下
横浜生まれの横浜育ちだとしても、横浜のことを全部知っているかと聞かれたら正直知らないことの方が多いだろう。そのくらいこの街の見えない部分は後ろ暗くて深い。
しかし、今日は違う。
「あれ?珍しいじゃんホネさん。横浜に用事?」
「ホネさん!最近面白い話はあるんだよ」
「おぉ~。ホネさんが女と歩いてるじゃん」
凄い気さくに声がかけられる。横浜の裏の横浜でない場所、横浜から少し離れた駅で降りて人の行き交う表通りを少し抜ければ雰囲気ががらりと変わった裏通りの異様な喧噪が雪を迎えた。でも、この通りは居酒屋とかちょっと大人な店が多いだけの普通の通りに私には見えるんだけど。しかし、裏の人間である骨塚さんに話しかけるってことはこの人達も裏の人間なんだろうか。
「心配しなくともこの人達は普通の人達だ。ちょっと顔がいかつい奴もいるがな」
骨塚さんが笑いながら話しかけてきた。どうやら顔に出ていたらしい。裏通りを進んでいき、骨塚さんと私はピンクの色をしたホテルへと入って行った。
「ってちょっと!?なんてものに入ってるのよ?」
どう考えてもここは愛のつくホテルじゃん。まさかここまで全部嘘で私にここからあんなことやこんなことを。
「うるせえな。お前みたいなちんちくりんには欲情しねぇよ。九頭井に会う前に情報屋に会うんだよ」
そう言うと骨塚さんはやがて2階の一室を不躾にノックし始めた。
「おおーい。来てやったぞぉ。早く開けろー」
すると扉が乱暴に開き、中から金髪のチャラそうな男が気怠そうに出てきた。
「おふぁようございまぁす。骨塚先生」
「頼んでたものは準備できたか?」
「できてますよぉっと。はい、九頭井の現在の居場所ですね。でもこんなもの欲しがるなんて気でも狂ったんですか?」
骨塚さんは金髪さんから封筒を渡されると中身も見ずに出口に向かってしまった。
「え?骨塚さん?お礼とか、あ、あのありがとうございました」
「うわぁ。ちゃんと感謝できるんだね。僕は三法事っていうんだ。また何かあれば格安で引き受けるから骨塚先生に連絡してね」
「辞めておけ。こいつからの情報の半分は嘘だぞ」
「えぇ?情報屋なのに?」
「てへっ。嘘も情報の一つがモットーなので」
ふんっと言うと骨塚さんは部屋から出て行った。雪も続いて部屋から出る。
「九頭井くんをよろしく」「え?」
扉が閉りきる直前、三法事さんから何か言われた気がした。
電車に揺られている骨塚さんを見ているとまさかこの人が自殺仲介人なんて見えない。服装が少しおかしいだけの普通の人だ。さっきの三法事さんもチャラそうだけど普通の人に見えた。
もしかして皆そうなのだろうか。
九頭井も会ってみると意外と普通の人で、でも実は人をたくさん殺していて。
じゃあ。
じゃあ鈴音はどうだったんだろう。
私の友達であり、私を嫌う一人であり、裏アカで皆に好かれるアイドルであり、そして死を願う人間であった。
どれが本当の彼女だったんだろう。
そして、その答えをもっているかもしれない場所に着いた。
「準備は良いか?」
骨塚さんが聞いてきた。目の前にある3階建てのどこにでもある白いアパート。ここに九頭井はいるのだろう。
決心はとっくにできている。
「行きましょう」
「よし。こっちだ」
骨塚さんはそう言うとアパートの裏に回りこむと1階の窓ガラスを順番に足で破り始めた。
「な、何してるんですか骨塚さん」
「このアパートのどっかに九頭井がいる。ならあぶり出す方が早い」
平日の昼間だから道行く人は少ないが、もちろんアパートに住んでいる人や通りかかる人もいる。しかし、骨塚さんの奇行に怖がって誰も寄ってこようとしない。もちろん、横にいる私のことももれなく同じ頭のおかしい人を見る眼で見てくる。しかし、寄ってはこずとも警察には通報しているだろう。あと遅くとも十分以内に九頭井を見付けて犯罪の証拠を見付けないともれなく犯罪者だ。
1階を割り終えると次は小石を拾って2階の窓を次々と割り始めた。
すると二番目の家の窓を割った時に、3階の窓が開き中から背が高くて顔色の悪い男がぬるりと出てきた。
「誰かと思ったら先生じゃないですか。お久しぶりですね」
「相変わらずだな。お前も」
その男は一見犯罪とは程遠い人の良さそうな顔をした、いかにも好青年といった風体だった。しかし、眼だけは違った。その眼は深く暗くおよそ人のものだとは思えないような、絵画や彫刻のような熱をもたない眼でこちらを見下ろしてきた。
「おや、先生もついに身を固めたのですか」
「んな訳ないだろ。今回の依頼人だよ」
