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引きこもり令嬢の読み聞かせ  作者: 方丈 治
第一章

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27/112

4-9 水を飲む

 


 ◇◇◇



 屋根を下りると、目の据わったテオが口にバスケットを咥えて私を見ていた。


 屋根の上で色々あってすっかり失念していたけれど、サンドイッチを用意してきていたことを私は思い出した。


 家に戻って寝とけとライジーに強制的に運ばれそうになったけれど、バスケットの中を見せた途端に、ライジーは私をすんなりと降ろしてくれて、こう言った。


「しんどくなったらすぐ言えよ……リリーが作ってきてくれたから食べるけど」


 私を気遣ってくれるライジーの気持ちに嘘偽りはないと知っているけれど、サンドイッチを食べたい気持ちも紛うことなき真実だ。


 私はくすくすと笑いながら了承すると、持ってきていたピクニック用の薄い敷物を小屋の前の草むらにふんわりと広げ、その上にライジーと二人で座った。


 早速サンドイッチをむしゃむしゃと食べるライジーを、不審に思われない程度に覗き見る。


 ……サンドイッチ、気に入ってくれたようで良かった。


「全部うめーけど、特にこれ、気に入った」


 すでに半分平らげたライジーが、手に持ったサンドイッチを揚げて教えてくれた。ローストビーフのサンドイッチだ。


「……何笑ってるんだ?」

「ううん、何でもないよ?」


 感情が顔にいつの間にか出てしまっていたようだ。やっぱりマスタードは入れないでよかった。





「……あ、いけない」

「? どーしたんだ?」


 持ってきたサンドイッチが全て無くなり、紅茶を淹れようと思った瞬間、あることに気付く。


「飲み物忘れてきちゃった」


 サンドイッチを作ることばかりに気を取られていて、水筒を用意するのをすっかり忘れていた。


 どうしようかと考えていると、ライジーが全く動じることなく言った。


「水ならそこにあるじゃねーか」

「……え」


 顔を上げると、ライジーがあっちの方向を指さしている。


「川」


 ……なるほど。そういえばここに来る前、きれいな川があった。


 生まれてこの方、水道を通って蛇口から出てくるきれいな水しか飲んだことがなかったのでうっかりしていたけれど、本来、生き物とは川や湖から直接水を手に入れるのが自然な姿だ。


 ライジーに連れられて私とテオも川の縁まで行くと、ライジーが身を屈ませ、躊躇いひとつなく川に口を付けた。ごくごくと喉を鳴らして飲むのを聞いているうちに、私も喉が渇いてきた。


 私がそわそわとしていると、次に動いたのはテオだった。鼻先を川の流れすれすれに近付けると、ふんふんと嗅ぎ、そしてペロペロと飲み始めた。


 それを見て、私も飲もうと心に決めた。実を言うと、川の水をそのまま飲むには少し不安があったのだけれど、テオが飲むなら安心だ。


 昔、実家のワインに微量の毒が混入されるという事件があったのだけれど、まさに飲もうとしていた父や兄を止めたのもテオだった。マクネアス家を潰そうと企てた、とある貴族の差し金で、ワイン業者が犯した愚行だった。


 その事件後、辺境伯家に入ってくる飲食物は全てテオにチェックさせてから使う、というルールを料理長が勝手に作ってしまったために、業者が来るたびにテオが面倒くさそうな顔をしていたのは記憶に新しい。


 私も川の縁に近付いて、屈んだ。さらさらと流れる水に手を伸ばすけれど、少し届かない。


 ……どうしようか。水をすくえるような物は持っていないし、靴を脱いで川に入るのもライジーの手前、はばかられる。


 うーんと私が考えていると、ライジーが私の隣にやってきて、片手を差し出した。その手の平の中には、すくった水が揺らめいている。


「早く飲まないとこぼれてくぞ」

「あ、ありがとう」


 ライジーに礼を言ってから、私はそっとライジーの手に口をつけて、水を飲ませてもらった。何だか恥ずかしいけれど、ライジーの厚意を無駄にするのも申し訳ない。


 それにしても、ライジーの手は片手でも私が飲む量としては十分足りるほどに大きい。ゴツゴツしていて、指も太くて、私の貧弱な手とは対照的だ。


 こんなに屈強そうな手だけれど、乱暴とかではなく、私に触れる時は驚くほどやさしい。


 こくこくと飲ませてもらいながら、何気にライジーの手を観察している自分に気付き、かあっと顔が赤くなる。


 ……私はライジーを前にして、一体何を考えているんだろう。


「もういいか?」

「う、うん」


 水を飲むのを止めた私に気付いたライジーがそう尋ねたので、私は返事をしてから口を離した。


 どうしよう。顔を上げられない。今日だけで一体何度、顔を赤らめれば気が済むのだろう。


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