19-3 バラの手入れ
朝食を済ませた後、私たちは腹ごなしに庭園を散歩することになった。
初めのうちは冬の花などを見て廻っていたのだけれど、そのうちにレジナルド様が体が鈍るからと、ミリさんを誘って剣の手合わせを始めたので、私は聖女様、ライジーと共に隅の方で見学をさせてもらうことになった。
庭園東側の広いスペースに、木刀を打ち合う音が響く。ミリさんは女性にしては背の高い方だけれど、それでもレジナルド様と比べると大分小さく見えてしまう。けれど、線の細さを活かした小回りとスピード重視の動きで、レジナルド様に負けていないように見えた。
ミリさんの一突きをギリギリのところで躱したレジナルド様が、ニヤリと笑って言った。
「中々やるようになったな」
「隊長を降参させるのが私の目標ですから」
そう言って、ミリさんもニヤリと笑う。
本物の騎士が相見える様を初めて目の当たりにした私は、圧倒されると同時に、すっかり魅了されてしまった。
「……かっこいいです……!」
思わず呟いた言葉が聞こえていたらしい。隣にしゃがみ込んでいるライジーがぼそっと呟くのが聞こえた。
「そーかぁ? 俺のが強いし」
何やらつまらなさそうな顔をしている。そんなライジーに無性にこの言葉をかけたくなって、私もしゃがみ込んだ。
「あのね、私にとってライジーは誰よりもかっこいいよ?」
「……は」
「辛い時はいつも心を温めてくれるし、ピンチの時も助けに来てくれるし。ライジーはね、私のヒーローなんだよ。まるで物語に出てくるような」
「な……、なんだよ」
ライジーはドギマギしている。突然こんなことを言われたら、誰だってそうなるだろう。
けれど、大事なことだから。ちゃんと伝えておきたかった。
「これからも助けてほしい時は隠さずに言うから助けに来てね? ……ふふ、わがままだね。ごめん」
「! ワガママなもんか!」
私の意地悪にも関わらず、ライジーの耳は嬉しそうにピンと立った。ここで話を終えられたらいいのだけれど、でも肝心なのはここからだ。私はじっとライジーの目を見て、優しく語りかけた。
「だからね、そうじゃない時は気を張らなくていいのよ。いつものようにのんびり、気ままでいてほしいの」
今ここにいる誰もが警戒対象ではないことを伝えられただろうか。悪いのはライジーではないし、もちろんレジナルド様や聖女様でもない。私の願いとしては、ただひとつ──皆がいがみ合うことのない平和な世界だ。
そんなのは夢物語であることも、人に鼻で笑われるようなことなのは分かっている。ライジーも私の言葉に少し困ったような表情を見せたけれど、やがて私の目を真っ直ぐ見据えて頷いた。
「……ん。わかった」
その時、上から呆れたようなため息が聞こえた。聖女様だ。
「あーあー、お熱いこと。私のこと忘れてないでしょーね、あんたたち」
「も、申し訳ございません聖女様! お恥ずかしいところを──」
私はハッとして立ち上がった。あぁ、聖女様の前でなんという失態をしてしまったのだろう。ライジーと話がしたいと焦ってはいたけれど、いつもの調子で話し込んでいる場合ではなかった。
「ま、いいわ」
聖女様はふわりと髪をかき上げると、剣の手合わせをしている二人をちらっと見てから、こちらに視線を戻して言った。
「──で、今日は何をして過ごすの?」
「あ……それはですね──」
それを聞いて、今日の予定を思い出した。私の普段の生活を見たいということを昨日聞かされ、今日は朝からその心積もりはしていた。
聖女様が何故私に興味を持たれたのかはいまだ見当もつかないけれど、それが聖女様のご希望ならば全力で臨むのは言うまでもない。
聖女様ご同行イベント第一弾は、花の手入れだ。
庭の手入れを担当しているラピドスさんに庭園に来てもらい、私と聖女様は一面に広がるバラの木の前に立っていた。
レジナルド様とミリさんはいまだ剣の打ち合いを続けている。本来であれば、聖女様のすぐ側に護衛がついていなければいけない決まりがあるらしいのだけれど、この屋敷の敷地内はさほど気にしなくても大丈夫らしい。
レジナルド様曰く「サーレット特製の防御魔法を門塀にかけてあるからね」だそうで、並の攻撃や不審者は通さないらしい。私にこの屋敷に留まってほしいとお兄様が言っていたのは、こういう理由からだったようだ。
ちなみにライジーは「食べる用でない植物」にはさほど興味が無いらしく、私から少し離れた場所に座り込み、時折やって来る鳥を目で追っている。
「バラの手入れ?」
「はい! ラピドスさんがバラの剪定をするとのことだったので、私もご一緒させていただく約束だったんです」