「…およそ自殺するとは思えない活力の持ち主のようですが?」
「ふんっ。今回の依頼は人探しだよ。笹島鈴音ってやつのな。知っているだろ?」
「はい。えぇ、そりゃ」
骨塚さんがそう尋ねると九頭井は無表情のまま答えた。私は骨塚さんの隣で、声が出せなかった。鈴音の事を知っていることに良かったや何故が浮かぶよりもただただ恐いという感情が胸を占めてしまっていた。でも、それも九頭井の次の一言で消えてしまった。
「奥にいますけど会いますか?」
「っ!会う!」
思わず叫んでしまった。でも予想していなかった。まさか本当に会えるなんて。でもはやる私の肩を骨塚さんはつかんだ。
「待て。その前に九頭井。お前は下に降りてこい。何するか分かったもんじゃないからな。家の鍵を開けたまま俺の所まで来い」
九頭井は仕方ないとばかりに肩をすくめる仕草をして家の中に入っていった。そしてしばらくして私たちの前に姿を現した。
「うわ、窓派手にやりましたね。あ、どうぞ。家の鍵は開いているので。3階の306です」
私は骨塚さんと九頭井さんを残して鈴音のいる306号室まで駆けていった。
そして。
「いいですか?彼女を一人で行かせて。僕が言うのも何ですけど望む結果にはならないのに」
「良いんだよ。それを望んで来たんだ。それよりも。お前、俺のシマを好き勝手荒らしてるよな」
骨塚はここに清水雪を送りにきたんじゃない。単なる優しさじゃない、正義でもない。骨塚は明確な殺意と敵意をもってここに来たのだ。そして、その殺意を一身に受けながらも九頭井は無表情を崩してはいなかった。むしろ先ほどはなかった薄ら笑いさえ口元に浮かべている。
「ははっ。いいじゃないですか。今は自殺するような奴は山ほどいる。それを独り占めしようだなんて傲慢がすぎるんですよ先生。僕だったらもっと上手くやる。金のない自殺志願者も金にできる。今は自殺する人を見たい奇特な金持ちもいるぐらいですから」
「俺の教えも忘れているようだな」
「忘れるわけないじゃないですか。自殺の背景まで調べ尽くせ。いや、本当にこれ大切ですね。何が金に繋がるか分からないから」
「しね」
九頭井に向かって骨塚は右腕を振りかぶり殴りかかる。外見や服装からは分かり辛いが骨塚ももう四十歳が見え始めている年齢になってしまっている。多少護衛術をかじっているが、若く裏の世界に浸かり尽くしている九頭井と満足に戦えて三分が限界だと踏み、苛烈な攻撃を仕掛けているが、九頭井もぬらりくらりと躱している。
骨塚の体力も底が見え始め、次の攻防が最後だとお互いに無意識で理解し、踏みだそうとした時。その時上から何かが落ちてきた。
その時。
306号室に入った時、私が最初に感じたのは違和感だった。およそ人が住んでるとは思えないほど玄関を含め家の中に物が無かったのだ。部屋の中にぽつりと不自然にある段ボールを除いて。私は段ボールに引き込まれるように部屋に入った。そして、段ボールの中身を見た。見てしまった。
中に入っていたのは、何のラベルも貼っていない空っぽの瓶だった。
「それはもう私のよ」
横から声が聞こえてきた。それは待ち遠しかった声で。そして、今まで聞いたことのない声で。そこに彼女は立っていた。
「あんた。こんな所まで追いかけてきて。暇なのね」
彼女は、笹島鈴音は変わり果てた姿でいた。高校にいた時より格段にやせていて、ツヤがあり肩に整えられていた髪はボサボサに伸びきっていた。そして何より、先ほどの男と。九頭井と同じような闇を閉じ込めたような眼をしていた。
「でももう私変わったの。もうあなたを見ても何も思わなくなったわ」
鈴音はふらふらとした足取りで私のほうに歩いてきて私の腕をつかむ。雪は、さっきから動けなくなっていた。鈴音に怯えているんじゃない。胸を占めるのは確かな哀れみだ。
「なに。その眼は。いつも、いつもそんな眼で私を見てこないでよ。あぁー、むかついた。もう未練なんて無いと思ってたけどあんたを見てたら思い出してきたわ」
鈴音が私の腕を引っ張り、私の身体がよろける。そして次に顔を上げたとき、獣と眼が合った。
「なんであんたなのよ。いつも私を下に見てきて。そんな眼で私を見るな。同情するな。気持ちが悪いんだよ。良い子ぶりやがって。本当に気持ち悪い。私が可哀想な子なのに、なんであんたは私を助けようとするの。放っておいてよ。そんな偽善者面して私に来ないで。私は駄目でいることが可愛いんだから気にしないでよ」
