に、辛さというより、むしろ笑みが浮かんでいることに。
後ろを振り返ると、テオが呆れた様子でじとっとライジーを睨んでいるし。
「あ、あ~~っ! ライジーったら私を揶揄っているでしょ!」
「バレたか」
私ばかりかっかして、ライジーの方は悪びれる様子もない。しかも、私の膝から起き上がろうともせず、のんびりと空を仰いでいる。
「ま、いいじゃん。もう少しこのままでいさせろよ」
「もう! ……まあいいけど……」
とりあえず、本当にライジーの体が何ともない様子で安心した。ふぅと息を吐くと、俯けばライジーと目が合って気まずいので、私も空を仰いだ。




