18-5 聖女が来た理由
それから私たちは客間に移った。私の隣にライジーが陣取るかのように座り込み、その向かいにレジナルド様、ミリさん、そして聖女様が座る。
デボラさんが紅茶を用意してくれている間、私は心の中でひとつの決意をしていた。ソファーから立ち上がり、聖女様の前に跪くと、できる限り震えさせずに声を絞り出した。
「どうぞ、私を牢獄へお連れください。覚悟はできております」
「……はあ?」
聖女様が気の抜けた声を上げたので、私は「あれ?」と思いながら顔を上げた。
「兄からライジーのことをお聞きになって、私を捕らえに来られたのですよね?」
一瞬の沈黙の後、その場に笑いがどっと起こる。
「私が? そんなの、聖女のやる仕事じゃないから」
「やけに畏まっていると思ったら……君はそんなことを考えていたのかい?」
お腹を抱えて笑う聖女様に続き、レジナルド様がくっくっと笑いながら言った。
この状況を見て、私はとんだ勘違いをしていたことに気付いた。穴があったら入りたいくらいに恥ずかしかったけれど、心のどこかでホッとしたのは間違いなかった。
「で、では、私を捕らえに来られたのでなければ、聖女様は何故、こちらにいらっしゃったのでしょうか?」
「何でかって? それはね──」
聖女様のくりっとした瞳に射貫くようにとらえられ、私の体は固まる。
「あなたを見極めに来たのよ。ソフィアリリー」
「私を……見極めに、ですか……?」
呆然と呟いた私に、聖女様は答える代わりにクスッと笑った。
どういう意味だろう。私を捕らえるつもりがないというのは嘘ではないだろう。けれど、尊い聖女様が取るに足らない娘にわざわざ会いに来られたのは、確実に何らかの理由があるのは間違いなかった。
やはり、私は何かを仕出かしてしまったのかもしれない。いや、獣人(ライジー)を人間界に入れたという大罪はすでに犯してしまったのだけれど、他に何かとんでもないことをやらかしてしまったに違いない。私が気付いていないだけで。
そこまで考えが及ぶと、一気に息が苦しくなってきた。聖女様がお話しされているというのに。
「──ま、だからといって身構える必要はないわよ? 普段のあなたの様子を見させてもらうだけだから……って、あなた大丈夫?」
聖女様が怪訝な顔でこちらを見ている。それもそのはず、私が胸を押さえ、短く息を吐いていたからだ。
────あぁ、懐かしくさえあるこの症状は。社交界に居た頃ぶりだ。
尊いご身分の方に心配をおかけするわけにはいかないので、私は微笑んで平気なフリをした。
「だ……だ、だい、大丈夫です、メ、聖女、さ、様」
けれど、私の口から出てきたのはつかえるばかりの言葉。吃音だ。
数年前のことが、頭の中をよぎる。社交場でうまく話せなくなってしまった私に向けられる、たくさんの奇異の目……。
またあの時のようになってしまうのではないか。しかも今回は聖女様相手に。
自分が情けなくて、目が滲んでくる。どうして私は、他の令嬢ならば普通にできることができないのだろう。
焦りと不安でいっぱいいっぱいになっていると、誰かが私の両手をギュッと握った。
ハッと顔を上げると、私の手を握っていたのは、左右で違う人物だった。片方はライジーで、もう片方は、いつの間にか私の前に跪いていたレジナルド様だった。
「俺がついてるぞ、リリー」
「大丈夫だよ、ソフィア」
左右から伝わるのはそれぞれ異なる温もりだったけれど、優しさを感じるところはどちらも同じだった。私が呆然としていると、レジナルド様が申し訳なさそうに口を開いた。
「ソフィア、すまなかった。突然俺たちが押しかけたせいで驚かせてしまったね……」
違います、レジナルド様。これは私自身の問題のせいで、レジナルド様や聖女様方のせいではないのです。
私が首をふるふると横に振っていると、ライジーの尖った声がレジナルド様に向けられるのが聞こえた。
「おい、オマエ! リリーに触んなって言ってんだろ!」
「おや? 君はいいのに、俺は駄目なのかい?」
「ダメだ!!」
「おかしいな……? 幼なじみの俺が駄目なら、ソフィアの手に触れていい君は一体、ソフィアの何なんだ?」
あっという間に始まった二人のバトルにタジタジしていると、ライジーは一瞬言葉を詰まらせた後、苦し紛れに言い放った。
「ばっ……番犬だ!」
