崩壊の序章
「んはぁ〜っ! 今日は飲むぞ〜っ!」
25歳、独身。飲み屋の多い歓楽街の通りを、スーツを着込んで颯爽と歩くポニーテールのスタイリッシュ美女。それが私。嘘言い過ぎた。
実際には髪はやつれてるし肌も荒れ気味、胸から痩せてカップ数が落ちたのはつい先日の出来事だ。
鈴木春奈。通称すずはる。もしくはすずとかはるとか、そういう風に呼ばれみんなから愛されて育ってきた。つい一年前まではそう思ってなかったけど。
恵まれてたんだなって自覚したのは、大学を出てすぐだった。最初は何の疑問も持たなかったけど、私が入社した所はいわゆるブラック企業というやつらしかった。
パワハラセクハラ長時間残業寝泊まりは当たり前。仕事をミスれば丸一日会社の敷地内を草取りとか、そういう事もあった。私は草取り好きだったけど。
研修という名で人の足りてない工場に配属され、こき使われる日々。本社に戻れば定時上がりなんか夢のまた夢の膨大な書類仕事。
ほんっとに辛かった。おかげで、まあ元々美人かって言われると難しいところだけど、私は痩せ細って病気がちになり顔色が悪くなった。
だから一ヶ月前に退職届けを出し、辞めるなと言われているけど今日辞めてきた。もちろん定時上がりで会社の門を強行突破。書類上は明日から無断欠勤だ! イェーイ!
仕事はまだ何も決めてないけど、使う暇がなかったせいで貯金はあるからまあ大丈夫。
とにかく景気付けに一杯飲みたかった。
だから私は適当に選んだ居酒屋に入り、気持ちよく酔っ払って、それからフラフラの足で家に帰った。
それがなんで、朝起きたらさ……。
裸の女の人が隣で寝てるの! ?
「おはよーございます。花音桃、25ちゃいでーす。えへへ~」
「……」
私が借りてるアパートの部屋で、私と一緒に寝てた女の人は起こすと酔っ払いみたいな口調で自己紹介してきた。
因みに私はふざけろとも自己紹介してくれとも言ってない。なにこれ。
えへえへ笑ってる彼女を私は白けた目でしか見れない。どういうこと? なんで私の部屋にいて裸で寝てたの?
私が疑いの目を向け続けていると、彼女は首を傾げ、頬を膨らませて怒った。とても真剣に怒ってるようには見えないけど。
「……もしかして私の事覚えてないのー? 酷い! 一夜限りの関係だったのね! 乙女の純情を弄んで!」
「いや覚えてないのは確かだけどそういう意味じゃ……」
と言いかけて私ははっと気づく。やけに寒い事に。
恐る恐る視線を下に向けてみれば……素っ裸の膨らみの薄い身体が。わーあ見慣れた身体だー。
「って何これぇ! ?」
「ほんとに覚えてないんだね……昨日居酒屋『ぽめらにあん』で酔ったすずはるがバーテンダーごっこして遊んでくれて、それからここに私をお持ち帰りしてベッドであんな恥ずかしい事したのに……全部覚えてないんだね……」
口から声にならない声が出てくる。ぽめらにあん、確かにそうだ。名前が可愛いからそこに入った覚えがある。でもバーテンダーごっこ? は? 何それ? お持ち帰り? 昨日の私何してくれてんの?
混乱と申し訳なさとで頭いっぱいになる私に、桃と名乗った彼女は頬を膨らませた顔を近づけてくる。
「だから、責任取って?」
「せせせ、責任ってなななにを……」
「なにって……ナニだよね……えっへっへ……」
「おおお助け……」
彼女の膨らみが私の胸を圧迫する。その時初めて私は、マシュマロみたいな身体という言葉を深く刻まれた気がした。
私が会社を辞め、桃と「知り合って」から三ヶ月が経った。アパートを家族用の所に住み替え、私は新しい会社に就職した。
今は二人で共働き、かかる費用は仲良く分担して暮らしてる。
桃はホワイト企業ってやつに勤めてる。休み多いし、いつも私より先に帰ってきててご飯とか作ってくれる。
そう、ご飯ができてる。しかもこれが結構美味しい。
桃は私と凄く話が合うし、家事雑用をやってくれる。しかも好きでやってくれてるらしいからほんとに助かる。
最初はどうなる事かと思ったけど、いざ二人で付き合ってみれば最高のカップルだった。
出会いこそ酷いものだったけど、将来振り返ってみれば笑い話になるだろう。
毎夜イチャイチャして、日中は頑張って働く。このサイクルで全て上手くいっていた。
その日までは。
とある日、彼女が私よりも遅く帰ってきた。理由は会社の倒産らしい。
彼女の会社の社長は人が良すぎた。無理な仕事を承諾し、社員に無理を押し付け無かった。
そのせいで会社は潰れた。なるほど仕事とは難しいものだ。
詳細な経緯は分からないし細かくなりすぎるから省くが、とにかく桃は会社の後片付けをして帰ってきたのだ。
明日からは仕事探しだね、などと笑う彼女が寂しそうで、私は彼女を優しく抱いた。
桃の転職先はすぐに見つかった。前と同じような職種で、スキルが活かせるからと喜んでいた。
彼女の初出社日、私は笑顔で一緒に出社し別々の駅で降りた。
その日は美味しいお肉を食べる予定で、何を作ってくれるのかなと楽しみにしながら。
でも桃が帰ってきたのは私より随分と遅かった。夜の12:00も回った頃だろうか。
入社一日目の社員に長時間労働。すぐに良くない会社だと気づいた。給料は悪くなかったけど、まさかこんなに働かされるなんて。
私は疲れた感じの桃に、今の会社は辞めなよと言った。経験上、そんな所にいても無意味だと思ったから。
でも彼女は大丈夫って笑っていた。それがあまりにも明るい笑顔で、私はそれ以上何も言えなかった。
言うべきだった。