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第03話 今キスなんてされたら死ぬ

 自分でも驚くほどの速さで走って、ルシールの待つ部屋の前まで来てしまった。こんなにも彼女に会いたいなんて思ったのは生まれて初めてだ。

 はやる気持ちを抑えてドアノブに手をかける。


「うっ、でも待って」


 どんな顔をして会えばいいんだろう。今まではごくごく自然に彼女と顔を合わせて、おしゃべりをし、手を繋いできた。

 でも私は彼女のことが好きだということを自覚してしまったわけで。まともに顔を見れる気がしない。でも早く会いたいという気持ちは胸から溢れてくる。


 その相反する気持ちがぶつかり合って、ドアの前でもだえることしばし。

 でも会いたい気持ちの方が上回って、覚悟を決めてドアノブを握る手に力を込めようとしたその時だった。


「お嬢様? もうお帰りですか?」

「ルッ……!!」


 不意打ちでドアを開かれた。彼女の整った顔が間近に迫る。心臓が止まるかと思った。というか止まったんじゃないだろうか。だって息ができないし。


「さ、中へどうぞ」


 ふわりと黒髪のポニーテールを揺らして、いつもの通りに手を握られる。

 今朝までよくこの手に触られて平気でいられたなと思うほどに胸が高鳴る。意識するだけでこんなにも違うのか。


「い、いいの!! もう用は済んだから、すぐに帰るわ!」


 声が震えているのが自分でもわかる。「そうですか」と言葉をつむぐ桜色の唇から目が離せない。

 毎晩この唇でおでこにキスをしてもらっていたなんて、恥ずかしさから汗が噴き出してくる。


「まぁ、こんなに汗をおかきになって」

「ふひゅっ!?」


 彼女はハンカチを取り出して汗を拭いてくれた。そして屈んだことでその豊かな胸元の膨らみが目の前に広がってくる。

 まだまだぺったんこな私に比べて、なんと見事なものだろう。お風呂場で毎日見ているはずなのに、その服越しのお胸を見てごくりと唾を飲み込んでしまった。ヘンタイか私は。


「では、帰りましょうか」


 そう言いながら彼女は私の手を引いて、玄関に向かおうとする。

 今まで何ともなかったはずなのに。手を握られているということが恥ずかしくてたまらなくて。


「っ……!!」


 私は手を引き抜いてしまった。


「お嬢様?」

「あ、う、い、いいの! だって私もう子供じゃないんだもの! ずっと手を引かれていたらおかしいわ」


 嘘だった。だってただでさえ恥ずかしいのに、馬車で帰る間中ずっと手を握られていたら。たぶん私の心臓は爆発してしまうだろう。


「そうですか……」


 成長を喜んでいるような、寂しがっているようなその顔を見て、私の胸が締め付けられる。

 そんな顔をしないでほしい。私だって本当は手を繋ぎたいのだ。でも今それをすると私が死んじゃう。


 そして私は彼女と手を繋がないで家へと帰った。こんなのは初めてのことだった。



「お嬢様、お着替えをいたしましょう。ほら、お手をあげてください」

「い、いいからっ!! じ、自分でできるわっ!!」

「そうですか……」


 家に帰ってきた私を部屋着に着替えさせようとしてきたけど、断った。

 今までは平気だったけれど、好きだって自覚しただけで肌を見せるのが物凄く恥ずかしく感じたられたから。

 これまでよくこんなペタンコでストンな体を彼女にさらしてきたものだ。せめてもうちょっと成長してから彼女に見てもらいたい。



「お嬢様、ほらこのお菓子美味しいですよ、ほら、あーんっ」

「じ、自分で食べられるから……!! 大丈夫よ!!」

「そうですか……」


 お茶の時間のいつもの食べさせ合い。でも断った。

 だって今日のお菓子はタルトなのだ。ルシールの指でつまんだタルトを「あーん」なんてされたら、その指まで舐めたくなっちゃうだろう。

 彼女の細い指から目が離せず、それに舌を這わせて口でくわえたい衝動にかられてしまう。



「お嬢様、お風呂の時間ですよ。さ、参りましょう」

「きょ、今日から自分で入るから……! 自分で洗えるから!! ねっ!?」

「そうですか……」


 いつもお風呂で体を洗ってもらっていた。でも断った。

 だって今ルシールの指で体中を撫でまわされたら、私は今夜眠れなくなってしまうだろう。

 なんでかはわからないけどそんな予感がした。



「お嬢様、ほら、寝る前のちゅーですよ、おでこを出して下さい」

「い、いいのっ……!! いいからっ……!!」


 両手を広げて私をおいでおいでしてくれる。いつものおやすみのおでこちゅー。でも断った。

 今キスなんてされたら死ぬ。間違いなく死ぬ。たぶん幸せ過ぎてのたうち回って柱に頭を打ち付けて死ぬから。

 愛しい人からのキスが死因とか、幸せなのか不幸なのかさっぱりわからない。


 死にたくないので、ベッドのふちに腰かけているルシールから逃げるように、ぷいと背を向ける。

 そのまましばらく沈黙が続いた。そして。


「うっ……うううっ……ぐすっ……」


 急にすすり泣く声が聞こえてきた。ぎょっとして振り返ると。


「ル、ルシール!?」


 彼女が泣いていた。あの完璧超人の彼女が泣くなんて。こんなの初めて見た。


「ど、どうしたの!? ねぇ!!」

「お、お嬢様っ……私っ……私っ……」

「泣いてちゃわかんないから! なんで泣くの!?」

「だ、だってっ……だってっ……」


 まるで子供みたいにポロポロ涙をこぼしてしゃくりあげている。私は何がどうしたのかさっぱりわからずにオロオロするしかできない。


「わ、私っ……お嬢様に嫌われちゃったっ……」

「ええっ!?」


 なんで!? 何でそうなるの!? 嫌いなわけない!! 大好きだから!! 愛してるから!! それにようやっと気づいたのになんでそうなるの!?


「嫌いなわけないでしょ!? 何でそう思うの!?」

「だ、だってっ……最初はお嬢様が大人になったのかなって思ったんですけどっ……なんか、避けられてるみたいでっ……」


 避けてるけど! でもそれは好きだから! 近過ぎたら私の体がもたないからそうしてるだけで!!


「おやすみのキスもさせていただけないなんて……もう私のこと嫌いになったんだって……!」


 それされたら私死んじゃうよ!? いいの!?


「大好きなお嬢様に嫌われちゃったら私っ……もうどうしたらいいかっ……」


 大好き。その言葉に胸が弾む。それは私の好きと同じかどうかわからない。

 でも私はそれで覚悟を決めた。こんなに泣く彼女をもう見たくないから。


「あのね、ルシール……」


 私はそっと彼女のほほに手を当て、涙を拭いながら話し始めた――



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