21-4 アリアの企み
◇◇◇
凍えるほどの寒空の下、湖畔のそばに野営の明かりが灯る。
そこには、木の幹から張り出した枝を支柱にして作られた小さな簡易幕屋がふたつ。だが、たった一晩の辛抱なので、寒ささえ凌げればそれで十分だ。
幕屋の前に焚かれたたき火の前に、聖女アリアとその親衛隊長であるレジナルド、そして侍女のミリの三人が集まっていた。体を温めがてら、これから食事をとるためだ。
レジナルドが携帯食の干し肉をたき火で軽くあぶると、アリアに差し出した。
「こんなものしかなくてすみません。あ、お寒くないですか? 毛布まだありますよ」
「明日には着くんでしょ。それに寒くない」
毛布にくるまったアリアがそう答えると、差し出された干し肉をそっけなく受け取った。
その横から、今度はミリが湯気の立つカップを差し出してきた。
「ホットミルクです。わずかですが、基地から拝借してきてしまいました」
「はいはい」
またもやそっけなく受け取るアリアに、レジナルドもミリもクスッと笑みをこぼす。
物言いがキツイ上にワガママなアリアを敬遠する王宮の者は少なくない。だが、彼女があまのじゃくな性格であることを長い付き合いの中で分かっている二人にとっては、むしろ彼女の言動は可愛くさえ思える。
二人が笑いを押し殺しているのを知ってか知らずか、アリアはミルクを啜りながら、突然ポツリとつぶやく。
「……今さらだけど、よくこんなワガママきいてくれたわよね」
こんなワガママ、とは王宮に戻る前にレジナルドの私邸に寄りたいと突然言い出したことである。きっとダメと言われるだろうと踏んでいただけにあっさり聞き入れてもらえたものだから、アリアは今でも少しだけ驚いている。
「いつも王宮の中に籠りっぱなしですからね。急務を終えた今くらい、少しの寄り道は許されるでしょう」
レジナルドはそう言うと、少し考えてから、言い直した。
「──まあ、それだけではないんですけどね。実を言うと、俺がこうしたかったんです。長らく家に帰れていなかったし、それに……」
「ソフィアリリーに会いたかったから?」
そう言葉を継いだアリアを、レジナルドは驚いた顔で振り返った。
「すごい。どうしてわかったんですか?」
「……わかるわよ」
アリアにじとっとした目で睨まれていることなど微塵も気付いてもいないレジナルドは、顔をほころばせながら続けた。
「ソフィアと会うのは子どもの時以来なんです。だから彼女がどんな女性になっているのか、興味をそそられるな……」
(……興味をそそられる? 違うでしょ)
アリアは知っていた。レジナルドのソフィアリリーに対する想いがすでに「興味をそそられる」程度のものじゃないことは。
アリアでさえもレジナルドの本心に気付いているのに、当の本人がそんな物言いをするのはわざとなのか、はたまた超が付くほど鈍感なのかは分からない。
アリアの心のつぶやきを知ってか知らでか、レジナルドの思い出話に花が咲く。
「けど実は二年前、とある夜会で彼女を見かけたことがあるんです。その時は任務中だったので声を掛けることはできませんでしたけどね。その後も何度か王都の社交場で見かけたのにも関わらず、上手くいかなくて……。だから今回はアリア様の我儘にかこつけて、良い機会にさせてもらいますよ。サーレットの話から気になる点もできましたしね」
(獣人のことね)
最後の言葉にわずかに力が込められていたのを、アリアは聞き逃さなかった。
サーレットから聞かされた内緒話に衝撃を覚えたのはアリアだけではないだろう。ソフィアと「仲の良い」獣人のことが気になって仕方ないのは、レジナルドだって同じなはずだ。
(それにしてもこの男、どういう神経してんの? 私のワガママに付き合うのを体のいい口実にしてソフィアリリーに会いに行くつもりって……フツー、本人の前で言う!?)