彼女の本音を始めて聞いた。確かに高校では彼女に私はお節介を焼いていた。片親で、それでも不自然なほど金回りが良かった彼女に心配の言葉をかけた。テストが赤点になりそうな時に勉強を一週間かけて教えた時もあった。なにより、二十代や若いうちに死にたい、自殺したいと言っていた彼女を連れて、一緒に楽しい場所や楽しいことをたくさんした。彼女が少しでも長く生きたいと思えるようにしたかった。そうしないと彼女がすっと消えてしまいそうだったから。でもそんな行動が彼女にとって苦痛だったのだろう。
「でも鈴音、街でショッピングしてる時とかタピオカ飲んでいる時とか凄く楽しそうだったよ?あれも全部嘘だったの?」
「そうだよ、嘘だよ。本当はずっとあんたみたいな奴嫌いだった。学校なんて嫌い。皆なんて嫌い。世界なんて大嫌いだったよ」
鈴音が怒鳴るにつれて少しずつ眼に生気がともる。これで良い。ずっとひと目見たときからこうして接してきた。長い目で見ればこれからの行動も逆効果なのかもしれない。でも今はこれしかないと思えた。浅く息を吐いて、深く息を吸って。目の前の彼女に向かって大声で言ってやった。
「ばーーーか」
「は?」
「不満なんて誰にでもあるに決まってるだろ。自分だけ不幸だなんて思うな。不幸を気取ってれば誰かに優しくしてもらえるなんて思うな。もっと周り見て生きろよ。皆必死に生きてんだよ。あんたが面白半分でいじめた相手だって今も受験勉強に必死だよ。あんたは何?今更不幸ぶってお姫様にでもなりたいの?」
「うるさい!こんなことになるなんて思わなかった。それに、私だけじゃなかったじゃん。なんで私だけこんな不幸な目にあわなきゃいけないのよ。死ねよ。皆死んじゃえよ」
鈴音は興奮した口調でにらみつけてきた。そうだ。怒れ。少しずつ色がつき始めている。もうここしかないと思った切り札を切る。
「これを見ろ!」
それは鈴音がいじめた相手からの手紙。鈴音は中学生の時にある女子生徒をいじめていた。それは陰湿で誰から見てもひどい行為だった。だから当然の罰が降りた。学校側が事実を認めないなんてことは無く、普通に普通じゃない子達への対処が行なわれた。そしてあっという間に彼女は、いや彼女達は学校の中の腫れ物になった。それは高校になってからも変わることは無かった。周りの目が、彼女達が変わることを許しはしなかった。
そして今、鈴音が自殺しようとしてる。
もしかしたら、仕方ないことなのかもしれない。彼女達に与えれたのは罰と指導と変わってしまった周りの目線だ。そんな中で普通に真っ当に育つのは無理だったのかもしれない。実際に彼女以外は学校に来なくなった。でもこれで少しでも結末が変わるかもしれない。こんなクソしょうもない学校の悲劇の結末が。
「これはあんたがいじめた子からの手紙」
「なに?私が死ぬ前に私に文句言いたいの?」
「そうだよ」
手紙を彼女の前で広げた。そこには殴り書きで「次は言い返してやる!」とだけ書いてあった。宛名も送り先もない手紙。
「は?次は言い返してやるって、何様のつもりよ。何でこんな、こんな手紙。訳わかんないでしょ。もっと許すとか死ねとか、なのにこんな手紙って」
どうやら彼女には何か伝わったらしい。泣き崩れた彼女を見て、自分の選択が間違っていなかったことに安心した。そして少しづつ彼女の纏う色も戻って、いや何かおかしい。
「でももう手遅れなの。私もう帰れないの」
彼女はそう言うと突然倒れ込んだ。雪が側に駆け寄ると鈴音はヒューヒューと不規則な息づかいをして横たわっていた。
「さっきの瓶。そういう薬らしいの。だからもう助からない」
「そんなことない。もうすぐ警察が来るから。そしたら病院まで搬送してくれるはずだから」
「もう良いの。あの子に、私がいじめてしまった子にごめんなさいって伝えて。私が文句を聞くことは出来ないけど墓にだったら好きなだけ言って良いからって」
「ねぇ。だめ。生きて。生きてちゃんと。死なないで」
「それと来てくれてありがとう。あんな男よりやっぱ雪と一緒の方が良かった。友達と一緒の方が」
そう言うと鈴音は雪をドンと力無く押し、フラフラと立ち上がった。そして近くの窓にもたれかかる。
「あぁ。なんか死にたくなくなっちゃた」
彼女は。鈴音は。
「さようなら」
窓の向こうに消えていった。
本当にすみませんでした。
物語の結末に迷って、オリンピックも始まり、色々と忙しいことが重なり全然投稿できませんでした。
反省してます。
さて、前向きな話もしましょう。後日談という続きは三日から一週間後には投稿したいです。
そして、これからの予定も作者の活動記録に書くのでお暇があれば確認してください。
それでは、また。