最終話 私の愛しいお嬢様
涙を拭われた彼女が私を見つめてくる。
「お嬢様……?」
「えっとね……私、ルシールが好きよ。大好き。でもその好きは私が今まで思っていた好きとは違っていたの」
「違う好き?」
そう、違う好き。姉として、母としてではなく、私は女の子としてルシールが好きなんだということ。
「ええ、それに気づかせてくれたのがフィンケル様なの」
「フィンケル様が?」
「ええ……今日のお話はね……婚約、破棄の申し出だったのよ」
「婚約破棄!? なんでそんな!? 大事じゃないですか!!」
そうね。大事だわ。でもそれよりも大切なことがあると気づいたのだ。
「結婚したらルシールと私が離れ離れになっちゃうからって、だから婚約を破棄しましょうって言ってくださったの」
「そ、それはそうですけどっ!! でも、それは――」
言葉を遮り、告げる。
「私はルシールを愛しているわ。だから離れたくないの」
――言ってしまった。目の前の彼女は固まっている。ほほに当てた手が震える。言わなければよかっただろうか。でももう遅い。私は勝負に出てしまったのだ。
彼女の口がゆっくりと開き、言葉をつむぐ。
「それは……その、愛、というのは、親愛、の愛でしょうか」
「違うわ、恋愛、の愛よ……私はルシールを女の子として愛しているの。愛してると気づいたの」
きっぱりと告げる。
怖い。怖い。黙ってしまった彼女の反応が怖い。もしこれで私の愛と彼女の愛が違っていたら。受け入れてもらえなかったら。
もう元の関係には戻れないかもしれない。
その恐ろしさにふるえていると――手に熱いものが触れた。
「ふっ……うっ……ふっぐぅううぅっ……」
泣き止んでいた彼女の目から再び流れてきた涙だった。
「えっ!? な、なんでまた泣く――」
言い終わらないうちに、私は彼女の胸に顔をうずめることになった。抱きしめられたのだ。
「ふぐぐぐぐ!?」と息ができずにうめく私を、さらに容赦なく抱きしめてくる。苦しい。お胸で窒息してしまう。
「ぷはああぁっ!!」
なんとか胸の海から脱出して、肺に空気を送り込むことに成功した。しかし即座に再び抱きしめられて沈められる。
「んむ~~!! む~~~~っ!!」
しばらくジタバタ暴れて、ようやっと解放される。ほんとに死ぬかと思った。
好きな人のたわわにうずめられて死ぬ。その死因はキスで死ぬのと比べて幸福だろうか不幸だろうか。
「い、一体何なの!? 告白したとたんに死ぬとこだったわよ!?」
「だ、だって……嬉しくて……」
隙あらば再び抱きしめてきそうな勢いだ。また沈められないように少し距離を取る。
え、でも、今嬉しいって言った? それってつまり。
「う、嬉しいって、その、そういうことでいいの……?」
「はいっ! 私、お嬢様のことを愛しています」
満面の笑み。私の好きな彼女の笑い顔だ。
「妹とかそういうのじゃなくて?」
「1人の女の子として愛しています。お嬢様」
そっと私の手に、自分の手を重ねてきた。あったかい、いつも触れてきた手を。
「お嬢様が正式に婚約なさって、それで自分の気持ちは諦めないといけないと思ってきました。そうしなくてはいけない、と。でもっ……」
「ルシールっ……!」
ん?でも待って?
「そういう割にはいつも通りに凄くベタベタしていなかった……?」
「そ、それは、いつも通りにしてないとお嬢様が変に思うかなって……」
ま、まぁそれは確かに。急に態度を変えたらそう思ったかもしれない。
「え、と、ルシールって私のこと前から好きだったの?」
「はい、ずっとずっと大好きでした」
「私が気付いたのは今日だったんだけど……い、いつから好きだったの?私のこと」
彼女は「うーん」とあごに手を当てて考え込む。
「たぶんだいぶ前かと」
「どれくらい?」
「お嬢様が初等部に入った頃にはもう大好きになってました」
「そんなに前なの!?」
「はい」
そんなに前からって、彼女ってひょっとすると……
「……も、もしかして、その、幼い女の子が好きなのかしら……?」
「ち、違いますっ!! 私はお嬢様一筋です!!」
ロリコンの疑いをかけられたルシールが慌てる。
「そうなの?」
「ええ、他の子には目もくれませんでしたから!! お嬢様だから小さいころから好きだったんです!!」
疑いを晴らそうと、一気にまくしたててくる。でもその必死さが余計に怪しいんだけど。
でもまぁいっか、彼女が私だけを見てくれるなら。
「「ルシール、ルシール」って私の後を付いてきてくれるお嬢様が、それはもう可愛くて可愛くて。あれが私の初恋ですね」
それは凄く嬉しいけど。えっとでも、つまりその、ずいぶん前から好きだったってことは。
「私の体とか洗ってくれたときって……」
「はい、凄くドキドキしていました」
「あんな平気そうだったのに!?」
冷静そのものだったわよ!? 「はい右手上げてくださいね~」とか。
「もう内心はバクバクでしたよ。だからより無心になろうとしてました。「私は馬を洗っているんだ」「私は馬を洗っているんだ」と自分に言い聞かせてましたね」
馬だったのか。衝撃的過ぎる告白だ。
「でも、子供のころから洗って差し上げてましたけど、ほんとに大きくなられましたよね。日々成長していくお嬢様をこの手で実感できて、それはもう毎日楽しみでしたよ」
「な、なんかえっちだわ……」
「愛です」
そういうものだろうか。なんかごまかされた気がする。
ゴホンと咳払いしてるし。これ都合が悪い時にごまかそうとする彼女の癖なんだけど。
「えっと、話を戻しますね?」
話題を変えた。やっぱりごまかそうとしてない?
「つまり、お嬢様は私を愛していて、私と一緒に居たいから婚約破棄をなさる、ということですね」
「そうよ。愛してるわルシール」
「私も愛しております、お嬢様。ですが色々大変ですよ? よろしいんですか?」
「あなたと別れることに比べたらなんでもないわ」
私は彼女と一緒にいれればそれでいい。他に何もいらない。重ねられた手にもう片方の手を重ねて、じっと彼女の目を見る。
今私達を見ているのは窓から見える月だけだ。
「ねぇ……キスして?」
いつもの寝る前のおねだり。でも今日はいつもと少し違う。
「おでこでよろしいですか?」
クスクスと笑いながら顔を近づけてくる。わかっているくせに。いじわるな恋人だ。
ふるふると首を振り、そっと目を閉じて彼女を待つ。
幸せ過ぎて心臓が止まるかもだけど、彼女になら止められてもいい。
「わかりました。私の愛しいお嬢様……」
愛しい侍女の唇が私の唇にそっと重なる。初めてのキスは小鳥がついばむような優しいキスだった。
肩に手をかけられた私は、彼女と重なるようにしてベッドへと倒れこんでいく。
恋人同士となった初めての夜は、そうしてゆっくりと更けていくのだった――
(完)
お読みいただき、ありがとうございましたっ!!