アリアがいらつきを干し肉をかじることで昇華させていると、レジナルドは悪気などまったく無い顔で訊ねてきた。
「でも、驚きました。いつもだったら貴族と関わりたがらないのに、今回は会ったこともない貴族の令嬢に会いたいだなんて。どういう風の吹き回しですか?」
「言ったでしょ。ソフィアリリーのことは前々からサーレットから聞かされていたから気になっただけ」
アリアは干し肉を飲み込むと、そう答えた。
ちなみに、ウソではない。どんな権力者や美人相手でも冷たくあしらうサーレットが(表面上は気立てよく振る舞ってはいるが)、妹の話となると、途端に手放しで甘くなるほどの別人ぶりだ。そんな姿を見て、その妹やらがどんな人間なのか、アリアが興味を持っていたのは事実だ。
だが、レジナルドはこういう時だけ勘が働くらしい。疑い深そうにアリアをじろじろと見る。
「本当にそれだけですか? 何か裏がありそうなんだけどなあ……」
その言葉で、何かがプチっと切れた。切れないよう、アリアが必死に守っていた何かが。
アリアはうつむくと、言葉を漏らした。
「ばか……」
「え?」
それでも何も気付いていないレジナルドは、キョトンとした顔で聞き返す。それがますます、アリアの癪に障る。
「~~~~バカバカバカ!!」
アリアはレジナルドに向かってそうわめくと、足元にカップを叩きつけるようにして置いた。
「もう寝る!」
すっくと立ち上がると、アリアは振り向きもせず、ずんずんと自分の幕屋へと入っていってしまった。
「アリア様……?」
レジナルドは依然として、呆気に取られているだけだ。そんな彼に向かって、そばで一部始終を見ていたミリが、冷ややかな目を向けて言った。
「隊長のことは実力面でもお人柄の面でも尊敬しています。ですが、そのようなところはいかがかと思います」
「え? そんなところ……って?」
「お先に失礼致します」
「ミリ! ……行った」
引き止めたが、ミリまでもアリアの後に続いて幕屋に入ってしまった。
アリアが感情的になるのには慣れているが、いつも落ち着いた部下までもがあの様子とは。
さすがのレジナルドも少しは気になったが、それでもいつの間にか、心はふわふわと遠くの方へ飛んでいってしまう。
(……もうすぐソフィアに会える)
そう考えるだけで笑みを隠し切れない。
レジナルドにとって、こんなに長いと思わせた夜は久しぶりだった。
「ほんッと、何なのあいつ……!」
幕屋に入ったアリアは、くるまっていた毛布を地面に叩きつけた。先ほどまでは寒くてたまらなかったのに、今は怒りのせいで暑いくらいだ。
「アリア様、お口が悪いです」
後から幕屋に入ってきたミリを、アリアはじとっと睨んだ。
「……どうせミリも、『くだらない理由で』とか思ってるんでしょ」
ソフィアに会いたい理由が「前から気になっていただけ」ではないことを唯一知っているミリは、アリアの頭をそっと撫でると、優しく微笑んだ。
「好きな人の想い人がどんな方かと知りたくなるのは当然の心理かと思いますよ」
「…………」
ミリだけはいつも自分の気持ちを分かってくれる。目が潤んでくるが、絶対に涙を見せたくないアリアは黙ることで何とか耐えきった。
その様子を見ていたミリが、ふうとため息を吐きながらつぶやいた。
「まったく……大変な方に想いを寄せてしまいましたね」
「……うるさい」
それはアリア自身も分かっている。アプローチしたところで、彼の特別な人にはなれないのは分かり切っていた。彼が自分を見る目は、完全に「妹」止まりなのだ。
ミリは投げ捨てられた毛布を拾い、たたみながら、話を続けた。
「それともうひとつ……ソフィアリリー様にお会いしたい大事な理由がおありですものね?」
その問いに、アリアの目の色が変わる。瞬時に冷静になると、腰を下ろしながら口を開いた。
「……サーレットの話を聞いた瞬間、絶対次の人だって思ったの。ただの直感だけど、絶対そう」
レジナルドとサーレットの内緒話を耳にした時から、ソフィアリリーという令嬢に何が何でも会わなくては、という強迫にも近い考えがずっと頭の中にあった。
──ソフィアリリーは、聖女の能力をもっている。何の確証もないが、アリアは自分の直感に確かな自信を持っていた。
だから、今すぐにソフィアリリーの元へ行き、彼女の聖女としての能力を確認しなければ。
「……ああ、もう……どうして出てくるの」
せっかく耐えたばかりなのに、アリアの目から涙が次々とあふれてくる。
他の誰にもあんな酷く、悲しい目には遭ってほしくない。その一心で、この五年もの間、重責を担ってきた。
だが、聖女という大役は、アリアが一人で背負うには重すぎた。涙が出てきたのは、この重荷を分かち合える者が現れたという嬉しさのせいだ。
あとはほんの少しだけ、自分はもうお払い箱なのだという考えが頭の片隅にあったせいかもしれない。
「これでお拭きください」
ミリがハンカチを差し出すと、言い辛そうに口を開いた。
「……喜びの涙はまだ早いですよ? ソフィアリリー様が本当に聖女様かはまだ確定ではないですし、何よりソフィアリリー様は貴族社会を苦手とされているそうです。ご本人の意志が無ければ──」
「わかってる」
アリアはハンカチを受け取ると、グッと握った。もう涙は止まっていた。
「……とにかく会って、確かめなきゃ」




