第一話 可憐な少女 ③
ゴールデンウィークに入ったばかりの朝の時間帯。 休日出勤をキメるサラリーマンや旅行者で混雑する駅のホームに、ブレーキ音を響かせて電車が入ってきた。
ゆっくりと電車のドアが開き、他の乗客と一緒に子連れの男が降りてくる。
ほっそりとした長身の男で、痩けた頬に大きな隈があり、不健康な印象をうける男だ。 しかし、眼だけは強い意思を感じさせるように爛々と輝いていた。
少女は幼く、5歳くらいに見える。 動物がプリントされたTシャツに短パンという姿をしており、混雑する人混みの中をよたよたとおぼつか無い足取りで、男の後をついていく。
「あっ……」
少女はホームの段差につまずきこけてしまう。 男は少女を一瞥し、何をしている……。 と、言いながら歩みを進めて行く。 それを周囲の大人たちが心配そうに見つめるが、少女は泣きそうになるのをこらえ、一人で立ち上がる。
「大丈夫?怪我してない?」
これを見ていた通行人のおばちゃんが、心配そうに少女に声をかける。 しかし少女は首を横に振り、男に置いてかれまいと、歩みを進めた。
「これだから子供は――」
「ごめんなさい。パパ……」
2人は駅を出ると、街の中に消えていった。
☐
どれほど眠っていたのか、総司は頬に冷たい感触を覚えながら目を開ける。
「痛てて……」
どうやら来客用ソファに寝かされていたらしい。 顔にのせられた氷嚢を持ち上げ、ゆっくりと上半身を起こす。
「目が覚めましたか?」
まだ思考がおぼつかないまま声のする方を見ると、気絶するほど思いっきりビンタした少女が、腰に手を当ててこちらを見ていた。 先程と違って、セーラー服の上に会社で支給されているエプロンを付けている。
「あ、あぁ……これ、君がしてくれたのか?」
氷嚢を小刻みに揺らしながら、あの社長がこんなことしてくれるはずがない……。 と、考える。
「はい、そうですよ。 ……それで、何かいう事ありませんか?」
「……それで? って……あぁ、わかった! ストップストップ!!」
少女の質問を質問でそのまま返すと、少女はギロリとこちらを睨み、また右手を振り上げようとしたので慌てて静止を呼びかける。
一応こちらの要望は聞いてくれたようで、睨みながらも手を降ろしてくれた。
総司は眉間に手をあて、必死に少女が求めているものを考える。 気絶する直前に起こった出来事は……。 と、思考を張り巡らせると一つの結論にたどり着いた。
「さっきのことはスマン!!」
顔の前で手を合わせ、ガバリと頭を下げる。 どうやら総司の行動は正しかったらしく、少女から怒った雰囲気が薄らいでいくのを感じた。
はぁ……。 と、少女は緊張がとけたようにため息をひとつ付き、右手を差し出してくる。
「はじめまして。 私の名前は夜河華蓮です。 本日からアルバイトとしてここで一緒に働くことになりました。よろしくおねがいしますね。 先輩」
「お、おぅ……俺は道上総司だ。 よろしくたのむ」
総司も右手を差し出し握手する。 十秒にも満たない握手だったが、その手は細身ながらも力強さと温かみを感じた。
ふと現在時刻が気になった総司は左手を見るが、腕時計型の日焼けがされているだけだった。
「あれ、俺の時計は?」
「だいぶベタついていたので、水と重曹でブラシ洗いして乾かしてます。」
華蓮はテーブル上の、ウエスにくるまれた物を示した。 総司がそれに近づきウエスをどけると、汚れや細部に溜まった埃が除去され、ピカピカになった腕時計があった。
「ダメでしたか? 一応防水加工された物だと思ったので……」
「いや、ありがとう。 助かる」
「先輩も私と同じ腕時計をはめてらっしゃるんですね。」
華蓮は左手を前にだし、はめている腕時計を見せてきた。 総司の腕時計と同じデザインで、数年前に公開されていた蜘蛛と人間が融合したアクション映画の、ロゴマークが刻印されていた。
1話目の公開当時は話題になったが、異種族が動きを真似してパルクールによる激突事故や、跳躍失敗による落下事故が相次いだので2話目以降は制作されなくなり、テレビでも放送されなくなってしまった。
「あぁ、好きだったからこの限定デザイン手に入れるために、わざわざ倍率の高い懸賞に応募したんだ。 夜河もそれ持ってるってことは応募してたのか?」
「いいえ。 これは誕生日の時にプレゼントしてもらったんです」
「この限定物を? 良い物プレゼントしてもらったんだな」
はい、私の宝物です! と、そう言いながら華蓮は嬉しそうに微笑み、腕時計を軽く撫でた。
総司が改めて現在時刻を確認すると、15時前になっていた。 1時間以上気絶していたことに驚愕し、華蓮のビンタの威力に軽く恐怖を覚えた。
「それで先輩、私は何をしたらいいですか?」
「あー、社長から指示とか聞いてない?」
「垣根社長は先輩の指示に従えと言って、ナカジマ様という方のところに行かれました」
あのアマ……。 と総司は悪態をつきながら、眉間に皺を寄せる。 喫茶なかじまにサボりに行ったであろう上司のことを思うと、きりきりと胃が痛んだ。