その言葉に、私は目をぱちくりとさせた。先ほどからやけにライジーがレジナルド様を敵対視していたのは、番犬だと思っていたから。
そう考えると、何となくしっくりくるのと同時に、テオの代わりを務めようとしてくれているのではとも思えて申し訳ない気持ちになってくる。
けれど、レジナルド様に「番犬」は通用しないかも……。そう思いながら、私はレジナルド様をちらっと見たけれど、心配無用だった。
「そうか……。それなら今は、離すしかないようだ。『番犬』に噛まれたくはないからね」
そう言って、レジナルド様がパッと私から手を離した。けれど、ライジーの方は相変わらず私の手を握ったままだったので、私はおずおずと切り出した。
「ありがとう、もう大丈夫だから、ライジーも離していいよ……?」
「離さねえ」
そう頑なに言うライジーの視線の先には、やはりレジナルド様がいる。まだレジナルド様を警戒しているのは、私の為なのは充分わかった。
けれど、尊い聖女様の手前、このままではちょっと、いや大分、居心地が悪い。だから私は心を鬼にして、ライジーにはっきりと告げた。
「ライジー、離して?」
私の言葉に衝撃を受けたのか、ライジーはパッと手を離してくれた。けれど、すっかりしょぼくれてしまったライジーを見て罪悪感にかられていると、聖女様がぼそっと呟くのが聞こえてきた。
「ふうん……すっかり丸め込んでるってワケ」
「? 申し訳ございません、いま何かおっしゃいましたでしょうか……?」
私が聞き返すと(吃音はもう出なかった。ライジーとレジナルド様のおかげだ)、聖女様はプイッと顔を背けてしまった。
「えっ……あの……?」
よく見えないけれど、聖女様の横顔がむくれているようにも見える。私がオロオロしていると、ソファーに座りなおしたレジナルド様が代わりに答えてくれた。
「アリア様がさっきおっしゃったことだけど。君の話をサーレットからずっと聞かされていてね、君に興味をお持ちになったようなんだ。だから君のことをもっと知りたくて、こうして会いに来られたんだよ」
「えっ……私、ですか?」
「ですよね、アリア様?」
レジナルド様がそう尋ねると、アリア様はこくっと頷いた。
「けど急な話だしね。迷惑ならもちろん引き返すから、遠慮なく言ってくれ。君の負担になりたくないし」
「めっ、迷惑だなんて、滅相もございません! むしろ身に余る光栄ですわ!」
「そうか! それなら良かった」
私が慌ててそう言うと、レジナルド様はにっこりと──それはいい顔で、笑った。
聖女様に興味を持っていただくなんて僥倖であるのは確かなのだけれど、それ以上に信じられない気持ちの方が強かった。
私が、サーレットお兄様のように誰からも憧れの眼差しを向けられるような存在だったら納得できる。
けれど御覧の通り、貴族社会に適応できずにひっそりと辺境地で暮らすような令嬢だ。こんな私に、聖女様がどうして興味を示されたのだろう。
それに、聖女様の様子だ。レジナルド様とは対照的に、いまだむくれている。本当に望んでここに来られたのか、少し疑ってしまう。
「じゃあ、しばらくの間、よろしく頼むよ」
「は、はい……」
輝くような笑顔のレジナルド様に、何故かムッとした顔の聖女様。そして、そんな彼女をたしなめるミリさん。
ちらりと横目でライジーを見ると、先ほどよりも不機嫌であるのは一目瞭然だった。レジナルド様たちと一緒に過ごすのが嫌だ、という気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
私はこの時、お兄様からもらった「急に押しかけてくる奴らがいるだろうけど、追い返していいからね」という伝言をふと思い出していた。
お兄様からの伝言が「失礼のないよう、聖女様をおもてなししなさい」だったなら、すんなり理解できたし、実際そうしていたはずだ。
けれど、お兄様が言ったのはその真逆。そんな“奴ら”が聖女様ご一行だと承知の上でのことなら、お兄様は一体、どのような意図でそう言ったのだろう?
……もしかしなくても、目の前のこの状況を見るに、お兄様の言う通りにすればよかったかもしれない……?
けれど今さら撤回などできず、このメンバーでどんな共同生活になるのだろうと思いながら、現実から逃避するかのように、私は雪の降りしきる窓に目を遣った──。




