区切り
「それでいいのか?」
そう深刻ぶった顔で、友人……親友と言っても良いこいつと二人っきりである。
卒業式の帰りだというのに、こいつも随分と色気のない道行きである。
ああでも、1人で帰るのは辛かった。
我ながらだ。何も分かり切った結末をな、わざわざ実演してみなくても良いだろうに。
だが俺は彼女とは別の大学に行く。
距離や方角もそうだ……私立の北の大学に行く。
中学まではそれなりに秀才扱いだったが、苦労して県内有数の進学校に入ってみれば中の中だった……予想していたことではある。
俺は必死で勉強していた。寝食を忘れて、そう言って良いほどである。全員参加が旨の部活は、わざと活動が少なめな部を選んだほどである。
自分の身の程は弁えていたが、一応は挑戦してみた。
彼女の横に立つには日本最高峰の大学に、それも優秀な成績で通わねばならない。
あるいは広告塔になれるようなスポーツ選手でも芸能人でも良いのかもしれない。悲しい事に生まれが彼女に見合う名家の出では無いのだから、死ぬ気で努力するしかなかった。
本来の俺の能力では、合格した大学すら無理だったろう事を考えれば、むしろ良くやった方だろう。だがごく普通の能力値な俺には芸能人やスポーツ選手なぞ論外で、残った道の勉学で日本最高学府にでも入れなければ彼女の横には立てぬ。
彼女は名家の嫡子として生まれ、日本有数の資産家にして世界でも名の通った企業を運営する創業家かつ会長職を勤め上げる名家の後継候補筆頭である。
なにせ今のところ周囲の期待に余裕で応えている。
県内有数の進学校でトップの成績ではあるが、全国有数と言っても良いだろう。模試では10番以内から降りたこともない。
「でも真剣だったろう」
そう俺を批難するように言う。
「……付き合うには彼女に見合うようになれ……の注釈付きだがね。彼女が下手を打つと国内だけでも数万、関連企業まで含めれば何処まで増えるかも分からない社員や関係者が困るから無理もない」
それでも俺は諦めたくはなかった。だから2年に進級した時に、こっそり呼び出して告白した。
その告白した返事が「私の希望する大学と同レベルの大学に合格したら考えないこともない」という返事である。
これは体よく断られたとは気が付いていた――彼女が志望する大学は日本の最難関最高学府だろう。
必死に勉強して中の中だった。ましてや全国から集まる秀才たちを押し退けることが出来ると思う程に、俺は脳天気でもない。
少なくともクラスで十番に入らねば話にもならない……だが当時の状況で一杯一杯の俺である。順位が落ちることはあっても上がることは考えにくい。
それに十位には入れてすら絶対合格とも言い切れぬ。
ましてやどの学部でも良くて、成績も不問ではない。
要は王配として相応しい能力か技能か特徴を、だ。その生き方を彼女が厭うているのならばともかく、全力で受け止めている。
決して見下されているわけではない……見下されているだけではないと言うべきか。
軽い付き合いなぞする気はない、将来自分の横に立つ傑物をこそ望む。
彼女に告白し、付き合いたいというのはそういう事である。自分を極限まで磨き、望まれる立場の支えとなれる者。日本有数の彼女の家が創業家にして、現会長社長も歴任している以上、その後継の彼女の横に立てる者は、その会社を背負える一人になれる者だ。
一刀両断で断らないのは誠意なのかもしれない。幼馴染みと呼べる程に気安い関係ではないが、古馴染みではある。
私立の小学校に入ったとき、入学した年は同じクラスで、少しは会話した事もある……が。
御嬢様が、偶々クラスが一緒なだけの凡夫に想いを寄せるなんてミラクルは起きなかった。
名前と顔を覚えてもらえた程度だろうし、友人とすら思われてもいまい。或いは級友程度ぐらいには思われていただろうか。
「……今時って思うけれどもな」
そういう親友に少し笑いを浮かべる。
「……そうした御家に生まれた矜持も含めて憧れた……その一助になりたいってな。だがね、どうやら俺では一助になる事も出来ない……形振り構わなければ彼女の一族が経営している会社に入るぐらいは出来るが、そう未練たらしくウロチョロするのもね」
これからいく大学ですら、良い成績を取れるかは自信がない。
そんな訳で部署を選ばずに片っ端から就職活動をすれば入る事ぐらいは出来るだろうが、エリートには程遠いだろう。開発か研究でならもうワンチャン有るか? 宝籤で一等が当たる位には、俺にその種の才覚がある可能性もな。
自己満足でそこに準じる事も考えてはいたが、ストーカーにはなりたくはない。此処までだろう。