私たちのことは放って作業に集中してもらって大丈夫だということは伝えてあったので、ラピドスさんはすでに剪定に取り掛かっていたのだけれど、時折ちらちらとこちらを気にしてくれている。
「にしても、この時期に手入れ? バラって確か、春から初夏ごろに咲くものじゃなかった?」
「はい! そうですね。春にきれいな花を咲かせてもらうために、冬の間にその準備をしておくんです」
「ふうん……」
聖女様が花の手入れのことを知らないのは当然のことだろう。王宮では一流の庭師がバラのお世話をしているだろうから。春の王宮は色とりどりの花でさぞかし美しいのだろう……思わずぼうっとしてしまったが、今はうっとりしている場合ではない。
私も剪定作業に取り掛かるべく、手袋をはめ、剪定鋏を手に取った。
「葉に日の光がまんべんなく当たるように──こうやって主要な枝を残して、弱々しい枝や込み入った枝は切り落とすんですよ。風通しもよくなりますね」
私がパチンパチンと枝を切り落としていく様を、聖女様は大きな眼でじいっと見つめている。何だか落ち着かなくて、聖女様に尋ねてみた。
「聖女様も試してごらんになりますか?」
「え、私?」
「あっ……申し訳ございません。聖女様にこんなことをさせてしまっては駄目ですよね。怪我をされたらいけないですし……」
「別にそれは大丈夫だけど──」
聖女様はそう言ってくれたけれど、なんと軽々しかったのだろう。聖女様は何というか、親しみやすくてつい誘ってしまったのだけれど、我が国の大切な御身だ。傷ひとつ付こうものなら大事になってしまう。
そんなことを考えていると、向こうの方からレジナルド様の声がした。見ると、レジナルド様は何故か笑いを我慢しているかのような顔をしている。
「アリア様、俺の自慢のバラを無残な姿にさせないでくださいよ~~」
「アリア様は不器用なんですから、ご迷惑をおかけしないようになさってくださいね?」
苦笑いで続けたミリさんを見て、私は思う──聖女様に対する扱いとは? と。
二人にそう言われてしまったからなのかは分からないけれど、聖女様は半笑いで言った。
「……ま、やめとくわ」
「そう……ですか」
正直なところ、聖女様が断ってくれて安堵した。代わりと言っては何だけれど、作業に没頭して聖女様を退屈させないよう、会話には気を配る。花の剪定中ならば話題はやはりお花に限る。
「聖女様は好きなお花はございますか?」
「好きな花……そうね、ケンケン草かしら」
その聞きなれない名に、私は目をぱちくりとさせた。
「ケンケンソウ?」
「知らない? 森の中とか、あまり日の当たらない場所に生える小さい青い花なんだけど。種ができる頃に花を振るとケンケンって音が鳴るからケンケン草」
「へえ……おもしろい花ですね」
これまで植物の本も多少は読んできたけれど、そんな花は見たことも聞いたこともなかったから実に興味深い。私はいつの間にか剪定の手を止めて、聖女様の話に集中していた。
「ケンケン草が咲く真夏の暑い頃に森に行くとね、一面青い絨毯が敷いてあるみたいになるのよ。森の中って涼しいし、青色って見てるだけで涼しいでしょ? だから、よく行ってはケンケン草の絨毯に寝転がってたな……」
──まただ。
ケンケン草のことを話す聖女様の目は、朝食の時と同じように遠くを見ているようだった。まるで遠い昔のことを懐かしんでいるような、そしてそこはかとなく寂しい様子で。
もしかして聖女様が王宮入りされる前は、周りはケンケン草に囲まれた、賑やかな環境で暮らしていたのかもしれない。
そこまで考えたところで、ハッとした。聖女様の素性を詮索するようなことはしてはいけない。聖女様にまつわる情報は国家機密なのだから。
記憶を消すことはできないけれど、余計なことは考えないようにしよう。そう思ってぶんぶんと頭を振っていると、聖女様が口を開いた。
「ところで、まさか今日一日花の剪定で終わる気じゃないでしょーね?」
「あ……はい、剪定作業はお昼までの予定です。昼食の後はですね、お菓子作りをしようかと」
「お菓子作りぃ?」
……はい。驚かれるのもごもっともでございます。
聖女様が素っ頓狂な声を上げたのを見て、私は心の中で完全に彼女に同意した。ふつう、貴族の令嬢が厨房に入って料理をすることはないからだ。
けれどこれが私の日常だから、聖女様のご希望を叶えるためにも隠すことはしないことにしたのだ。
だから、聖女様には私がお菓子作りをしているところを見ていただこうと考えていたのだけれど、思ってもなかった展開になった時は私も驚いてしまった。




