第一話 夕日に照らされて ①
夕方、ジーパンにTシャツ姿の若いやせた男が暗い裏路地を走っていく。 ずれた眼鏡も直さず必死に走るその姿は、まるで何かに追われているかのように見える。 否、は実際に追われているのだ。
「ハァッ、ハァッ!どうして俺がこんな目に――!」
いくつか角を曲がったところで、前方を壁が塞いでいた。
「ち、畜生!!」
慌てて周囲を見るが壁に囲まれており、取っ掛かりも少なくて登れそうな高さではない。 走ってきた方向から2人分の足音が聞こえてくる。 1つはコツコツと革靴が歩く足音、もう1つはぺたぺたと子供が歩くような足音が一緒に聞こえてくる。
角を曲がって姿を現したのは、子連れの男だった。 ほっそりとした長身の男で、痩けた頬に大きな隈があり、不健康な印象をうける男だ。
一緒にいる少女は幼く、5歳くらいに見える。 女の子は4月下旬にも関わらずスタイルに合わないぶかぶかのコートで脛付近まで体を隠して、裸足というおかしな格好をしていた。
「話してくれる気になったか?」
「だ、だから知らないって言ってるだろ!」
若者は質問に返答しながら、じりじりと壁に向かって後ずさる。
やりなさい……。 と、男が疲れた声色で少女に呟く。
少女は頼まれると――うん、パパ! と、嬉しそうな顔をして、若者に近づいていく。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!知ってるやつを教えるからやめてくれ!!」
「……誰だい?」
「逆式 圭介
さかしき けいすけ
っていう、すまし顔の奴だ! 上の連中とも仲が良いし、知ってるかもしれない」
「っ! 逆式……」
「あんたももしかして知ってるのか? だったら話は早い! 奴も休暇を取ってるから、町をぶらついてるはずだ!!」
だからやめてくれ! と、懇願してくる若者を少し眺める。 聞き覚えのある名前を頭の中で反芻させて、この若者を見逃すことで生じる今後の計画をしばし考え、結論を出す。
「では、君の話を信じよう」
「ほ、本当か!よかった――」
その言葉に安堵した若者は胸をなでおろす。 へなへなと地べたに座り込む若者を、ゆっくりと大きな影が覆った。
へ……? と、若者が見上げると獅子の頭、ヤギの胴体、蛇の尾を持つ異形の存在がいた。 ソレは口から涎を垂らしながら、若者に鼻を近づけその周囲一帯の匂いを嗅ぐ。 おぞましい怪物を見た若者は、ズルズルと後退りしようとするも、すぐに壁際に追いつめられる。
「な、なんでだよ!?」
若者はゆっくりと唸りながら近づいてくる怪物を指さす。
「なにかね?」
「正直に言ったじゃないか!約束が違うだろう!!」
「あぁ、そうだったな……やれ」
男は、若者と怪物に背を向け告げる。 その言葉に怪物は反応し、猫科特有の跳躍で若者に覆いかぶさる。
「約束もしていなければ、我々の顔を見た君を生かしておく道理もない」
「や、やめろぉぉぉぉぉ!!」
大きな何かが暴れる音と、どんどん小さくなっていく悲鳴をBGMに男はその場から去る。
「逆式、貴様だけは……」
去り際に呟いたその顔は、怒りに満ちていた。