「……まあ仕方が無い。容姿や性格に恋することもあるのなら、資格を手にした者から選んで恋人、ひいては伴侶を決めようとするのも自由ではある」
おれは卒業式が終わると、彼女に詫びをいれに行った。
都合良く彼女一人で誰もいない瞬間が直ぐ訪れた。
この機を逃さず、俺は余計な事も言わずに頭を下げながら声を掛けた。
「告白をしてなんだが、貴女の恋人に立候補出来る器ではなかった。だからそれは取り消させて欲しい」
俺がそう言うと、彼女は少し優しい目で「そうか」と呟いた。
「じゃあ」
そう言って手を上げ立ち去ろうとすると、「好いてくれてありがとう。面倒で傲慢な女なのに」そう言って向こうも手を振ってから立ち去った。
ケジメはついたのだ。
「フラれたのか何なのかは分からん。だが、高校に入ってから……いいや彼女に会ってから必死で足掻いてた時間は終わりだ。仮に合格していても付き合うまではいかなかったろうが、それでも必死に努力した時間は無駄じゃない」
そう言って友人を見た。
「……ならばキッパリと振れば良いだけだろう」
友人は彼女に含むところがあるらしい――だがそうは言うが。
「……フラれたさ。俺は馬鹿だが、都合よく考えられる程お花畑でもない。あの大学に入るので最低ライン、そこから群を抜く何か……彼女の御家に利する何かがなくばな。田舎町でわりかし秀才な方って、自他共に弁えている俺だからな、これ以上ないほどフラれている」
そうそれぐらいは告白したときに……いいや、告白する前から気が付いていた。
自分を磨く事に懸命であるべき時期と、彼女は勉強を頑張っていた。だから俺の告白があったと言っても、殊更に他の誰かと付き合うのを待ってもいまい。
「……じゃあ」
そらそう聞くだろうな。
「……ガキの頃からずっと憧れて見上げていた。この学校には辛うじてついてくることも出来たが、ここから先はな。だからフラれたことを昇華できる時間と、フラれたことを納得出来るように努力する必要があった……俺如きではついて行けない世界に彼女は行くのだと」
無駄な努力とは言うが、十分俺はこの努力の効果がある。何よりそこまで努力しても、スタートラインにすら立てなかったのが、心より理解できた。
「考えてみろよ。何も無ければここまで必死な努力なんてしていない。結果は俺に少しでも不利か? 本来の能力よりも大分上な学校に合格した。確かに彼女に振り向いてもらいたいって、最大の理由は駄目だったけれども、それでも何一つ無駄じゃない」
それを言うのならば、この学校に入るのすら微妙である。
結果は目に止めてくれる瞬間はあった……礼を言われたと言う事は、俺の努力は認めてくれたろう。
「……それで十分報われた……そう言うと、まあ嘘だがな。それでも区切りはついた。いや本来告白したときについてはいたのさ、それを認める時間が必要だっただけで」
それを全て彼女が分かっていた――訳でもあるまい。
そこまで俺を見咎めてすらいなかったろう。だが思い詰めたぐらいは分かってくれたろうから、努力はしてみろという風には言ってくれた……それが正しいかは分からない。だがそう思いたいぐらいには、俺はお花畑だったようだ。
「……これからどうする?」
そう聞かれるが。
「どうもしないさ。無理と分かっても必死に勉強するぐらいは出来た。周りも見ずに我武者羅にな。だから大学に行ったら別のことに我武者羅になってみるさ」
そう言ってみる。
努力する癖はついたのだ、何を為せるかはともかく、何かをしてみようとは思った。
「そうそこまで一途で、でも昇華もしたのか……なあ、お前の彼女を振り向かせようと努力するところは、ちょっと好きだった」
親友の言葉を聞いたが特に驚きもしない。
「そうか」
男みたいにぶっきらぼうではあるが、天文部で一緒になった時に星を見るのが好きと笑っていたのは可愛く思えた。俺同様に派手な娘ではなかったから色恋沙汰は遠かったが。
彼女の目に、俺があの女に向けるような熱が少しだけあったのは気が付かないでもなかった。
もう少し早く割り切れれば友人ではなく……だがそう思うのも無粋だろう。
駅に辿り着いてしまった。彼女はここから少し歩いた先が家で、俺は電車通学だった。
「じゃあ、また何処かで」
そういう親友の言葉に、俺も笑って「ああ、また」と言えた。
彼女も区切れたのだろう。笑って手を振るのを見て俺も歩き出した。
明日からは大学に行くために、引っ越しの準備もしなければならない。学びたい学部のある大学とはいえ、実家から通うには遠すぎる。
だが高校卒業した今日だけは、のんびりしても構うまい。
そう駅に向かって歩き出した。